キャメルの調べと薫る夏

@fukusuibon

キャメルの調べと薫る夏

「今日も遅かったね。」

君は運転席の窓を開けて僕に微笑む。

笑った時にだけ。

その時にだけ見える柔らかな笑窪が、

ずっと眺めていたいほどに可愛らしい。

窓から漏れるキャメルの白煙が

熱帯の空気を帯びた街に溶けると、

僕らの世界は幾分か

息がしやすくなった気がした。


こんな関係が何時までもずっと、

ずっと。死んでしまう時まで

続いてしまえたなら良いのに。

助手席には血色の良い、

真っ赤な花々が

束になったものが転がっていた。

丁寧に結ばれたリボンを

まるで他人事のように眺む。

車内は相も変わらず真っ白で、

まるで新車のように綺麗に管理されていた。

僕は今日も君の斜め後ろの

後部座席に腰を下ろす。


僕らを乗せた車が

ゆっくりと風を切っていく。

緩やかな時の中で、

微かな君の変化でさえもを

逃しまいとする僕の意識は研ぎ澄まされる。

車内にはいつものように

『クレオパトラの夢』が流れていた。

ピアノの歩みに呼応するように

街の景色が流れては消えていった。

少しくぐもった視界の中、

君の左手の灯火が柔らかく光った。


「もしも今から僕が、

死ぬって言ったらどうしてくれますか。」


君の長髪が、少し空調にそよいで。

それでも前を向いたまま。

僅かに開いた口元から漏れる白煙が

少し冷えすぎた車内を微かに温める。


「一緒に死んであげよっか。」


そう言って君は緩やかにブレーキを踏んで、

僕の周りの景色は静かに停止していく。

小さな赤色が前方に見えた。

君が振り返った時、

僕は適切な表情を選べなかった。

きっと酷く不親切な顔をしていたと思う。

君はダリアの花のように可憐に、

短く笑った。花のように美しく。

けれども花はずっと咲いていてはくれない。

最後のドラムロールが終わって

次のナンバーが流れ出した。

僕の知らない、甘ったるいだけの

ピアノの調べがやけに硬く車内に響いた。


僕らはそうして長いドライブを終えて。

君が「またね。」と手を振って、

その左手に静かに視線を戻した時。

僕らは永遠に分かたれていった。

そして、元ある場所へと帰っていった。

夜蝉が僕を見下ろして、

生温くなった空の星の微熱を

僕に教えていた。



藍色の視界が眩んで、強い橙が瞳を揺らした。

窓の外から冷たい風が囁いていた。

金管楽器で柔らかに旋律をなぞった

クラシック音楽が流れる。

『クレオパトラの夢』が流れる事はもうない。

彼女の影が揺れるカーテンの隙間に見えた。

静かに薫るキャメルの音に耳を澄ませ、

小さく、とても小さく息を吸い込む。

僕はきっとこれからもずっと。

あの呪いのような美しさに。

刹那主義的なこの愚かな感情に。

一生を揺すぶられて生きていってしまうんだろう。

足元に転がった吸殻と、

遠くに小さく見える灯火のような紅の葉。

溶けだした白煙は

あの日よりも色濃く空を舞っていた。

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