虹は幾何やで

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話

 京都の夏は、暑い。

 四月末から夏日になることもままある。時には、十一月になっても。

 そういう訳で、帯解おびとけ研究所では四月から十一月までクールビズ(でもよし)期間である。ただし、高級別荘地の中にあるので、街中より暑さはマシであるのだが。

 さて、甥のクールビズスタイルである。

「あのさ、帯解」

「うん?」

 華麗に、振り返る。Tシャツには、「虹は幾何やで」の筆文字と虹のイラスト。

「何そのTシャツ」

「ああ、これか」一気に、破顔する。くそう、可愛いやつめ。「数学雑誌『数学こそ愛』で、通信販売されている。以前、さかえお兄ちゃんがコラム連載していたときの復刻版なんだ。あ、これ、お兄ちゃんの揮毫な」

 キラキラした瞳で、訳の解らないことを宣うなあ…。

「え、何。もしかして、京終きょうばても欲しいのか」

「ううん」

 舌打ちする帯解。びくっとする。

「虹って、物理だろ」

「数学だよ! だって、『数学の秘密の本棚』に書いてあるもん」

 むくれる。めんこいなあ…。ほわほわしていると、手近なホワイトボードの前まで連れて行かれる。

「まさかとは思うけど、みつお兄ちゃんはお空に虹の橋がかかってるとは考えてないよね?」

 意地悪されても、愛らしいなあ…。

「『蟲師』の虹郎じゃあるまいし」

「だれ?」

 うん、こっちの話と呟く。まあ、あれは橋というか蟲だしな…。

「太陽(光源)、雨粒のスクリーン、そして人間の目。この三つがあって初めて虹が視えるんだよ。位置関係も大事」

 こちらも、指差し確認する。

「あれ? もしかして、虹って構造色なの?」

「うん。だって、空が赤かったり、黄色になったりする訳じゃないだろ」

 大変な発見をしてしまった。

「いや、たまに美大で学生に尋ねられるんだ。構造色って、結局、何なのと」

「虹だよ」

 さらりと言う。

「そうかあ。構造色とは、『私』がいないと視えないものなんだな」

 ええ~、しゃぼん玉と蝶々の羽根と虹って一緒なのかあともらす。

「まあ、だから、幽霊もだよね」

「幽霊!?めいちゃん、科学者でしょ!?」

 ずさっと、後退る。

「さて、どうかな。これで、蜜お兄ちゃんにも視えるようになったかもね」不敵な笑み。

「めいめいが意地悪する…」

 両手で顔を覆う。帯解が近寄り、ぽんと肩を叩く。

「涼しくなったでしょう」

「うん」

 微妙なTシャツだけど。目を逸らす。

 帯解が、すぐ気付く。

「これは、ロマンなの! 非数学愛好者に、『虹』の構造を布教するものなの!」

 がっくんがっくん肩を揺さぶられる。

「わかった…。わかったから、やめて…」

「どうやら蜜お兄ちゃんには、数学的素養が足りないと見える」

 よし、これから数学の課題図書を探しに行こう。不吉なひとりごと。

「あの、明ちゃん?」

 恐る恐る顔を見上げる。

「大丈夫。僕の部屋には、楽しい数学の読み物もたくさんあるんだ」

「はい…」

 明ちゃん今日いちばんの笑顔だった。





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虹は幾何やで 神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ) @kamiwosakamariho

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