第31話 或る御伽話

 常に厳かながら柔らかい笑顔を浮かべている、彫りの深い老人。

 しかし今に限って、彼は何の表情も浮かべていなかった。

 ヴィオラは喉から出かかった冷やかしの言葉を飲み込む。

 少なくとも、男の瞳には確からしい未来のビジョンが映り込んでいるようだった。


「アンドレアさん」

「なんだ、ボス」

「私はジェムストーンマフィアのボスとして、ギルドと対立したくはありません。しかし、裏切りにも似た行為を取られたからには説明責任が生じるのも当然だと思いませんか?」

「……」


 アンドレアは口をつぐみ、アレキサンドライトを見つめた。

 反論の余地はない。


「あぁ、そうだな。ボスの言う通りだ。オレも、この提案がどれ程一貫性のない行為か分かってる。悪かった。この通りだ」

「……はい」


 意外にも彼は、素直に頭を下げていた。

 見苦しく反論に徹すると思っていたわけではないが、彼の白くなった後頭部は、後ろを歩いていればいつも見えるものなのにどこか新鮮だった。


「だが、1つだけ訂正させて欲しい。今の俺は、ギルドを代表するグランドマスターとしてここに立っているわけじゃあない」

「何を仰っているんですか?」

「金鉱の中で、“フトゥーロ”って知ってるか、って聞いたのは覚えてるか?」

「勿論、忘れてはいません」


 フトゥーロ。

 未来。

 あの時、切羽詰まっていたのもあるが、答えは皆目見当もつかなかった。

 そしてそれは、今も同じだ。


「答え合わせをしよう。“フトゥーロ”は、お前の親父さんが作った金鉱調査の為の秘密組織だ」

「え?」

「びっくりだろ?びっくりだよな。初めて知った時はオレも椅子から転げ落ちたもんだ。しかも大事なのはそこじゃねぇ」


 そう言うと、彼は後頭部を掻きながら病室に足を踏み入れた。


「何年前だったか……オレがグランドマスターになって日が浅い頃、突然親父さんにギルドから人員を借りたいと言われてな。当時は腐る程優秀な職人が居たもんで、特に理由は聞かずに貸し出したんだが」

「……」

「そいつらは何ヶ月経っても帰ってこなかったんだ。家族に対する対面もある、流石のオレも痺れを切らしてアイツを問い詰めた。オレの職人どもはどうしたってな」


 誰もが、アンドレアの言葉に耳を傾けている。

 頑なで口の重い職人が、珍しく自ら説明をしているのだ。真偽は兎も角として、一字一句聞き逃すわけにはいかなかった。


「その時聞かされたのが、“フトゥーロ”の存在だ。開かずの扉に触れるのは禁忌を超越するも同義だが、アイツの剛腕に掛かれば反対意見なんて無いようなものだった」

「父がそのようなことを……」

「事実さ。後々嫌でも理解するよ。まぁ、それでな。組織の最終目標は、山の奥底に眠る怪物をどう処理するべきなのか解明することだった。彼の生存中、実際にチームを引き連れて金鉱の中を調査することは叶わなかったが、それでもオレや彼——」


 アンドレアの視線が扉の方へ動く。

 そこには、いつの間にかもう1人の演者が眉間に皺を寄せながら立っていた。


「そしてこのいけすかねぇジジイが持ち帰った幾つかの情報は、分析が得意な職人達によって研究され、その性質や成り立ちというものを明らかにしたのさ。なぁ?」

「……」

「クリスタルさん」

「失礼。只今戻りました、ボス。それで、この態度の大きい白髪頭はどうしてこんな病室でタラタラとご高説を?」

「オイオイ、その白髪頭ってのは褒め言葉だよな?誰かさんみたいに禿げ上がるよりかはダンディでカッコ良いだろ?」


 クリスタルの深い溜息が虚空に吸い込まれていった。

 なんというか、この2人。

 罵倒しあってる間だけ、精神年齢が後退しているかのようだ。


「ま、髪の話なんてどうでも良い。話を戻そう。ってなわけで、裏では君達の言う“紅き血潮の天輪アクワルタ・クワルナフ”に関する研究が進んでたわけだ」

「しかし、あなたの説明に基づけば、父は結成してすぐに亡くなっているはずです。にも関わらず、あなたは……少なくとも私よりもずっと天輪に対する知識を持っているように見える。それはどうしてですか?短時間の間に、あれ程の存在の謎を解き明かすなど不可能なはずです」

「そうだな。ボスの仰る通りだ。ぐうの音も出ない」


 ぐうの音も出ないという言葉は、基本的に効果的な反論が存在する場合にしか使われないものである。


「ただ、その組織を引き継いだ人間が居るとしたら?そして、引き継いだ人間が長い時間をかけて研究を続けさせていたとしたら?」

「……」

「ま、ボスはオレなんかよりもずっと英明だ。ここまで言えば大体分かってくれるだろうが……詳しい話は現地でしよう。その方がずっと、建設的な話し合いができるはずだ」


 男は立ち上がり、ポケットから皺の付いた紙を取り出して差し出した。

 暫時迷いを見せた後、アレキサンドライトはそれを受け取って開く。


「ムラ……トリオ?」

「職人ギルド本部の受付にこの紙を渡してくれ。担当の人間が、地下の研究所まで案内する。オレは先に行って用意しなきゃいけないもんがあるんでな」

「……」

「まぁ、強制はしないさ。だが、打つ手に困っていた所だったんだろ?」


 歳に見合わず、真っ直ぐに伸びた背中が彼の意思を裏付ける。


「オレを公的な罪に問うのは、全ての問題が解決してからでも遅くはないはずだ。待ってるぞ」


 そして、嵐のようにアンドレアは去っていった。

 ただ遠ざかっていく足音だけが響き渡る。

 その間、誰も口を開こうとはしなかった。

 空気が重いというわけではない。ただ、声帯が奪われてしまったかのように、声が出なかったのだった。


「……チッ」


 わざとらしい、大きな舌打ちが鳴った。

 ヴィオラである。


「あーあ。あの野郎、好き放題言って去っていきやがったな」

「咎めるのは私の役割ですが……ふぅ、申し訳ありません。ここ最近、謝ってばかりですね」

「なんだよ。とうとう鋼鉄のアレキサンドライト殿の心にも亀裂が入ってきたか?」

「まさか。少なくとも、マフィアのボスの座に就いている間は折れるつもりなんてありませんよ。全てを賭して、この都市を守るつもりです」


 立派な言葉だ。

 文字だけ見れば、さぞ頼りがいのある台詞に見えるに違いない。

 ただ、その声には一切の覇気がなかった。


「ボス、1つよろしいでしょうか」

「どうされましたか?」

「私は……アンドレアの言葉通り、金鉱の調査に関与していました」

「はい。そのようですね」

「弁明は致しません。アンドレアと同じように秘密を理解しておきながら、ボスに開示しなかったことに関しては糾弾されて然るべきでしょう。しかし、烏滸がましくもあなたの後見人を務める身として申し上げるべきことがございます。本来このことは墓場まで持っていくつもりだったのですが……」


 頼りがいのある物腰柔らかな老人は、後ろめたげに眼を伏せている。

 見ていられない程ではないが、どことなくその姿は痛々しい。


「オーラム様のことについてです。公では、彼女がボスの座を退いた根拠を横領の罪としています。それはボスだけでなく、この場にいらっしゃる皆さんが理解していることでしょう。どのような経緯かは存じ上げませんが、皆様それぞれオーラム様とご面識がおありのようですので」

「オーラムは、私とサリナに直接接触してきたんだ。そんで、ナラゴニア教会の調査を一緒にやった。それだけだ。あの時はまさか、アイツがあんな行動に出るとは思ってもみなかった」

「ナラゴニア教会。成る程、それでは、あの時現れたりんご頭の紳士はそちらの」

「おう。しかも教会のお偉い方らしい。だろ?旦那」


 ヴィオラは、近くの壁に寄りかかっているアルカヘストの手を叩いた。

 何とか言え、とでも言いたげな実に雑な話の振り方である。


「はい、その通りです。ただ、彼がこの都市にこれ以上干渉することはありませんのでご安心ください。それに、詳しくご説明するにはお時間をいただかなくてはなりませんので。解説はこの辺りにしておきましょう。クリスタル殿、続きをどうぞ」

「ええ。さて、ボス。オーラム殿の不祥事について、あなたはどう思われていますか?」

「……それは、ジェムストーンマフィアのボスとしての私に問うているのですか?」

「失礼。誤解を招く表現でした。私は、モンテドーロに住まういち市民としてのあなたに問いかけています。あなたのご見解をお聞かせください」


 アレキサンドライトの瞳は、どこまでも寂しげだった。

 ここ最近、彼女の肩には重荷ばかりが増えている。

 そのような重責に耐え抜く器こそ、都市の長として必要不可欠な才なのだろうが。


「今までも、これからも変わりませんよ。彼女の罪は濡れ衣だったと」

「……」


 老人は答えない。

 ただ、その表情だけが彼女の言葉の正誤を示唆していた。


「まさか……あの罪は本当に……?」

「ええ。オーラム様は、本当に横領未遂の事件を引き起こしていたのです。つまり、あの時カテドラーレ・ジョイエッリの最上階で下された最高会議の判決は、決して誤ったものではありません。寧ろ、その内容は正当極まりないものでした」

「……」


 唇を噛み締め、嘘だと叫びたい感情を押し殺す。

 空隙の生まれた鋼の何たる脆いものか。


「ボス、あなたはきっとその時の判断を今も悔いているのでしょう。オーラム様の代行としてマフィアの暫定的なトップに就任した当時、ボスは捜査に対して資金提供を惜しみませんでした。また、会議の開催までの時間を可能な限り引き延ばしてマフィア内のみならず大半の都市民からの反感を買っていたことを私は覚えています」

「……はい。クリスタルさんの仰る通りです。当時の私は、時間さえあればオーラムさんの無実を証明できるだけの証拠が見つかると信じていました。彼女はそのような愚かしい行為に手を染めるような人間ではないと……」

「……」

「真に、都市の支配者として愚かな行為に手を出していたのは果たして誰だったのか。気がついたのは、もっと後のことです」

「いえ、そうは思いませんよ、ボス」


 アレキサンドライトは揺れる眼でクリスタルを見つめた。


「この話には、続きがあるのです。人の行為は結果で見られがちなもの。しかし、大抵の場合そこには動機が付随します。私は、あなた様に調査を命じられたお陰で、多くの真実を……あなたのお父上が隠されていた重大な秘密を知りました」

「父上……またですか?亡くなったはずの父が、ここでも?」

「あなたのお父上は、まさに時代を代表する傑物だったのですよ。私やアンドレアなど、彼の偉大さの足元にも及ばない。ただ、彼はその名声を後世に遺そうとしなかっただけなのです。あなたはきっと、お父上が成したことの殆どを知らない」

「……」

「ただ、このことに関しては彼が犯した唯一にして最大の過ちと言えるでしょう。ボスは、オーラム様の出自を、ご存じですか?」

「出自……」


 アレキサンドライトが物心ついて間もない頃。教養を蓄えるだけの退屈な毎日に日が差した……美しいブロンドヘアーの、物語に出てくるお姫様のような少女が突然引き取られてやってきたのだ。

 最初こそ2人は相容れなかった。そもそも価値観からして全く違った。幼い頃から視力が弱く、黒縁の大きな眼鏡を掛けた冴えない少女であったアレキサンドライトにとって、引き取られてきた義姉はあまりにも眩い存在だったのだ。

 ただ、同じ屋根の下で暮らしている内に2人は自然と打ち解けていった。どこへ行くにしても、いつも同じだった。

 それはまるで、本当の姉妹のようだった。

 お互いのことであれば何でも知っていた。


「知りません」

 

 唯一、オーラムの出自を除いて。

 それだけは。いつ聞いても、何度聞いても、答えてはくれなかった。

 尋ねると決まって、彼女は笑いながらこう冗談を言うのだ。

 亡国のお姫様とか、どうかな?と。


「彼女は……クラウス帝国第二皇女の娘です」

「は?」


 アレキサンドライトの口から、思わず素っ頓狂な声が漏れる。

 それまでは冷静だった彼女も、眼を丸くしてクリスタルを見つめていた。


「きゅ、旧帝国の……?」


 クラウス帝国、旧帝国。

 呼び方は数あれど、その言葉が指し示すのはただ1つ、50年前の戦乱で内部崩壊したかつての最強国家である。

 ラグナル王国の永遠のライバルで、かつては西のラグナル東のクラウスとして大陸を文字通り二分していたというが……。


「あり得ません!モンテドーロに紛れ込んだ“不穏分子”の清算は、それこそ父上の時代に済ませているはずです!」

「はい。確かに、清算は済ませたはずでした。私も、そう思っていました」

「おい、私にも分かるように説明しろ。何があったんだ?」

「モンテドーロの中に“不穏分子”なる存在が紛れ込んでいる。速やかに発見し、報告の上で処刑せよ、とラグナル王国と世界連合双方の連名による書簡が届いたことがあるのです。それがおよそ20年前のことでした」


 クリスタルは一息吐いて、再び話し出す。


「果たして、彼らの言う“不穏分子”は調査隊により発見されました。それこそ、最後の皇帝であるアレクサンデル=セウェルスの第二皇女だったのです。彼女は、モンテドーロに紛れ込んだ親帝国派の手引きを受けて潜伏していたと言われています。そして数日後、親帝国派と目される人々がやはり引き出され、また処刑されました」

「……」

「これが、我々の経験した“不穏分子”の清算です。ただ、この悲劇には裏がありました。全てが仕組まれていたのです。これは、お父上と第二皇女を追い詰める為の陰謀であると同時に、2人が手を組んで仕掛けた世界を騙す為の大博打でした」


 世界を騙す為の大博打。

 どうやらクリスタルは、そのような博打行為を先代オーラム唯一にして最大の過ちと表現しているらしい。


「第二皇女がモンテドーロに逃げ込んできたのは、記録によればおよそ30年程度前のこと。彼女は当時、生まれたばかりの赤子を抱えていました。これを匿ったのが他でもない先代オーラムです」

「つまりその赤子が……」

「はい。赤子はアウレリアと名付けられ、ひっそりとお父上の庇護下で育てられることになりました。ただ、彼女は程なくして第二皇女の元を離れ、お父上の実子……つまり、幼い頃のボスと共に太陽の当たる場所で過ごすようになったのです」


 アウレリア……否、オーラム。

 クラウス帝国第二皇女の娘。そして、ジェムストーンマフィアの先代ボス。


「推し量るにそれは、第二皇女様のご意志だったのでしょう。万が一、彼女の存在が明るみに出た時。彼女のみならず愛する娘の命までもが危険に晒されてしまいます。少なくとも、安住の地を捨て、再び危険な逃避行に身を投じなければならないはずです」

「だから、彼女は私と共に……」

「はい。そしてその予想は悲しいことに的中してしまいました。彼女の存在を恐れるラグナル王国と世界連合が、モンテドーロに眼をつけてしまったのです」

「どうして、気づかれてしまったのでしょう?」


 禿頭の老人の表情が、ますます落ち込んだ。


「それこそ、今に至るまでの怨嗟の根源であります。全ては、モンテドーロの内部抗争によるものでした。オーラム様が不祥事を犯した時、同時に解任された最高会議の役員のことを覚えていらっしゃいますか?」

「先代のスピネルとダイヤモンドですね?」

「はい。彼らはオーラム様と手を組んだこと以外にも多数の罪を犯していました。中でも、廃坑に侵入して莫大な金を密猟していた事実は決定的なものでした」

「そのことは覚えています。まさか、彼らが……?」

「先程アンドレアが口にしていたフトゥーロという組織を覚えていますか?」


 フトゥーロ。金鉱。密猟。

 点と点が、結ばれていく。


「実は。お父上がフトゥーロの構想を打ち出したのは、何も晩年だけではありませんでした。それよりも前に一度、同じように金鉱調査の組織を結成したことがあったのです。しかも、それは秘密結社ではなく、大々的に打ち出された公的な政策としてのものでした。ちょうど20年前のことです」

「……」

「金鉱を公に調査されてはそれ以上の密猟が叶わないばかりか、これまでの悪行が白日の元に晒されかねません。このような政策を阻止する為に、先代スピネルと先代ダイヤモンドはお父上のアキレス腱である第二皇女の存在に眼を付け、秘密裏にラグナルの使者に訴え出たのです」


 そして、無事に第二皇女は捕らわれ、殺されたと。

 胸糞悪い話だ。

 誰も救われず、ただ悪党だけが生き残った。


「父は……オーラムさんの母を、モンテドーロの権威の保持の為に差し出したのでしょうか」

「分かりません。今私がお話しした内容は全て、当時のオーラム様から直接お聞きしたことです。彼女は大穴の底で、モンテドーロのことを守りたいと思ったことなど一度もないと仰られていました。もしかしたら、オーラム様は長年蓄積した恨みの果てに、この都市そのものを滅ぼそうとされているのかもしれません」

「……私は、すっかり政治家になってしまいました。今の私が、父の行いを責めることはできそうにありません」

「最後に、先程ボスに問うたことの解答を改めて提示させてください」


 彼は立ち上がり、窓の外を見ながら厳かに言った。


「オーラム様が犯した罪は真実です。しかしその動機は、自分自身すら利用して一連の悲劇の根源である先代スピネルと先代ダイヤモンドを失脚させる為でした。彼女の中に眠る怒りの感情は、本物なのでしょう」

「……」


 彼の言葉をゆっくり咀嚼しながら、アレキサンドライトは眼を瞑る。

 クリスタルの語るオーラムの真意。

 面と向かって確かめるよりも前に、正面から受け止める必要があるだろう。

 呼吸音と時折響く慌ただしい足音に身を委ねながら、ただ思考を巡らす。

 差し込んだ夕陽の色はまだ赤く、暗くなるにはもう暫しの時間がかかりそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 月曜日 17:00 予定は変更される可能性があります

アナザーワールド りんどう @rindou_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画