桜色の君【KAC20247】
矢口こんた
第1話 淡墨桜(うすずみざくら)
4月15日、満開の桜の木の下で、ボクは空を見上げている。あの頃はあんなに高く思えた木の枝も、今では手を伸ばせば届く距離になっていた。
周りにはたくさんの桜の木があり、その淡いピンクと空の青が織り成す色彩は、まるで絵画のように美しい。
木の根元に腰をおろし、桜の向こうに視線を移すと、雲ひとつない空はとても澄んだ青。
どこまでも深く、広がる空を眺めていると、ちっぽけなボクは、その大きさに吸い込まれてしまいそうだ。
『桜が満開になったらここで会おう』そう、約束をしていた。昔を懐かしむボクは、いまここにいる。
――――――
初めて君に出会ったのは小学校2年生の春休み。神社の裏の公園に来た日のことだった。
前の年の春はとても綺麗に桜の花が咲いていたんだ。それから葉っぱが沢山出てきて元気いっぱいに茂っていた。でも、いまは葉っぱもなく、ただ枝だけが空に向かって伸びているだけで、とても寂しそう。ボクは粗くて硬い木の幹を撫でてつぶやいた。
「この木、枯れちゃったのかな」
どこか寂し気な木の枝をボクがしばらく眺めていると、真横から不意に明るい声が聞こえた。
「きっと元気だよっ」
上ばかり見ていて、君が近づいていたことに全く気づかなかったボクは、驚きのあまり「うひゃっ」って変な声を出しちゃったんだ。
「ふぇっ?」
その変な声に驚いた君も変な声をだすから、
「ぷっ! 変なこえ」
「えーっ、そっちが変なこえだよ」
って、お互いをからかいあった。
いままで見たことがない子だった。君の親が迎えに来て、ひとりになったボクは、近くの子じゃないのかな? また、会えるかなって思いながら家に帰ったんだ。
そして、その3週間後、何本もの桜が競い合うように花を咲かせ、公園は薄いピンクの花で埋め尽くされた。
ちゅんちゅんと雀がさえずっているなか、ボクはあの時の木を下から見上げ、「ふわぁ」と、思わず声にだしていた。すると、不意に真横から声が聞こえた。
「ねっ! 元気に花、咲いたでしょ」
「うひゃっ!」
上を見ていて君に気付かなかったボクは、また、おかしな声を出してしまった。
「あははっ、やっぱり変なこえ」
そうして君がお腹を抱えて笑っていると、桜の花がくるくる回転しながら、空から降ってきた。
きらきらした黒い君の髪に、淡いピンク色の花が、かわいく彩られる。
「また会えたね。今日、こっちに引っ越してきたの。よろしくね」
君はにこにこと明るい笑顔を見せた。ボクは髪に付いていた花がとても気になって、君の髪に手を伸ばした。
「ひやっ」
すると君は大きな目を瞑り、後ろに一歩飛び退いた。そして、おそるおそる目を開く君に、
「あ、ごめん。これが空から落ちてきたんだ」
ボクは、きれいな花を見た君がどんな顔をしてくれるのか楽しみにして、そっと君に桜の花を手渡した。
「え? 花びらじゃないんだ……。この花、突然、ちぎり取られたんだね、きっと」
ずーっと笑顔だったのに、君はなにか思い出したかのように、しゅんとして、瞳を潤ませる。
空の青さに映える桜色に、じんわり灰色が染み込んでいくように見えた。
手ひらに花をのせ、どこか寂しげな君の表情にボクは、「大丈夫?」と声を掛けることしかできなかった。
その後も、ボクたちはこの公園で度々出会った。花が散り、緑の葉が生い茂る。葉は枯れ落ちて、雪が積もる冬へ。季節の移り変わりとともに、ボクたちの距離も少しずつ縮まっていったように思う。
数年が過ぎ、ボクたちは中学2年生になった。
二人でいると周りに冷やかされ、なんだか一緒に居るのが恥ずかしいことだと思い、避けるようになった。
それでも、中3の春。同じ桜を見上げているボクに、君は音もなく現れ、不意に声を掛けてくる。
「うをっ!」
「やっぱり、今年も変なこえだ」
「なんだよ……、なんかようか?」
「ううん、なんでもない……」
君は、にぃとはにかんだ笑顔を見せた。
ボクの心臓がドクンと跳ねた。そして、君の桜色の笑顔が、どんどん灰色に染まり、ちゅんちゅんと雀のこえが聞こえてくる。
空からくるくると回転して花が落ちてきた。風に吹かれ自然に舞い散る花弁ではなく、突然、ちぎり取られた桜の花……。
「あ、やっぱり伝えなきゃ。あのね……」
桜色を取り戻そうと、無理に作る君の笑顔を、ボクは直視できなかった。頭の中が真っ白になっていたんだ。
「明日、遠くの街へと引っ越しをするの」
君はボクに告げた。そして、別れ際に、
「でもね、ここにはまた来るはずなんだ。春になったら……、桜の花がいっぱい咲いたらね。だから、その時はここでまた、こうして桜を見上げててね」
はっと、思い、ボクが見た君の笑顔は、空の青さを背景に、儚げで淡いピンク色を取り戻していた。
「――――っ!」
息を呑むボク。
そして、背を向ける君。
遠ざかっていく君の背中を、ボクは何も言えず、見ているだけだった。
それから年が過ぎ、今年も満開になったあの木の下でボクは桜を見上げている。
あの時、「またな」や「元気でな」すら言えなかったことが棘となり、ボクもこころをチクリと刺した。
昔と変わらない空の青さに淡いピンクが映え、どこからかちゅんちゅんとすずめの声が聞こえる。
桜の花が、くるくると回転しながら空から落ちてきた。ボクは両手でそっとその花を包み込む。
目を閉じると、いまでも瞼に浮かぶのは淡い桜色。遠くから、君の声が聞こえたような気がした。
桜色の君【KAC20247】 矢口こんた @konta_ya
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