盗りあえず
暁太郎
怪盗と大泥棒
「今でも思い出すよ」
男は一人、自室でポツリとつぶやき、テーブルの上に置かれた大粒のピンクダイヤモンドを愛おしそうに眺めている。価値は恐らく10億をゆうに超えるだろう。十数年前、彼が手に入れた……いや、盗んだものだ。
金目当てではない。どうしても欲しかったのだ。ひと目見た時から、心はこの宝石に奪われていた。
男は目を閉じ、あの時の事を思い出す――。
※
「チィッ! いつ来やがるんだ!」
大泥棒の窮鼠は悪態をつきながら、腕時計で時間を確認する。既に怪盗プリンスの犯行予告の20時を10分は過ぎていた。ピンクダイヤモンドが展示されているホールでは、警察たちが緊迫した面持ちで周囲を警戒している。
彼らを指揮していると思わしき刑事が声を張り上げた。
「よく探せ! クソ怪盗のプリンスだけでも頭が痛いってのに、日本からヒリ出された窮鼠ってクソがプリンスの獲物を横取りするなんてほざきやがった! クソにクソを和えようとしてやがる! そんなコト許せるかッ!」
窮鼠は天井の死角に張り付いて、刑事たちの様子を伺っている。
絶対に勝つ。それこそが今の窮鼠の目的だった。
代々泥棒の家系であった窮鼠は、盗みを繰り返す事にプライドを膨らませ、ついにその矛先は海外の同業者に向けられた。
自分こそが一番の盗人。
プリンスを出し抜き、大悪党として歴史に名を残す。今の窮鼠にはそれしか頭になかった。
だが、これまで犯行時刻をキッチリ守っていたプリンスが現れない。準備万端と気合を入れた窮鼠は苛立ちを感じていた。
「俺様に恐れをなして逃げたのか? 冗談じゃねぇ、完膚なきまでに叩き潰す為にわざわざ海を越えて来たってのによ!」
どうする? このままプリンスが来ないのなら、自分が宝石をいただくしかない。腑抜けた結末だが、狙った獲物は逃さないのが窮鼠の信条だった。
仕方ない、そろそろ行くか――と、窮鼠が決意した時だった。
「ッ! そいつだ、そいつがプリンスだ!」
刑事が警官の一人を指さして怒号を上げた。指先を向けられた警官は、鳩が豆鉄砲を食らったような表情でポカンを口を開ける。
「へ? いや、自分は……」
「プリンスの変装だ! 確保しろォッ!」
刑事に呼応して、周囲の警官たちが一斉に確保にかかる。怒涛の展開に窮鼠は呆気にとられたが、すぐに持ち直して口端をニヤリと釣り上げた。
「しくじりやがったか……情けねぇ。だが、楽な勝負だったぜ」
警察たちの意識がプリンスに向いている隙に、窮鼠は仕掛けた。
目にも止まらぬ速さで天井から地面に降り立ち、音なく展示台に向かう。
数人の警官が窮鼠に気づくが、もう遅い。
展示台の宝石に手を伸ばし、そして――。
「!?」
自分と同じ速さで展示台に向かっている警官がいた。ハンバーガーとドーナツで肥えた警察どもに出来る動きではない。窮鼠は直感で察した。
「プリンス!」
「これは私のものだ、窮鼠!」
警官が吠えるように叫んだ。その目は敵意の一色で染まっている。
刑事は見誤っていた。プリンスの変装は、この警官だったのだ。
窮鼠は血が沸き立つのを感じていた。これこそが、望んでいた一瞬だ。
「おもしれぇ」
ガンマンの早撃ちのように、これは泥棒同士の一騎打ちだ。どちらが早く宝石を手に取り、この場から逃げ去るか――。
両者の手が宝石に届こうとする、まさにその時だった。
突然、視界が真っ黒に染まる。窮鼠は驚き、思わず手を引っ込めた。
停電。
わずか数秒の出来事だった。明かりがついた時には、窮鼠の目の前から宝石は消えていた。
「やっちまった!」
一手遅れた。思わぬアクシンデントに怯んでしまった。プリンスの策略にまんまと嵌ってしまったか――。
しかし
「なんだこれは……?」
展示台を挟んだ向かい、プリンスもまた呆然とした表情で立ち尽くしていた。
「へ?」
「えっ?」
窮鼠とプリンス、お互い顔を見合わせて間の抜けた声を漏らした。
「いたぞォォォォォオオオオオオオオオ!! 窮鼠とプリンスだ!!!!」
刑事が顔を真っ赤にして、あらん限り声を張り上げた。警官たちが四方八方から二人に襲いかかろうとする。
「ま、マズい!」
「馬鹿なッ!」
窮鼠は猫のような跳躍で壁に張り付き、逃走を始めた。プリンスは煙幕を投げつけて視界を奪い、警官の間を縫うように切り抜けていく。
「クソッ、なんだ、一体なんだ!?」
自分は勝負に負けたのか? 宝石はプリンスが盗んだのではないのか?
わけもわからぬまま、窮鼠は夜の闇に身を隠すしかなかった。
※
「フフ……良かった……本当に。うまくいって良かった」
男は愛娘を扱うようにピンクダイヤモンドを撫でている。
今日は男の定年退職の日だった。かつての仕事の失敗で閑職に追いやられたが、同僚たちはきっと自分を厳しくも熱い、職務に忠実な刑事だったと思い込むだろう。
大泥棒と怪盗、二人の賊に狙われた宝石を、ドサクサに紛れて盗み出す。元刑事の彼が思いついた一世一代の大博打だった。
世間はどちらか一方が宝石を盗んだと考え、当事者たる窮鼠とプリンスも互いの事しか目に入らず、真相にたどり着く事はない。
真面目に働いた人生だったのだ。このぐらいの褒美はあっても良いではないか。
刑事は死ぬまであの夜の事を思い返し、快感に浸れる余生を予感していた。
盗りあえず 暁太郎 @gyotaro
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