はじまりは赤い靴
野村絽麻子
*
ある日、いつものように疲労感を伴いながら出勤する朝の通勤路で、見慣れない店を見つけた。靴屋だった。私は自分の足元を見た。靴は、踵がすり減り、つま先には傷がつき、全体的に薄らと汚れている。
「靴、か……」
幸いにも靴屋は開店している。買っても良いのかも知れない。疲弊した自分へのご褒美にしようか。そう考えるとそれが良いような気がしてきた。
「ごめんください」
ガラリと戸を開けながら、店の中に足を踏み入れた。
*
「危なぁぁあああいっ!! どいて下さァァアいッ!!」
絶叫だった。店から躍り出た私は絶叫しながら、しかし足はひらりと水平に持ち上がるとそのまま身体ごとくるくると回転し始めた。回転方向に踵。遠心力、やばい。焦る。セーブが出来ない。て言うか、身体が勝手に動くのだ。そう、今の私は靴によって操作された
バス停に並んでいたお客さん達を順に薙ぎ倒し、コンビニに来店しようとするお客さんを弾き飛ばし、駅から流れてきた乗客達を次々としばき倒していく。
すわパンチラかと鼻の下を伸ばそうとした男は一瞬の隙もなく側頭部からの打撃を受けてすっ飛んだ。パンはチラしているのかも知れないが、それを目視する前には既に息が失くなっている。そんな有り様だった。
「馬鹿野郎っ!! 命が惜しけりゃ逃げて下さいっ!!」
私は獣のように咆哮を上げる。危ないんです避けて。逃げて。あ、でも視界にちらりと入る駅の時計はいつもの電車がくる時刻を告げている。行かねば、職場に。何故なら私は社会によってそう躾けられた従順すぎる社畜なのだから。
ごった返す駅のホームの中を整列乗車のポジション目指して移動する。その間にも周囲からは悲鳴が上がり続けた。長年社畜をやらせて貰っているけれど、こんなにテンションの高い朝は初めてです。
あ、あれは駆け込み乗車キメてやろうと逆走しながら駆け込んで来た我が物顔の駆け込み乗車常習犯だ。私の腕は自然と伸びて彼らの首を水平に薙いでいく。ラリアットどころの話じゃなかった。けれど、もう靴の一部となり得た私の致すところなので誰にも止めることは出来ない。
「駆け込み乗車は危険ですぅぅううっ!!」
再びの咆哮と共にちょうど定刻通り滑り込んで来たいつもの電車に飛び乗ろうとしたものの、靴は地を蹴り、私の身体はしなやかに跳躍する。着地は電車の上。いくらなんでも電車の上は危険が過ぎる! ミッション・インポッシブルでもあるまいし。乗車を。少しでも常識的な出勤を。
とにかく車掌室のドアに手をかけて車内に身体を滑り込ませたが最後、申し訳ないことに車掌さんは0.5秒で吹き飛んだ。その勢いのまま最後尾から順繰りに悲鳴と怒号が上がる暴力列車が走り出す。吊り革から吊り革へとまるで空中ブランコさながらの飛躍。その度に窓から吹き飛んで行く乗客の皆さん。
「偶には途中下車も乙なものですねぇえぇえ!!」
返事はない。職場の最寄駅に着く頃には私の靴は真っ赤に染まっていた。これぞ赤い靴の真実。いや、知らんけど。
入館証をセキュリティに叩きつけるとそのままタイムカードを打刻するなんか、あの、とにかく機械を破壊。あぁん、ちゃんと出勤したのに打刻出来ない。この靴ったら暴れん坊さん! 後で部長にハンコ貰おう。
事務所の戸をぶち破りながら出勤。図らずも憧れのエクストリーム出勤をしてしまった。
「おはようございまァァアすっ!!」
いつもはほとんどスマホのバイブ程度にしか返して貰えない挨拶も、今朝は元気な悲鳴が出迎えてくれる。なぁんだ、声、出るんじゃん。知らなかったな、そんな声してただなんて。トゥンク。
なんて言ってる暇もなく真っ赤な靴に引っ張られて私の身体は引き続きぐるんぐるんと猛旋回。進路上にあったコピー機がすっ飛んで立ち上がりかけた課長を直撃。あ、お腹へこみましたね。並びのデスクは部長にめり込み、お局さんにはモニタが直撃。引っ張られたLANケーブルが同僚を薙ぎ倒し、あぁん、だから無線LANにしましょうって申し上げましたのにぃ。
部屋の隅で怯えながら震えている新人ちゃんにもご挨拶。なかなか職場に馴染めないって営業の男性社員に相談してたみたいだけど大丈夫、すぐ、楽になるわ。あとついでだから教えちゃうけど、あれ私の彼氏なの。うぅん、いいの、もう別れるから。あなたにあげる。新人ちゃんは嬉しそうな悲鳴を上げながら窓の外へと飛び出した。そうかぁ、天にも昇る心地ってやつね。でもここ八階なんだぞ。うっかりさんめ⭐︎
タイミング良く現れた出入りの業者さんが床に平伏してるんだけど、でも私ね、縦移動も大丈夫みたいなの。私の回転は新体操の選手の如く斜めに傾いで薙ぎ払う。低姿勢、やれば出来るんだね。知らなかったな。
そのままオフィスのみんなに挨拶回りしていたらお仕事できる状況でもないみたいだったので、今日は早退することにした。ついでだし、溜まりまくってた有給も纏めて取得させて頂きまぁすっ!!
「どうしよう……何だか楽しくなって来ちゃった……!?」
いまや私の身体は血液がどくどくと音を立てて巡り、頬は薔薇色に上気している。あんなに冷え性に悩んでいたのに。白湯より、ホットヨガより、ピラティスよりも、暴力が健康に良いなんて知らなかった、ナ。
暴力、暴力、暴力!!
こうなったら、これを世界に広めちゃおうかな。憧れのインフルエンサーにだってなれそう。私は進行方向を成田に定めると、スマホから航空券の予約をしながら突き進んだ。新しい時代の幕開けかも知れない。いや、知らんけど。
はじまりは赤い靴 野村絽麻子 @an_and_coffee
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