第8話
目が覚めると、見知らぬ天井が広がっていた。ぼんやりと意識が覚醒しないまま、上体を起こす。
「…………ここは」
部屋を見渡すと、明らかに高価なものとわかる調度品や、品のいい家具が配置されていた。見覚えのある部屋に一気に脳が覚醒していく。
「ここは!」
この部屋は、ライオスの私室だ。ギルドではなく、アシュリー家の。
直近の記憶が蘇る。そうだ、私は逃げようとして、ライオスに攫われたんだ。あれからどのくらい時が経ったのだろう。窓から見える外は真っ暗な闇の中だった。雲の切れ間から、月明かりが差し込んでくる。
月光を明かりとして何となく自分の服を見ると、街娘風ワンピースからお嬢様が着るような絹のネグリジェに着替えられていた。カッと頬が熱くなる。誰かに着替えさせられたのだ。
気にしていても始まらない。ブルーサファイアのネックレスは手元にあるのだから、これ以上望むまいと、気持ちを切り替えて、ベッドから飛び降りる。
その瞬間、部屋のドアが開いて、ライオスが靴音を響かせながら入ってきた。
「ライオス」
「もうお目覚めかな、クリス」
その名前に鋭く息を呑んだ。
「なんで、私の名前……」
「知ってたよ、もっと前からね」
馬鹿な問いが口をついて出てしまった。ライオスは長い脚で私との距離を詰めてくる。思わず後ずさりしようとすると、またベッドに座り込んでしまった。
「でも君はクロエの方が好きみたいだったからさ。僕もそう呼んでいたんだよ」
瞼に唇が触れそうな距離まで近づいてきて、ようやく実感を得られた。この男は裏の世界の人間だったと。
「ここはどこ? 私をどうするつもり?」
「ここは僕達だけの箱庭だよ」
「箱庭って……」
「そう! もう家督を引き継いだからね、クロエと僕だけの秘密の箱庭だよ」
目を細めて、喉の奥で笑うライオスに、ぶわっと冷や汗が浮かぶ。身体の震えが止まらない。
「じゃあ、私のことはどうするの?」
ライオスは逡巡した素振りを見せたあと、にこりと微笑んだ。
「クロエはここで、僕と死ぬまで二人きり」
純度の高かった赤い瞳は、昏い感情で濁ったような瞳となっていた。背筋がゾッとすると、咄嗟に両手で目の前に立つライオスを押して逃げ出した。
扉に向かって一目散に駆ける。必死の思いでドアノブを捻るも、鍵がかかっているようで開くことはなかった。
閉まってるってわかってた。でも、早くここから去りたかった。
扉の前でぺたんと座りこんでしまうと、ライオスが後ろから強く抱き締めてきた。
「クロエって本当に可愛いね」
脱力して、何も抵抗ができない。
「逃げ出せるはずないだろう」
そう言うと、ライオスは腕に込める力を強めた。
「痛いわ、ライオス」
「それで?」
「離してよ」
ライオスは返事をせず、生暖かい吐息が私の首筋にかかったあと、うなじに痛みが走る。
「痛いっ」
「うん」
うなじを噛まれた。その衝撃にぽかんとしていると、ライオスは私の背と膝の裏に手を伸ばしてひょいと軽々しく持ち上げた。
「きゃあ」
俗に言うお姫様抱っこで、ベッドまで連れ戻される。そっと宝物を扱うように、優しく丁寧にベッドに降ろされた。
また逃げ出そうとする私に、どこに行くのと腕を引っ張ってライオスは、背を向けた私をそのまま腕の中に閉じ込めた。
体格差ですっぽり収まっているため、ライオスの体温を全身で感じる。
「離してよ」
「嫌だ」
さっきまでの優しく扱ってくれるライオスはどこに行ったのか、骨が軋むほど強く抱きしめられた。思わず瞳に涙の膜が張る。
「痛いって」
「うん」
「なんでよう」
「痛いね」
「うぅ、ライオス……」
「うん、ごめんね」
「なんで私なの」
「ごめん」
押し問答を繰り返している間、ライオスは執拗に私の手を自分の頬に擦り寄せた。
「愛してごめん」
そう言うと、ライオスは私の赤くなった目尻に溜まった涙を、キスして拭った。
「あ……あなたっ……」
箍が外れたライオスは、思わず腰が引けるほどの熱烈な愛を伝えてくる。
やっと彼の抱擁から抜け出すと、月明かりに反射した彼の赤い瞳が奇妙に輝いた。
「あぁ、そうだ。これを嵌めないとね」
どこから持ってきたのか、嬉しそうな顔で私の足に足枷を嵌める。眠っている時にできたはずなのに、今やるなんて、わざと見せつけているのだ。
ガチャンと音がして、足首にひんやりとした金属の感覚がつきまとう。
「私のこと好きなの?」
「好きだ。君がいなかったら死んでしまうほどね」
「…………そう」
ライオスは静かに私にブランケットをかける。
「君が見るのは僕だけでいい」
瞼にライオスの手が近づいてきた。反射で目を閉じると、急に眠気が襲ってきた。
「……まって」
「おやすみクロエ。いい夢を」
額に口づけられたあと、意識が反転した。
◆◆◆
規則正しい寝息に、口元が歪に弧を描く。
クロエの泣き顔を反芻する。扉の方に逃げ出したあとも、本当に可愛かった。
クロエに視線を向けると、長い睫毛を伏せて、穏やかな顔で眠っている。僕をみつめるときの顔は、こんな顔をしていないのに。
「僕しかいなくなればいい」
クロエの顔にかかった髪を横に流して、その指の背で輪郭をなぞる。
離したくない、離れたくない。生殺しなんて、どうにかなってしまいそうだった。
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