第9話





 誘拐されたあの日から、何日経ったのか分からない。食事に薬でも盛られているのか、太陽が出ているうちに目が覚めることはなく、目が覚めても夜の二、三時間程しか起きていられなかった。

 日常を送ることも困難で、苛立ちが募る。


 座り心地がよい高価そうな椅子に座って、香りが華やかな紅茶を飲む。

 丸テーブルを挟んだ先には、嬉しそうに私を見つめるライオスが座っていた。


 私は飲みながら、じとっとした目付きで目の前のライオスを睨む。起きている時間はずっとライオスが付きまとい、甲斐甲斐しく私の世話をやいていた。正直うんざりしている。


「ライオス、あなた学校は?」

「退学したよ」


 さらりと爆弾発言する彼に、目を目を剥く。


「貴族なのに、大丈夫なの?」

「家の交流目的だから退学しても問題ないんだ。実際結婚して辞める人多いしね」


 カップを持って紅茶を啜るライオスは様になっていて、どことなく気品を感じる姿だった。

 カップをソーサーに置くと、立ち上がって私の前まで歩み、そのまま跪いた。


 身構えて、声が震えないように精一杯虚勢を張る。


「……なに?」

「もう、クロエはどこにも行けないね」


 心底嬉しそうに言う言葉に、唇を噛む。誰のせいで、私が、まだこの街からも出たことがないのに。


「…………っ誰のせいで!」


 平手をしようとして手を振りかぶる。すると、跪いたままのライオスは振りかぶった手を余裕な笑みで取って、私の掌に口づけを落とした。

 

 掌の次は手首、そして手の甲と順番に口づけされる。手の甲に口づけながら私をじっとみつめるライオスの瞳の、火傷しそうな熱量を受け止めきれなくて、ほとんど無意識的に手を振り払った。その瞬間、爪が彼の頬をかすめてしまう。

 

「あっ……ごめ」


 ライオスは無表情に頬の傷口に指を添えて、血を広げ、血の染みた親指で私の唇をなぞる。


「僕から離れていくなら、いっそ、君を殺してしまおうか」


 歪んだ笑みを浮かべたライオスは、立ち上がり、私の首を両手で掴んで、椅子の背もたれにドンと押しつけた。


 ギリギリと締めつけられる。そういえばまえにもこんなことあったな、息苦しさに目を細めてライオスを見る。

 

 反射的に頬に手を伸ばした。


「なんで泣いてるの?」


 私の言葉にライオスがはっとするような表情を浮かべて、みるみるうちに首にかかった両手の力が弱まっていった。


 伸ばした手で涙を拭うと、ライオスは私の首から手を離して、前髪をくしゃりと握りこみ、その場にしゃがみこんだ。


 余裕綽々な態度から一変、意外な涙を見せたライオスをまじまじとみつめる。指の隙間からライオスの瞳と視線が交錯した。


 秒で逸らすと、


「…………僕から逃げないでよ」


 ライオスが不満げな声を上げた。


「だとしても、誘拐は駄目でしょう」


 そっぽを向いて、ライオスを拒否する、


「どうすればよかったんだ」


 はぁ、と呆れた視線を送る。

 どうすればいい、だなんて私に聞くのか。誘拐した私に。少し考えてライオスの月明かりに輝く赤い瞳を見つめ返す。


「じゃあ、優しくして」


 ライオスに、満面の笑みを向ける。


 私の久しぶりの笑みに目を見開いたまま固まったライオスを放って、椅子から立ち上がり、ふかふかなベッドに座り直す。


 混乱した様子でも、しっかり私についてきたライオスがベッドの隣に腰かけた。


 この男は……ライオスは…………危険だけど、可愛そうだ。不器用で、極端で、愛の伝え方が分からないのだろう。


 なんだか、少し可愛いと思ってしまった。ふふ、と一人で微笑むとベッドの上で膝立ちになって、隣に座る彼の頭を撫でた。黒髪が指に絡む。


「えっ、クロエ……なにしてるの?」

「優しくしてるの」


 ライオスは初めこそ驚いたように目を見開き、動揺を見せるも、目を閉じて私に寄りかかり、大人しく撫でられていた。

 なにしてるんだろ、私。なんだかライオスが怖くて、でも可愛そうで、ただ、そうしたいと思ったのだ。


「まずは私から優しくしてあげるわ」


 ライオスを抱き寄せて、撫でるのをやめる。今度は私の肩口に顔を埋めるようにして、もたれかかってきた。


「だから私にも優しくして」


 返事がない。この野郎、私に優しくしないつもりか?


「クロエ……どこにも行かないで……」


 ライオスは肩にもたれた頭をぐりぐりと押しつけてきた。


「馬鹿ね。それに私はあなたと結婚するんだから、逃げないわよ」


 そう言うとライオスは、脳天に一撃食らったような呆然とした表情を浮かべ、またフリーズした。


「え?」

「ただし、これから言う三つを守ってくれたらね」

「ああ、なんでも言って」


 ライオスはその赤い瞳を輝かせながら身を乗り出した。


「私、国外旅行したいし、この部屋からも出たい」

「新婚旅行に行こう」

「それに、貴族の何かはしたくない。もししなければならないなら、正妻を迎えて。私は愛人でもいいわ」

「僕の妻はクロエ一人だけで十分だ」

「これが最後、一生養って。もう働かなくていいようにして」

「勿論だよ」


 身を焼かれそうなほどの恋情を秘めた瞳が近づいてきた。遮るように瞼を閉じて、それを受け入れる。


「クロエ、愛してる」


 ライオスが幸せそうな笑顔で、私の唇から離れたあと、懐から小さな箱を取りだして、私の薬指に指輪を嵌めた。


 薬指に光る指輪をみつめる。左手が妙に重くなるも、これからつけるものだから慣れるだろう。


 どうせ逃れられないのだから、少しでも生きやすい結末がいい。


 優しく、花を扱うように正面から抱きすくめられる。窓から差し込んだ月光が、埃を反射してきらきらと輝いていた。




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モブですが黒幕に執着されています @eri_han

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