【KAC20247】噂②

ながる

メイド、踊る

 パーティは子爵の城ではなく、街外れにある別邸で行われた。別邸と言っても普通に豪邸だし、ホールは広い。

 次々と馬車が乗りつける中、男爵の車は目を引いていた。

 色とりどりのドレスの貴婦人や、金持ちの旦那様が、ひそひそと、あるいは聞こえよがしに囁き合う。


 ――見て。ヘムリグヘート男爵だわ。参加するというのは本当だったのね……

 ――暮らしが困窮してるというのはデマだったのかしら

 ――子爵に金をせびりに来たんじゃないのか?

 ――見栄を張っているに決まってる。一頭だけ残った牛に乗ってくるわけにもいくまい


 まあ確かに。と、ふくよかなお腹を揺らすおじさまに頷きそうになった。

 あんな田舎のことなのに、よくまあ知っているものだ。


 ――お相手はどなたなのかしら

 ――さあ……結婚した話は聞いていなくてよ

 ――娼婦でも借りてきたんだろ。入り浸ってるって話じゃないか


 男爵の耳にも届いてると思うのだけど、彼はただ私を気遣うようにゆっくりと歩いていく。タヌキ親爺やキツネ親爺の言葉など、どこ吹く風だ。

 こうしてみると、男爵はやはり若い。お歴々に連れられた跡取り息子たちよりは上に見えるけど、すらりと背が高く、顔も悪くないので目を引くようだ(私の好みじゃないけど)。

 その証拠にこんな声も聞こえてくる。


 ――お相手がいるなんて、聞いてないわ。お一人なら声をかけようと思っていたのに……

 ――ええ? 使用人も逃げ出す環境だって聞いたわよ?

 ――あら。使用人ならまた雇えばいいじゃない。見栄えもするし、何よりあの一族の能力を引き継げるのですもの

 ――やだ……呪われてるんでしょ? 親族が次々亡くなって……

 ――呪いだなんて……ただ彼がそれをひとり占めしただけでしょう? 野心家なのだわ。お金の増やし方を教えて差し上げればいいだけ


 あちこちから、同じような話が聞こえてくるところをみると、落ちぶれても嫁候補はいないわけじゃないようだ。ちらりと見上げた視線に、男爵は目ざとく反応した。にこりと微笑まれる。

 『僕だってそこそこモテるんだぞ』くらいに思ってそうでむかつく。

 時々、知った顔に目を留めては軽く会釈したりしているので、ちゃんと貴族本物だったんだなと、ようやく思えてきた。


 男爵は迷いなく主催の子爵に近づき(ひとつも急ぐ様子はなかったけど)、子爵を囲んでいた数人の男達を目礼ひとつで引かせた。

 恰幅のいい、目つきの鋭い男。髪には白いものが混じり、だが老いているとは感じない。太い眉も刻まれた皺も計算して配置したようだ。

 オアーゼ子爵ヤン・ステン・カウエル。私でも顔を知っているこの国の重鎮。


「ご無沙汰しております。オアーゼ子爵。お招きに、ふてぶてしくも参上いたしました」


 深く礼をする彼に合わせて、私もドレスの裾を持ち上げる。


「相変わらず食えん男だな。そちらは?」

「パートナーなしにパーティに参加するほどの心臓は持ち合わせていませんので」

「よく言う」

「無理を言ってついてきていただきました。ピアと申します。負った火傷のために顔も声も出したくないとのことなので、こういう形でご容赦を」

「ピア、ね」


 子爵は私の頭の先からつま先までをじっとりと眺めつくしてから、高そうな腕時計に目をやった。


「なるほど。時間まで計算に入れているわけだ」

「滅相もございません」

「『オランピア』」


 子爵の読んだ名に反応しそうになる。


「例の行方不明の娘は、そう呼ばれていたそうじゃないか」


 子爵のぶしつけな手が、ベールを跳ね上げた。彼がわずかに驚き、見開いた瞳に怯えた表情を作って男爵に縋りつく。


「勘弁してくださいませんか。彼女に帰られてしまっては、せっかくのお呼ばれがふいになってしまう」

「……失礼した。やたら腕の立つメイドを雇ったという話は」

「しばらくいましたが、そのうち逃げられましてね……懸賞金、いただき損ねました。わたくし程度では歯も立たず」


 にこやかに並び立てた男爵を子爵は鼻で笑った。

 スッと、黒服の男性が近づいてくる。


「まあいい。あとでゆっくり話をしよう。時間だ」

「口下手なものですから、子爵を楽しませられるかどうか」

「余興はこちらで考えるよ」


 一瞥を残して、子爵は男性と壇上へと向かった。奥様らしき女性が合流して隣へ寄りそう。

 一通りの挨拶を聞いている間にシャンパンが配られた。いきわたった頃合いで乾杯の音頭が取られ、演奏が始まる。子爵夫妻が踊り始めたところで、男爵に覗きこまれた。


「よくできました。その調子でね」


 子爵は私の古巣をよく知っているようだった。そして、おそらく男爵も。顔も名前コードネームも、初めから知っていたに違いない。

 ベールの内側から、睨み上げて抗議する。

 男爵は薄く笑っただけだった。

 一連の様子を見ていた周囲は、また好き勝手に話の種にする。

 子爵に一見おもねるようでいて、ペースを崩さない男爵。もう失うものがないと思えば、無敵の人にもなれるのかと。いや。子爵をも一目置かせているのは、ヘムリグヘートの家に伝わる能力。代々、その当主は銃の名手であったという。それが――


 子爵夫妻のダンスが終わり、場を空けていた人々が戻ってくる。男爵も当然のように私の手を引いた。

 ……って、踊るの!?

 わずかな抵抗に、彼は先ほどとは違い、おかしそうに笑う。


「踊れるでしょう? 大丈夫。ダンスはリードする方が上手ければどうにかなるから」


 なにそれ。僕は上手いから任せとけって言ってる?

 動き出す周囲に遅れまいとするように、男爵は私を抱き寄せた。自然に運ばれる足が一歩目のステップになる。そのまま、ダンスの輪の中に連れていかれた。

 花の刺繍のピンク色、大人びた紫、暗い赤はバラの模様。海の青、空の青、新緑の林。ドレスのとりどりの色が、映っては流れていく。宝石の隙間を縫うように、ほんのしばしの間、私はその光景に見惚れた。

 我に返った時には明らかに注目を浴びていて、ビビってしまったくらいだ。不覚……

 男爵はそれに気付いたからかどうか、唐突にステップを踏むのをやめ、私を壁際の椅子に座らせた。


「無理させてごめんね。何か飲み物もらってくるから」


 周囲に聞かせるようにそう言い残し、飲み物を持った使用人の元へ近づく彼に、何人かの女性が声をかけている。ワインを手に戻ってきた男爵は「ちょっと相手してくる」と、黄色いドレスのお嬢様ともう一度フロアに出て行った。

 外から見ていると、なるほど背が高いからよく目立つ。そして言うだけあって鮮やかだ。ここだけ切り取れば、引く手数多だろうにとも思える。

 時々わざと進路妨害してくるペアを絶妙なステップで躱していることに気付いて、貴族怖っ、と自分を抱きしめた。しばらくそうしていたら、若い男性に声をかけられた。ダンスの誘いを首を振って断ると、彼は隣に腰を下ろした。


「彼に脅されて付き合わされているんじゃないの?」


 疑問に首を傾げれば、男は肩をすくめた。


「一族殺しの噂があるだろう? 後ろ暗い組織と手を組んで、当主になるために他を殺した……おっと、あくまでも噂だよ。知らなかったのなら、忘れて」


 親切を装った笑顔で、戻ってくる男爵から逃げるように男は立ち去ろうとした。その袖を引く。


「どう、して」


 そんなことを。

 囁けば、男はにっと笑った。


「あの能力は当主の証に付属するものだと言われている。手に入れたい者は沢山いるから、傍に置けるのは何も知らない人間か――逆らえないヤツだろう?」




*噂② おわり(第8回お題に続く)*

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