赤い花

@me262

第1話

 僕は学生の頃、高額の時給に釣られ、知り合いの花屋でバイトをした事がある。仕事は契約先の企業や会場に自動車で花束を届けるもので、その一つに大きな洋館があった。

 そこには小柄な老人が一人だけで住んでおり、彼に毎日花束を届けた。それらは主にハイビスカスやブーゲンビリアといった、熱帯産の赤い花だった。老人は常に微笑を浮かべ、花束を届ける僕を労ってくれた。

 お得意様なので一週間もすると親しく会話をする様になり、歳を感じさせない老人の元気ぶりに驚いた僕がその事を口にすると、彼は相好を崩さずに「若い時から菜食主義を通しているからだよ」と答えた。

 花屋の店主は、毎日高価な花を買ってくれるので、老人には失礼のない様にと僕に言った。高額な時給はその為だと僕は思った。

 仕事にも慣れた頃、老人から一際大きな赤い花束の注文が入った。僕はいつも通りに洋館へ向かったが、今迄とは様子が違っていた。呼び鈴を鳴らしても何の応答も無い。あの高齢だ、何かあったのではないかと僕は焦り、鍵が掛かっていない玄関の扉を開けて中に入った。広く、清潔な廊下を進み、奥の広間に入る。高価な酒瓶が無造作に何本も置かれた大きなテーブルの前で老人は杯をあおっていた。僕は安堵したが、同時に昼間から酩酊している老人に対して違和感も抱いた。

 僕が無断で家中に入った非礼を詫びると、彼は独り言にも思える口調で話し出した。

「私は戦時中、南方に派遣されてね。しかし、途中で輸送船が敵の潜水艦に撃沈されてしまった。私と戦友の二人だけが残骸にしがみついて、とある無人島に流れ着いた。でも、食い物なんかどこにもない。二人は散々密林をさまよったあげく、開けた場所に出た。そこには赤くて綺麗な花が一面に咲いていた。私は飢えに堪え切れず、その花を食った。美味かったよ。夢中で食った。あの花のおかげで何とか日本に生きて帰れた。今日は、あの花を見つけた記念日なんだ」

 老人の目は、天井を虚ろに見上げている。

「でも、あれは本当に赤い花だったのか?戦友はいつの間にかいなくなっていた。あいつはどこに行ったんだ?そして私は、どうして肉が食えなくなってしまったんだ……?」

 僕は老人から代金を受け取ると、足早に退出した。彼の話が嫌なものだったからだし、何よりも毎日沢山届けていた赤い花束が、どこにも飾られていない事に気付いたからだ。

 だが、玄関を出た所で釣銭を渡していなかった事に気付いた僕は、止む無く引き返した。

 そこで僕が見たものは、目を血走らせながら手当たり次第に赤い花を貪り食っている老人の姿だった。

 僕は逃げ出すように館を出ると、その日の内に給料を受け取り店を辞めた。店主は懸命に引きとめ、時給を倍にすると言ったが、自分が行きたくないからだというのが目に見えていたので、二度とその店には戻らなかったし、洋館にも行ってはいない。

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