第6話

 ――そう言えば、きみに愛される女の子は大変だね、なんて言ったのも、このあたりだったな。


 あのころの季節は春だったけれど。塔に近づいたところで、エリアスは足を止めた。


「付き合わせて、悪かった」

「え?」

「おまえも仕事があっただろう。だが、どうも、俺は思いやるというようなことが苦手でな。その点、おまえは寄り添うことができるだろう」


 塔を見つめたまま、淡々とエリアスが言う。あたりまえの事実を告げるように。


「俺には痛み止めを処方することくらいしかできないが、おまえがいれば、少しは救いになるのではないかと思った」

「そんなことない」


 思いのほか強くなった否定に、青の瞳がゆっくりとこちらに動く。その瞳を見据え、アルドリックは改めて繰り返した。


「そんなことないよ。きみは優しいじゃないか」

「……」

「僕の代わりに、僕の祖母の……おばちゃんのことを気にかけてくれていたんだろう。おばあちゃん、よく手紙できみのことを書いていたんだ。たぶん、いや、きっとすごくきみの存在が生き甲斐になっていたと思う」


 自分が町を出て高等学院に通いたいと言ったとき、祖母は止めなかった。がんばって奨学金無料の特待生になるよと宣言したアルドリックを、「そうしてくれると助かるねぇ」と笑って、新たな夢に向かって踏み出したアルドリックを応援してくれた。

 こんなに早く逝ってしまうとは想像していなかったけれど、でも、祖母をひとり置いて王都に出たという時点で、予見していなければならないことだった。見ないふりをしていたけれど。

 その代わりを、この子はしてくれていたのだ。

 エリアスの瞳が驚いた色に染まる。もっと早くに伝えていたらよかったなと思った。


 ――あの子にだって、そうだっただろうに。


 余命がいくばくもない幼い男の子と知ってしまうと、どうしたって必要以上に優しくしたくなってしまう。けれど、この子はまったく――見ているこちらがはらはらするほど態度を変えなかった。

 だが、どちらの態度があの男の子にとっての救いだったのかだなんて、彼の表情を見れば一目瞭然で、つまり、自分はまったくなんの役にも立っていなかったのだ。

 祖母にも、彼はこうして接してくれていたのかもしれない。


「ありがとう。ずっと言えなくて、ごめん」


 情けなさを呑み込み、アルドリックはもうひとつも吐き出した。


「きみのほうが年下なのに、僕はずっときみに嫉妬していたんだと思う」


 青い瞳に次に広がったのは困惑だった。なぜ嫉妬をするのかわからなかったんだろうな。そんなところが、ずっとずっと羨ましかった。けれど、はじめて言葉にしたせいか、妙にすっきりとした心地だった。息を吸って、アルドリックは笑いかけた。


「きみの言う好きについて、もう少ししっかり考えてみることにするよ」

「考えていなかったのか?」

「しかたないだろう。忙しかったんだよ」

「俺を後回しにするな」

「ものすごく面倒な女の子みたいなことを言うね、きみ」

「そんな相手がいたのか」

「ひとりもいないほうがおかしいよ!」


 もうそろそろ二十六である。言い切ったアルドリックだったが、はたと言い直した。自分よりよほどモテるだろうが、それはそれとして、そういった付き合いをしたことがない気がしたからだ。


「あ、いや、……個人の自由だとは思うけど」


 取り繕ったにも関わらず、エリアスはなにも言わない。気まずさに負け、アルドリックはえへらと話題を変えた。


「やっぱり、きみの髪はきれいだよね。光に透けて輝く色は本当に繊細で美しいし、きみの髪越しに見える世界がすごく輝いて見えたんだ」

「おまえがそんなことを言うから切れなくなった」

「え?」

「手入れが面倒なのに、伸ばしている理由だ」

「……きみ、本当に僕のこと好きなんだね」

「いまさらなにを言ってるんだ?」


 あまりにもきょとんとした顔で言うので、堪え切れず笑ってしまった。


「いまさらか。そうなんだろうね」


 きみにとっては、きっと。不満そうな顔のエリアスを見上げ、いまさらついでなんだけど、とアルドリックは切り出した。


「あと、きみ。特別チームの仕事のことだけど。ちょっとだったはずの『休憩』、引き延ばしたろ」


 ずばりとした指摘に、エリアスがきまり悪く黙り込む。休憩が一月を過ぎたあたりで、そうだろうなぁと思っていたし、薬草部の上長に確認もしていた。

 ただ、ルカのことがあったし、自分がしっかりと彼と関係を正せてもいない自覚もあったので、いつ尋ねるべきか悩んでいたのだ。

 けれど、これからも仕事をしていくのであれば、きちんとバランスを取っていかなければならない。


「ねぇ、魔術師殿」


 そんな顔をされるとものを申しづらくなるんだけどなぁと苦笑いで、話を続ける。


「僕もきみと一緒に仕事をできることはうれしいんだ」


 嘘偽りのない、本音だった。ぱちりと瞬いたエリアスに、知ってほしくてアルドリックは言い募った。


「でも、そのために、きみに我慢を強いたくはないんだ。だから、なにかあったら相談してほしい」

「……」

「僕になにができるということはないかもしれないけど、それでもふたりで共有して向き合っていきたいんだ」


 僕は彼になることはできないけれど、彼も僕になることはできない。彼に教えてもらった、大切なこと。だから。自然と笑って、彼に手を伸ばす。


「だから、改めてよろしく、エリアス」


 エリアスが伸ばした手が手のひらに触れる。あいかわらずの温かい温度。寒さのせいか放しがたく、最後に一度きゅっと力を込める。

 春から随分と月日の流れた、冬のことだった。

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御伽噺にはなれない―お人好し文官と奇人魔術師の宮廷事件簿― 木原あざみ @azm_kino

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