青いようで黒い春

十三番目

どす黒い青


 子どもの好奇心とは恐ろしい。

 まだ倫理観の育っていない脳には、生物に対する純粋な興味が山ほど詰まっている。


 慈愛も、労りも、扱う手の優しさも。

 今でこそあるつもりだが、あの頃の私にはかなり欠けていたのだと思う。


 公園の草むらで蝶を捕まえた日。

 私は蝶の羽を一枚一枚千切っては、地面へと放り投げていた。


 ヒラヒラと落ちていく羽根が綺麗で、また一匹、蝶を捕まえる。

 今度はもっと、羽の色が綺麗だった。


 現在の私からすれば考えられない行動だ。

 むごいとも思うし、何よりもう蝶には触れられない。

 それどころか、小さな虫にさえ悲鳴をあげるほど、大の虫嫌いになっている。


 ぷちりぷちりと四枚の羽根が千切れて、見る影もなくなった蝶の細長い何かを、私は興味がなくなったとばかりに捨てていた。


 胴体の部分がポトリと地面に落ちて、そこから先は知らない。


 ただ、蝶の命がそこで終わった事だけは確かだった。



 中学生になると、途端に周りが色めき立つ。

 ラブレターや校舎裏の告白。

 バレンタインなども盛り上がっていた。


 相手が出来ただけで周りよりワンランク上になったような態度が、やけにくだらなくてわらえていたのを覚えている。


 青春なんて言葉があるが、きっとその青は青臭いの青だろう。

 なんて事を考えてしまうほど、私の青春も大概青臭かった。


 中学生になっても本ばかり読んでいた私は、ある日を境にクラスの性悪グループから目をつけられた。

 粘着質で陰湿な、女子ばかりのグループだ。


 教室でいつも本ばかり読んでいる私は、彼らにとっていい暇つぶしになったのだろう。

 読んでいた本を取り上げられるのは良い方で、制服をトイレに捨てられたり、上履きを焼却炉に入れられたりした。


 子どもとは本当に恐ろしいものだ。

 そんな事をしながらも、彼らはいつも笑っていた。

 私の様子を見て、大人とは違う、ただただ楽しそうな笑みを浮かべていた。


 けれど私も子どもだった。

 それがどれだけ倫理観から外れた行為なのか、私自身、まだよく分かっていなかったのだ。


 彼らの悪戯にいちいち傷ついて、余計に彼らを喜ばせている。

 そう思った途端、自分のことが大嫌いになった。

 そして同時に、初めて誰かに殺意というものを抱いた。


 あの蝶のように、彼らの四肢を一つずつ切断して、胴体だけにしてやりたい。

 動けなくなった彼らを、ゆっくりと焼却炉の中に押し込んでしまうのだ。


 授業中、ふとそんな想像が頭をよぎった。


 興味が湧いた。

 いつも下品なほど騒々しい彼らのことだ。

 きっと素晴らしい悲鳴を上げてくれるに違いない。


 その日から、私の想像殺害が始まった。


 水筒の中にゴミを入れられた時は、毒殺を想像した。

 ムカデなどの虫をすり潰して彼らの水筒に入れれば、毒にあたって死んでくれるかもしれない。

 なんて事を考えていた。


 面と向かって悪口を言われた時は、絞殺を想像した。

 気道が塞がれれば、汚い言葉が喉を通る事はない。

 汚染された口で、他の誰かを傷つけることもない。

 そんな風に考えていた。


 けれど、想像は想像でしかなかった。

 現実は変わらない。

 それでも、耐えられる理由があったのだ。


 本の世界は、私を虐めたりしない。

 感じる喜怒哀楽は純粋で、価値のあるものばかりだった。

 青い空の下ではしゃぐ事が彼らの青春なら、こうして本の世界に入り込んで、物語の海に飛び込む事が私の青春なのだと。


 そう信じて疑わなかった。


 私の青に、手を出されるまでは。



 思えば、私は活字中毒でもあったのだろう。

 言葉遊びやギミックが大好きで、父のダジャレにもよく笑っていた。


 母は寒い寒いと溢していたが、多分私は、ダジャレを言葉遊びの一貫として捉えていたのだ。

 今でも変わらず、父のダジャレにツボっていたりする。


 面白いと思えた言葉をノートに書き出しては、犬のようにも熊のようにも見える小さな絵を横に添えていた。

 付け加えるなら、私に絵心はない。


 面白い言葉に出会うたび、ノートにどんどんと書き込んでいく。

 別のページには本の感想や、ちょっとした妄想を書いたりもした。


 その日も、いつものように机の引き出しからノートを引っ張り出し、意気揚々と鉛筆を握った。


 青い表紙のノートは、半分が黒に染まっていた。


 太い黒のマーカーでぐちゃぐちゃと引かれた線が、ノートの外だけでなく、中にも沢山引かれている。

 漠然と、ああ虐められてるんだと思った。


 彼らにとってはただの悪戯、遊び、暇つぶし。

 幼い私はターゲットにされた不幸を憂う事はあっても、それを虐めと認識し切ってはいなかった。


 耐えていれば、いずれ彼らも飽きて去っていく。

 そうすればきっと、私の傷も癒える。

 そう信じていた。

 そう信じて、疑わなかった。


 結局私も、あの蝶と何ら変わりはなかったのだ。


 彼らにとって、蝶も人間も大した違いはない。

 羽を千切ることが何を意味するかなんて、きっと考えたこともないのだろう。


 真っ黒に潰された文字の隙間に、彼らへの憎悪を書き殴っていく。

 抑えきれない感情と、汚された青に触れながら、自分の心がどす黒く染まっていくのを感じていた。



 そうして、私の青は黒に変わった。


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