第五話 車内にて

 心地よいドライブだった。


 二人は車を乗り換えた。流石にボロボロの軍用トラックは目立ちすぎる。

隣町まで最短距離で結び、パーキングに停まっていた薄青色の一番普通そうな車を頂戴した。


 いかにも普通だがフロントガラスもは割れてないし、シートもトラックの数倍フカフカだ。


 小さな車だったがハルとストールには十分広々に感じられた。

カーラジオを掛けるとカントリーミュージックって言うんだろうか。軽快な弦楽器が鳴っていた。


 話が盛り上がってる訳でもない。

ただ静かに軽快に流れる景色を流し見して、時折バックミラーに目をやりつつ。

その表情は緊張を孕みつつも満足げだった。


 あんな無謀な作戦を成功させたら全能感にも浸りたくなるもんだ。今だったら空だって飛べそうな気分だった。

 窓から手を出すと、程よい風圧を感じて何だか楽しい。


 後部座席にはあの夜よりは綺麗になった羽が力無くモサモサ車に揺られている。

 


 結構なところまで来た。

いくつかの寂れた町を超え、青々とした空の下、ずっと道なりに来た。

段々と日が傾き始める頃

 

 首都から離れると道は手入れされていない、亀裂から青々とした雑草が元気に生い茂り、乗り越える度に三人は軽く浮いた。


 揺れが激しくなってきた頃、後ろの羽毛が内側からモゾモゾ膨らんで天使が姿を現す。


ガタンッ

 「んん、ん、うわっ!」


 ゆっくり目を覚ました天使は次の揺れで座席から転げ落ちた。


 助手席のストールが振り向くと足元のくぼみに背中からすっぽりハマった天使と目が合う。


 「やあ」


 「へ、」


 状況を読み込めていない天使はぼーっと焦点の合わない目を合していると、しばらくして何か合点が行ったようにバッチリストールの顔を認識し、目と口を大きく開くと。


「ぎゃぁーーー!」


 大きな翼を盛大にばたつかせ暴れ始めた。


「わぁ!おい落ち着けってっ、うっぷ」


「おいストール、落ち着けせろ!羽が、いたっ、前が見えない!」


  羽は一見柔らかそうだが、やはりある程度の力で振り回されると当たると痛い。

 しかも狭い空間で羽が舞い上がるから、二人は溺れそうになる。

 ストールは慌てて天使を落ち着かせようと。


「おい落ち着け!敵じゃないって、味方だよぉ!ぺっぺっ!」


 声が届くようなレベルじゃなかった。

ドアに手を伸ばすでもなく、ただでたらめに暴れるもんだから全く収拾がつかない。


 焦ったストールは後部へ身を乗り出し天使を抑えにかかる。


 ハマったままの天使に乗り掛かり、全身で手足翼を抑える。か細い腕はやはりそれほど力はなく、翼も含めて割と簡単に、強引ではあるが押さえ込む事ができた。


 ストールは天使の目を見て言う。


「見ろ、子供だ!僕達は敵じゃない!君を助け出して今ここにいるんだ」

「えっ」


 驚いた表情の天使は少し考える様子を見せ、跳ね除ける力が弱まった。


 「わかったなら、もう暴れないでくれよ」


 そう言ってストールはゆっくり天使から離れ助手席に戻る。


 後部座席に残された天使は静かに、揺れに翻弄されながらも座席に上る。

 

 腰が落ち着くと天使はゆっくりと姿勢を整えた。

車内の狭い空間に馴染んでいない様子で、窓の外に目をやる天使の表情はまだどこかぼんやりとしている。


 羽は大きく乱れているが髪は驚くほどストンと重力に従って流れていた。神の如くキューティクル。


 時折、羽を手で撫でながら、天使は再びストールやハルに視線を向けた。


「あなたたちは…誰?」


 天使の声には、まだどこか警戒の色が残っていた。彼女が何かを探るように二人を見つめる瞳は、深い不安と混乱を含んでいた。


ストールは肩をすくめて、少し微笑んだ。


 「俺はストール。そっちはハル。軍には一応所属してたんだが、今は…まあ、こうして逃げてるってところだな。」


ハルは黙って前を見つめている。彼の表情は固く、緊張感が漂っていた。彼はまだ車を走らせ続けながら、何度も後ろを確認していた。追跡者の影がないことを確認しつつも、気を抜ける状況ではないことは明白だった。


天使はしばらく考え込んだ後、小さく息をついてから再び質問した。

「どうして私を助けたの?私のこと…知っていたの?」


 ストールは窓の外に視線を移し。

「正直、君のためって訳じゃないんだ。スパイの拠点で君を発見した。そしたら軍が裏切って俺たちを殺そうとした。それで、何やかんやで君を助け出す羽目になったってわけさ」

 そう言いながら苦笑いを浮かべた。


 天使は黙って彼の話を聞いていたが、眉間に皺を寄せて再び口を開いた。

「それって…あなたたちが危険な目に遭うことを分かってたってこと?」


 ストールは一瞬だけ振り返り、天使の顔を見てすぐに視線を外した。

「わかってたさ、けどなんとか軍に復讐してやろうって、奴らにとっちゃ君が何か大事な存在なんだろうって思ってね」


 天使は一瞬言葉を失い、羽を触る手を止めた。そして、天使はゆっくりと窓の外を見つめた。

「私は…ただ存在しているだけ。何かを知っているわけじゃないし、助けを求めていたわけでもない。でも、偶然あなたたちが私を助けに来た…不思議だわ。」


 ハルが初めてその会話に割って入った。

「お前が何者であろうが、軍があれだけ躍起になってる時点で普通じゃないのは確かだ。今はそれだけで十分だ」


 ハルの声には少し緊張が見えた。ハルは道の先を見据えながら、ブレーキを少し強く踏み、車を徐々に減速させた。

「ここらで少し休もう。夜が近い。無理に走り続けてもいつか追い付かれる」


 ストールは小さく頷いた。

「そうだな。疲れてるだろ、天使さんも」


 天使は一瞬驚いたようにストールを見た。

「私は…疲れていない。だけど、何か重いものがあるような感覚がする。羽がずっと重いみたいな…」


ストールが軽く笑いながら肩をすくめた。「地上での生活ってのは、空の上とは色々違うだろ。そのうち慣れるさ」


 車は脇道を少し行くと完全に止まり、静寂が辺りを包んだ。車の中には三人の呼吸だけが響き、風が窓を軽く叩く音が聞こえる。

 天使は少し不安げに窓の外を見つめながら、ぽつりと呟いた。「私、何も分からないの。どうしてこんなところにいるのか、何をすべきなのか…でも、あなたたちには感謝してる。」


 ハルは車のエンジンを切り、タバコに火をつけて背もたれにもたれかかった。

「感謝なんていらない。俺たちだってまだ訳が分からない。ただお互いせっかく生きてるんだから、行けるとこまで行こうってことだよ」


 ストールはそのやり取りをじっと見守っていたが、ピンと来てない天使に向かって軽い口調で言った。

「ま、これから一緒にこの星を旅をするってことだ。お互い分からないことだらけでも、どうにかなるさ。」


「え、たび?」


「なんだ、行く当てでもあるのか?」


「いや、ない、けど」

「じゃあ旅だ」


 天使は驚いた表情を緩め、羽を再び整え始めた。

「うん、そうだね。わかった、私もできることは手伝うわ、この星のこともっと知りたいし」


 ストールは天使のその言葉にわずかに驚き、彼女をじっと見つめた。


「お前、本気でそう思ってるのか?」


 天使は真剣な表情で頷いた。


「私、ここにいる理由があるなら、それを見つけたい。あなたたちに迷惑をかけたくないから…」


 その言葉にハルもふと静かに反応した。

「迷惑かけるのはお互い様だ。お前が何者かは分からないが、少なくとも俺たちを裏切らないなら、それでいい。」


 窓ガラスからタバコの煙がゆらゆら上っていく。

 しばらくの沈黙が続いた後、ストールが再び口を開く。


「よし、それなら次の目的地を決めよう。いつまでも無計画じゃいられない。」


 天使はゆっくりと羽をたたみ、窓の外を見ながら小さく頷いた。

「よろしくね、どこでもついてくよ」


 ストールは軽く微笑みながら、ハルと目を合わせた。

「ああ、そうしよう、行けるとこまで全力で逃げてやる」


「おう」


三人はそれぞれ窓から夜空を眺め、ふとストールが言う。


「ちなみに、天界に服着るって概念、ある?」


 天使は驚いて自分の体を見下ろすと、背中で畳んでいた翼を前に広げすっかり丸まった。

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キューピッ逃避行!!「少年兵は天使を救うために軍と戦う」 ねぎま @matu516900

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