悪役令嬢は処刑されました

菜花

後悔

 伯爵家の令嬢――であったペネロペは、断頭台を前に茫然としていた。群衆の殺せと叫ぶ声も耳に入らない。


 どうしてこうなってしまったのだろう。


 幼いペネロペは国境沿いにある領地内で育った。年齢が一桁の頃、家に仕える職人が人の手いらずで素早く縫える機会を発明し、瞬く間に業界を席巻して多大な利益を出した。ほどなくして王国中で大規模な流行り病が起きたが、医薬品の開発に投資を惜しまなかった父により他の国より早く終息。その功績を重く見た王家により、ペネロペは王太子の婚約者となった。


 それは決してシンデレラストーリーなんかではなかった。

 何故なら王太子ロドルフォは当時から幼馴染である公爵令嬢クラリッサに思いを寄せていて、後から湧いて出たペネロペを敵視していたから。

『ぽっと出の女が偉そうにするなよ。俺には昔からクラリッサがいるんだ。金で父に取り入ったお前など愛することはない!』

 初対面でそう罵倒されたペネロペとしては、自分に言われても困る、というのが正直な感想だった。取り入るも何も王家からの提案という形での婚約なのに。

 とはいえあんな様子でこれから先どう接したらいいものかと、パッと見聖母のように優しそうな王妃に相談した。

 これが間違いだった。


 王妃は息子を溺愛していた。なのに夫が恩に報いるためといって格下の伯爵令嬢と強引に婚約させた。王妃はクラリッサがロドルフォの嫁になるものだと信じていたのに、だ。クラリッサに比べてペネロペは家格はもちろん美貌も礼儀作法も劣っているように王妃には見えた。何より可愛い息子が婚約者に当たり散らすなどこの女の嘘に決まってる。私の息子がそんなことするはずない! そういう思いがあった。


「貴方が悪いのではなくて? 王太子妃になるのだからそういう甘えたことを言って貰っては困るわ。罰として王太子妃教育を今の倍に増やします」


 その日から寝る時以外監視が付いて回るペネロペの生活が始まった。トイレすら許可を貰わないと行けなくなった。

 礼儀作法の勉強では少しでも間違うと容赦なく鞭がペネロペに振り下ろされた。

 加えて王太子妃になるのだから仕事はあらかたこなせるようになりなさい、とありとあらゆる仕事が持ち込まれた。

 幸いにもペネロペは父に女でも知っておいて損はない、と領地経営のことを一通り学んでいた。隣国に接しているからと外国語も。加えて彼らの風俗文化風習も。この国は多民族国家であり、代々の王は彼らへの配慮に心を砕いていたが、領地が国境沿いにあり、彼らと交流も多かったペネロペにはそのバランス感覚があった。

 次第にペネロペの人気は民の間で高まっていった。それが気に食わない王妃は「人気のうちに実績を積むべきよ」と更に仕事を押し付ける。

 寝ている時以外仕事に追われるような日々にペネロペも疲弊した。たまりかねて王と王妃に仕事の軽減を頼むと、王が何か言う前に「王太子妃が王妃の采配に文句を言うとは何事か!お前のためを思って与えている仕事がそんなに不満か!よろしい、もっと慣れるように今の倍に増やしてあげましょう!」と怒鳴る。

 王は流石に王妃を怪しんだようだが「同じ女であるわたくしの判断です。あの子は家格が低いのだから、こうでもしないと貴族達の信頼を得られません」と最終的には丸め込まれた。


 ペネロペは睡眠時間だけは余裕をもって取れていた。だがそれもこの件で削らないといけなくなる。そうしなければ王妃からの課題をこなせないからだ。

 やがて髪も肌もボロボロ、まともな食事も取れずに幽霊のようにガリガリになった。それでももうペネロペは文句を言わなかった。一回言って王妃になら仕事を倍にすると言われた。二回目には更に倍にされた。三回目も倍にされたら、流石に死んでしまう。


 そんなペネロペの姿を、たまには婚約者の顔でも見るかと部屋に立ち寄った王太子ロドルフォが見た。

 ロドルフォの生理的嫌悪感は凄まじかった。女どころか人間とも思えないような荒れた外見。あんなのと自分が結婚するだって?

 慌てて気づかれないように帰った先で、想い人であった公爵令嬢クラリッサと遭遇した。

 醜い者を見たあとからの磨き抜かれた美しい令嬢を見たロドルフォは、一秒だってあんなのの婚約者でいたくないとの思いに囚われた。

「ああクラリッサ。目が洗われるようだ。ペネロペなぞいなかったらすぐにでも君と婚約するのに」

 クラリッサはその言葉に喜んだ。元々温室育ちで深く考えないところのある彼女は、ペネロペのことは邪魔者としか思っていなかった。


 いきなり出て来て金の力で婚約者の座を得た卑しい女。

 婚約したかと思ったら王宮の一室に引きこもって好きなことをやってるらしいと王妃に聞いた。なんてはしたない。

 王太子妃の権力で王国内の住人達にあれこれ指図しているらしい。住人達はそれをしているのが卑しい女とも知らずに感謝しているとか。貴族より平民の人気取りを選んだというの? 同じ貴族より平民を選ぶの? バカなの?

 貴方のせいで現在進行形で不愉快な思いをしている人間がここにいるのだから、謝罪やら誠意の一つやらこの私に見せるべきでしょうにそれすらしないで……ああ許せない!


「ペネロペは私達を見下しているんですわ。私、この前も酷いことを言われました。公爵家が伯爵家に負けるってどのような気持ちなのかとすれ違いざま言われて……」 


 それはクラリッサの真っ赤な嘘であった。そもそもペネロペと会ってもいない。

 だがそれはロドルフォの悋気に触れた。最初に会った時にあんなに忠告したのに性懲りもなく愛しいクラリッサにそんなことを言ったというのか! もう許せない、罪を捏造してでも追い出すべきだ!


 それからロドルフォは自分に忠実な臣下を使って他家の汚職や賄賂事件を集め、それをペネロペの生家である伯爵家が行ったと告発した。

 その日もいつものように狭い部屋で執務をしていたペネロペは、いきなり部屋に入ってきたロドルフォの私兵に捕らえられ、裁判も無しに断頭台に直行となった。

 唖然とするペネロペの目に飛び込んで来たのは、先に処刑された父の首だった。


「お前が婚約者になったのももとをただせば権力を欲したこいつのせいだったな。いい気味だ」


 正直なところ、どうしてこのような男と婚約させたのかと恨んだこともあった。だが定期的に送られてくる手紙には「王子と婚姻だなんて、女としてこれ以上の幸せはない」「今は亡き母親と最高の結婚をさせると約束した」「困ったことがあれば言いなさい。金はこういう時に使うものだ」「良くない噂が聞こえてくるが、本当に大丈夫か?もし婚約に不満があるなら言ってほしい。お前のためなら王家を敵に回しても構わないから」 とあった。父親なりに考えての婚約だったというのは伝わってきたし、心配させたくない、期待に応えられない自分が悪いのだという気持ちもあったから、父には言えなかった。今となっては言えば良かったと後悔している。


 断頭台の横ではロドルフォの息のかかった貴族が声高々とペネロペの罪状を述べている。

 どれも身に覚えがないが、今となっては抵抗するだけ無駄だろう。


 ペネロペは見ている者が恐ろしくなるほど落ち着いていた。実際には三徹目で暴れる気力もなかったのだが。さらに言えばペネロペの疲労は極限まで来ており、そのままだと数日で過労死するところだった。そんな状態のペネロペだったから、むしろ怒りも憎しみも湧かず、やっと楽になれる、何もしなくて良くなる処刑最高とまで思っていた。


 断頭台にセットされ、ペネロペの首が飛んだ時、民衆は湧いた。悪女が死んだと。

 数日後にはロドルフォとクラリッサの婚約が発表され、民衆は悪女がいなくなったのなら、これからもっと良くなるのだろうと疑っていなかった。



 異変は徐々に始まっていった。

 ある日、少数民族の住む地の川で氾濫が起き、地元民が王家に災害復旧を頼んだが誰も来ない。再度要請するといかにもな寄せ集めが来た。贅沢は言っていられないと彼らと復旧に尽力したのだが、その寄せ集め達は深夜になると災害に見舞われた地域ならモラルなど必要ないとばかりに女子供を襲って問題になった。

「以前ならこんなことは起こらなかったはずでしょう!どうしたというのです!我が民族への嫌がらせですか!?」

 怒る首長を相手に王はあやふやな返事しか出来なかった。

 本当のことなど言えやしない。まさか最初の通達の時に全員が「誰かがやるだろう」と考えて放置していたなんて。二度目の時にやっと「誰もやってないのか!?」と騒ぎとなり、慌ててすぐ動ける人間を送った。まさか王家の中枢でこんな前代未聞のことが起きるなんて。

 とりあえず国庫を開いてそれなりの支援金を渡すことで納得させたが、首長は去り際に「変わりましたね……この国は」と言い残した。

 それを皮切りに頼んでおいたインフラ工事が滞っている、違う少数民族同士の領土

問題、労働者の待遇改善の話はどうなっただの、あらゆる苦情が王家に寄せられた。

 王が聞いたことのない案件も多数あり、今までどうしていたのかと王妃に聞くと、彼女はあからさまにうろたえていた。

「分かりかねますわ。でもまあ、こんなものは適材適所、下の者に裁かせましょう。王には王の仕事があるのですから」



 王妃は内心慌てていた。小娘一人がいなくなっただけでどうしてこんなにも混乱するのかと。実際のところ、ペネロペが亡くなった直後に「あの案件はどうなったのか」という訴えが続いた。確かに回せる仕事は全部回せと命令したけど、まさかそれを全部こなしたというの? どうせ途中で根をあげるかどこかでミスをするかと思っていたのに。そうしたらそれを理由に王宮から追い出せたのに。

 諸々の案件すべてをペネロペが処理していたというなら、ペネロペがいなくなったら……。

 一瞬嫌な想像をした王妃は慌てて首を振った。ペネロペがやってくる前は普通にやってたじゃない。いなくなっても元に戻るだけ。そう、元に戻るだけよ……。



 ペネロペがいなくなったあと、その国の政治を行う貴族達は皆右往左往していた。誰もここ最近の政治の仕方が分からないのだ。

 王妃が大事な案件は全部王太子妃が見るというので、ここ最近の貴族達は何もしないで給料だけは人一倍貰っていた。それでいかに自分が暇であるかをアピールするような風潮まで生まれた。忙しいと言おうものなら笑われた。そんなものは要領の悪いバカのすることだと。そんな暮らしを数年続けていたのに、突然王妃が王都に戻って政治をしろと言うのだ。何の冗談だと思いつつ王都に戻ると、膨大な仕事が待っていた。愛国心のある何人かはとにかくしないと国が回らないと手をつけようとはしたのだが……。

「なあ……これやってた人、王太子妃だった人だよな?あの処刑された……。彼女の処理能力は凄まじかったと記憶してるけど、それでも王妃に睨まれて処刑されたんだろ?大丈夫なのか?王妃の気に入らないやり方でやったりして、同じように処刑されたりは……」

 誰かがぼそっと言ったその言葉で、誰も処理しようとは思わなくなった。庶民の間では稀代の悪女だったとなっているペネロペだったが、高位貴族は誰もそんなの信じてはいなかった。女一人に無茶を強いる王妃のほうがどうかしている。だがそれを口しようものなら王妃に睨まれる。

 変なことをして不興を買うくらいなら何もしない。それが生き残るコツだと言わんばかりに全てが放置された。


 下からの案件を大量に抱える羽目になった人間はこうなったら、とクラリッサの元へ向かった。

「同じ王太子妃でしょう。あの悪女も出来たんですから」

 クラリッサは内心面倒は嫌だと思いつつ、けれどやらなかったらペネロペ以下になるという事実に渋々手を付けた。クラリッサは知能面においては全く問題がないし、正確な地理も王国内の少数民族の数も把握している。普通にやればペネロペ以上に治められたはずだった。

 だが梯子を外されたペネロペは領地運営に携わっておりバランス感覚もあったが、温室育ちのクラリッサにはそれがない。

 平等に扱うべき民族達を「この部族は曾祖母の出身だから贔屓しちゃおう」「この部族は大昔王家を侮辱したから支援を打ち切ろう」等々私的な判断で訴えや扱いを処理した。

 処理された民族側からしたら、同じ国に住むものなのに目に見える区別をされたら不信感しか湧かない。

 その後、支援を打ち切られた部族がロドルフォに訴えを起こしたが、困難のすえに悪女を打ち倒し真実の愛を掴んだと厨二病に酔っているロドルフォは長にこう言い放った。

「クラリッサが支援を打ち切ったというなら、俺はむしろ税を取り立てる。クラリッサがお前達を憎むなら、俺はお前達に鞭を与えてクラリッサを安心させる。これが愛というものだ! 過去に王家が鉱山開発のために僻地に移動させた経緯? そんなもの知るか!」


 その後、王国は反乱が頻発して大混乱に陥った。



 荒れた王国から隣国に逃亡した貴族一家がいた。父と母、娘一人の一家だ。

 さぞ身を寄せ合って苦難に耐え、無事に逃亡出来て喜びを噛み締めているのかと思いきや、両親の一人娘――アンヘラを見る目は厳しい。


 アンヘラは伯爵家の出身で、王妃の命により侍女という名目でペネロペの監視を命じられていた。

 何の罰なのだろうと思った。金で婚約者の地位を買ったのだと貴族社会では笑われているし、王妃には嫌われているし、王太子には相手にされてもいないし、本人は美しくないし。こんな女の侍女なんかやって未来に繋がるのかしらと。大体、同じ伯爵家なのに金の有無で王太子妃になるなんて、私まで意地汚いと思われそう。

 そんなことを思い悩みながら、ペネロペが必死で書類を片付けている横でアンヘラは優雅にお茶を飲んでいた。


 ある日、仕事上がりで帰ろうとする時にペネロペがアンヘラを呼び止めた。

「この書類を宰相様に届けて貰えないかしら。戻る途中に宰相様の執務室を通るでしょう?」

 その言葉を聞いてアンヘラの中でむくむくと怒りが湧きあがる。

 こんなくたびれた女の顔を毎日見るだけでも慰謝料取りたいくらいなのに、この私に雑用をさせるですって?

「ご自分でなさってください!」

 そう怒鳴ってアンヘラは部屋を出て行った。

 仕方ない。疲れてるから早く帰って休みたいのだもの。私は自分の権利を主張しただけ。余計な雑用なんかさせるペネロペが悪い。

 その日からペネロペはアンヘラに何か頼むことはなくなった。アンヘラはやっぱり最初にガツンと言うから言うこと聞くんだと気分が良くなった。


 数年後ペネロペが処刑され、美しいクラリッサが王太子妃になり、これまで監視役を勤めてきた功績からクラリッサの侍女に推挙されたアンヘラは我が世の春を謳歌していた。

 が、それも長く続かなかった。

 純粋にクラリッサがに仕えるのが苦痛だった。雑談で「私の祖母が最近老眼で……」と言った時など「障害者なのね。大変ね」と言って来たり。自分のいない時に侍従長が好意で高価なお菓子を皆に配っていた時など、「いない人のぶんは食べちゃっていいわよね?」と勝手にアンヘラのぶんまで食べてしまったり。「来るまで取って置くって出来なかったんですか?」とアンヘラが言うと初めてそんな方法があるんだと気づいた顔で「まあ、そんなやり方もあるのね」と言いながら「でもいない貴方も悪いじゃないの。私は貴方のせいで周りが苦労しないようにって親切心でやったのよ?」と逆に責められたり。相手を同じ人間だなんて思っていない。高位貴族の令嬢だったらそういうものなのかもしれないが、悪女として処刑されたペネロペだってこんなことは言わなかったのに。


 更に王国内で反乱が頻発して瞬く間に治安が悪くなった。それに比例するように王妃とクラリッサの口喧嘩が頻発する。

「ペネロペならこんなことにならなかったのに!」

「私はちゃんとやってます!」

 仕えていたいと思う人間でもないし、王国がこんなだからと給料も減らされた。沈む船からは逃げるに限るとアンヘラは家族を誘って亡命した。

 アンヘラの父母は王太子妃侍女になった娘を有能だと信じていた。そうでなければなれない地位のはずだから。

 その娘が亡命を促した時は少し迷ったが、領地内でも反乱が起きて王家に助けを求めても何もしてくれない現状だ。娘の言うことが正しいのだろう。

 そして亡命したのだが、それからが酷かった。

 アンヘラは隣国で貴族の子女の家庭教師として働くことになったのだが、彼女が一度下とみた相手にどう振る舞うのかは、ペネロペの件で証明されている。

「こんなことも分かりませんの?」

「随分不器用なのね」

「物覚えが悪いってよく言われないの? 恥ずかしいこと」

 モラハラを平然と行う様子に教え子の令嬢は怯えた。両親に訴え、両親がどうしたものかと思ってる時、事件は起きた。

 夏の日に室内の気温が上がり、教え子が窓際に立っていたアンヘラに「窓を開けて貰えませんか?」と頼んだところ「ご自分でなさってください!」と怒鳴ったのだ。窓の外にいた使用人にもそれははっきり聞こえ、使用人から聞いた両親は激怒した。

「雇われている分際でなんだその態度は!祖国を捨てた貴族のくせに無礼者め!」とアンヘラは辞めさせられた。

 アンヘラには意味が分からなかった。だって王太子妃のペネロペにこれをやっても怒られなかったし、なんなら王妃から褒められたのに、どうして私が怒られるの?

 相性が悪かったんだと他の貴族の家で家庭教師をしても、どこも同じだった。

 アンヘラの両親は段々気づいた。娘は有能なのではなく、要領が良いだけなのではないか? そして性格がよろしくないのでは?

 それでもアンヘラの両親は生きているうちは娘を庇い、守り続けた。

 だが親なんて永遠に生きていられる訳がない。両親が亡くなるとプライドだけは高いアンヘラは見る見るうちに落ちぶれた。


 道路の片隅でボロを着て丸くなって座っていると、通行人から小銭を投げられる。パン一切れの値段にもならない小銭だ。

「……ありがとうございます」

 それでもアンヘラはお礼を言う。以前こんなはした金と怒ったら、殴られた上に小銭を奪われたのだ。どんなはした金でも、あるだけ有り難い。

 小銭がぼやけて見える。これでも自分は王太子妃付きの侍女だったのに。偉かったのに。どうしてこんな……。働く気はあったのに、どうしてかどこに自分を雇ってくれなくなって、いつの間にかこんなところまで堕ちていた。

 スラム街の掘っ建て小屋に戻ってうずくまる。防犯のぼの字も無いようなこの小屋でアンヘラは出来るだけ自分を汚くして生きている。綺麗にしようものなら男達から狙われるから。身体を清潔にすることなく埃だらけの布に横たわった。浅い眠りに落ちながら夢を見た。

 苦境のペネロペを自分が助けて王国を繁栄に導く夢。道に落ちていた新聞の連載でそういうやり直しものがあったのだ。今思うとロドルフォやクラリッサの無能さときたら。あんな短期間で国を駄目にするなんて聞いたことがない。無能だと思っていたペネロペは生きている間、不思議なほど部族同士の小競り合いや苦情が出なかったというのに。あのペネロペに賭けていたら、今頃ふかふかの布団で子供達に囲まれていたかもしれないのに。

 ねえ神様。私もう間違えないから、戻してよ……。

 アンヘラはその夜、雪の降る中で凍死した。



 本来なら敬われるべきペネロペを冷遇した人間は多い。宰相を勤める家柄の令息、プラシドもその一人だ。

 父親と話をするたび、ペネロペのことをよく聞いていた。

「ペネロペ様はかつてないほど優秀だ。どうして皆嫌うのか。誰よりも頑張っているのにお可哀想だ。プラシド、私よりペネロペ様に学びなさい。彼女は私より優秀で、学ぶことが沢山ある」


 跡継ぎの自分よりペネロペを称える父。それだけ嫌いと認定するには充分だった。

 そもそも社交界ではみんながロドルフォ様とクラリッサ様を引き裂いた悪役令嬢って笑ってる女じゃないか。身の程知らずなんかに学ぶことはない。

 プラシドはそう思いながらも、アンヘラが監視もしなくなったペネロペの元へ行き、父の命だと言って一日仕事を手伝うことにした。 

 一言でいったら完璧だった。少数民族達への配慮もインフラ整備も各地への支援も。

 ペネロペは何も悪くないのだが、プラシドは他人の素晴らしい面を見ると、感心するより嫉妬してしまう心の狭い人間だった。

 こんなに出来るならさぞ王宮内での評判もいいのだろう、ちょっとくらい困らせてやれ。恵まれた人間には少し不運が襲うくらいでちょうどいいんだ。

 プラシドに嫌がらせをしている自覚はない。なんなら思い上がり女に罰を与えなければとすら思っている。

「この案件は俺がやっておきます」

 ――そうして自宅に持ち帰ると、そのまま書類を破り捨ててなかったことにした。

 それからペネロペがどうなったのかは知らない。さぞ困ったことになっただろう。でも俺には関係ない。そもそも素人に任せるほうがおかしい。向こうも良い勉強になっただろう。


 そんなことがあった数か月後、ペネロペは処刑された。プラシドはまさか自分の件で?とドキッとしたが、あんなので処刑されるくらいなら元々人望がなかったんだと思い直して無かったことにした。

 それにしても、ペネロペがいなくなったというなら、あの仕事は誰がやるんだろう。あいつがいなくなったなら自分にも回ってくるかもしれない。あいつがいたら絶対比べられただろうから、今なら気楽に仕事が出来る。自分が一番優秀になる可能性だって。

 だが不自然なほど仕事が回ってくることはなく、そうこうしているうちに治安が悪化し、暴徒が王宮に侵攻してくるまでになった。

 暴徒には鍬や鎌みたいな農具しかなくても、大量に押し寄せれば訓練を積んだ兵士とて疲労でばたばた倒れていく。何せ数は向こうが多い。

 振り下ろされる鎌を見ながら、ペネロペがいたらこうはならなかったのかなとプラシドは思った。



 王と王妃は玉座に座っていたところを引きずり降ろされて処刑された。ペネロペ処刑にも使われた断頭台で。

 王は「お前に任せていたのが間違いだった」と自分が何もしなかったことを棚に上げて王妃を罵り、王妃は「王のくせにぼんくらなんて一番の罪じゃない!」とヒステリーを起こす。お似合いの夫婦だった。

 ロドルフォとクラリッサは更に悲惨だった。ペネロペに恩を感じる民衆は多い。なのにどういう訳かそのペネロペが二人を引き裂く悪女だったとして処刑されたのだ。なら今までの治世を良いと思ってたのは勘違いで、これからもっと良くなるのか?と考えていたのに、良くなるどころか悪くなるばかり。誰が悪いのか民衆ははっきり分かった。この二人に直接侮辱された部族もいるのだから尚更だ。

「冤罪でペネロペ様を殺しやがって!何が悪女だ、お前らに比べたら聖女も同然だったぞ!」

 ひと月ほど惨めな牢獄生活をさせたあと、ボロを着せられて断頭台まで歩かされた。その頃には二人はすっかりおかしくなっていた。

 記憶の中のペネロペより惨めな姿になったことでロドルフォは「ペネロペ、どこだい……?」とぶつぶつ言い、クラリッサはクラリッサで「これは夢、夢よ……」と話も出来ない状態だった。

 そして二人は処刑され、歴史の教科書には「末期の王朝は稀代の愚か者しかいなかった」と書かれた。

 他の貴族はアンヘラのように逃げた者が大半だったが、贅沢に慣れた身体では住む地で様々な軋轢を生んだ。少しでも適応能力がある者なら息を殺して生きるようにしたが、ほとんどの者はアンヘラと同じ末路を辿った。かといって母国に残った者は壊滅的に情勢が読めない人間だった。一人残らず断頭台送りとなる。

 巨大な王国があった土地は今、争いの果てに複数の国が乱立しているらしい。後世の人間は「あんな土地を不満なくまとめあげていたペネロペ様は凄い。歴代王の中で誰よりも公平に治めていたというではないか」と言う。




 ――ペネロペは歴史の解説書をぱたんと閉じた。

 何の因果か、ペネロペには前世の記憶がある。最後のほうは疲れ切ってて記憶も曖昧だけど、解放されるという喜びのほうが勝っていたのは覚えている。

 それにしても生きている時には散々いいようにされて罵倒されたのに、死んでからは聖女みたいに書かれるってなんかこそばゆいというか、居心地が悪いというか。極端すぎるよ、生きている時に気づいてよ。


 そう思いながらペネロペは働きに出た。何せ今世は平民だ。十二の頃から一人前として働かなくてはならない。うっかり前世と同じように働いたら「貴方、その年でどんだけ酷い場所で働いてたの……?」と心配されてしまった。普通に振る舞うのって地味に難しい。

 前世と違ってまっとうな職場で、小さい身体で大人顔負けに働くペネロペは大変重宝された。

 今世は社交も大事にしようと挨拶を欠かさないペネロペは周りからの評判もよく、思いを寄せる異性も少なくない。

 ペネロペは前世知識と若い身体と良い環境で、平民の身分からどこまでのし上がれるかわくわくしていた。前世が前世だっただけに、今は何をしても楽しい。


 そんな陰で、ペネロペと同じように前世の記憶がある人間達がいた。

 ロドルフォなどは平民に生まれ変わったことを「神はどこまで自分に罰を与えようとするのか」と嘆き悲しんでいたが、素で平民を馬鹿にするようなことを考えるあたり懲りていない。両親から尻を叩かれて働きに出たところ、ペネロペの姿を見かけた。

 やり直したい。瞬間的に思った。何せ前世でクラリッサに騙されずにペネロペを婚約者にしたままだったら、後世で馬鹿王太子なんて呼ばれることはなかったはずなのだから。どうでもいいけれど、当時の自分を知らない人間がこぞって自分を馬鹿にするのって堪える……。実在の人間でも現代に生きる人間を悪く書いたのは名誉棄損で、過去の人間ならいくら馬鹿にしてもいいってなんかおかしくね? 第三者の言うこと鵜呑みにして馬鹿にするのは悪手だって俺でも知ってるんだぞ……。

 そう思いながらペネロペのほうにふらふらと近づいたが、ふと見たペネロペがあんまり楽しそうに笑っていて、気づかれる前に引き返した。

 前世の記憶を思い出した時、クラリッサの無能ぶりや母親の無責任さ、父親の日和見主義に呆れに呆れてもう彼らと関わりたくないと思った。

 ……それはきっと向こうも同じだろう。自分が会いに行っても、不愉快にしかならないだろう。

 ロドルフォは最後のプライドでペネロペには会わなかった。時折遠くから見て涙ぐむくらいだ。


 クラリッサも同じ平民に生まれた。周りからいくら美人だ綺麗だと言われても、相手が全部平民でクラリッサは屈辱すら感じていた。そんなところでペネロペの姿を見た。咄嗟に身を隠す。

 意気揚々と処刑したのに、その後のことは歴史の本が証明してる。きっと馬鹿にされるに違いない。絶対する。私だったらそうするもの! だから馬鹿にしてくる相手とは関わらない、これは戦略的撤退よ! 

 と独自の考えで路地裏に縮こまっていた。彼女は生きている限りペネロペから逃げるのだ。

 だがそもそもの話、ペネロペはクラリッサを覚えていない。仕事漬けで女を捨てたようなペネロペの姿を面白半分で時々見に行っていたクラリッサと違って、ペネロペには面識がない。クラリッサは一生そのことに気づかないのだろう。



 また、あのアンヘラも近くに転生してはいた。だが彼女は元々そこまで頭が良い訳ではない。

 ペネロペを見るなり駆け寄り「前世ではごめんなさい! 私が悪かったわ! さあ、謝ったんだから私達今日から友達ね!」と叫んだ。


 アンヘラは前世の時からよくやり直しを妄想していた。その妄想の中のペネロペはいつだってアンヘラがちょっと優しくしただけでコロッと落ちた。バカにしても何も言い返してこないし、処刑になっても終始平然としていたペネロペなら、怒りや憎しみなんて感情はないし、顔も知らない平民に優しい政策をしていたなら身近な人に優しくされたらきっとその人に心酔してくれる! と。

 頭というより性格か、あるいはどちらもか。問題のあるアンヘラは自分の考えにも行動にも何一つ疑問を持たずにペネロペに突撃した。アンヘラの中ではこれで全てが上手くいく予定だったのだ。感動したペネロペが自分を側近にして、あとは適当に有能なペネロペに胡麻擦ってれば安泰間違いなし。

 そんな子供でもおかしいだろと言いそうな策を本気で信じていた。


 だがこの世界で前世は日本と同じようなもので一般的ではない。人前でそんなことを言えば間違いなく電波扱いされる。

「友達になったんだからお茶でもしましょう。私の家に招待するわ。好きな茶葉は何だったかしら?」

 目の前のペネロペが引いている様子にも気づくことなく、アンヘラはにこにこと語りかける。

 近くを歩いていた二人組から「何あれヤバい人?」 「話しかけられてる人も同類なのかな……」 と囁かれているのを聞いたペネロペはハッとなって「やめてください。私は貴方を知りません。宗教のお誘いならいりません」 と叫んで逃げ出した。

 アンヘラは懲りずに追おうとしたが、ペネロペを慕う周囲によって通報された。

 ここでペネロペが「昔の知り合いです」 とか言って誤魔化せばアンヘラが通報されることはなかったのかもしれないが、ペネロペとしては昔の無礼といい、今の相手のことも考えない謝罪と言い、とても許す気になれないというのが本音だった。あんな人を馬鹿にした謝罪なんて受け取れない。

 全て上手くいくと思って突撃したアンヘラだったが、周囲の雰囲気とペネロペの反応で自分のほうがおかしいと思われていることは流石に察した。

 とぼとぼと帰る。「こんなに頑張ったのに、罰なら前世で充分に受けたのに、あんなに友好的に接したし、ちゃんと謝罪もしたのに。なんで私ばっかり許されないの?」 と被害者ぶりながら。


 プラシドも前世の記憶を持ったまま近くに転生していた。そしてペネロペを見かけた時、全力で逃げた。

 前世のことを反省していない訳ではない。反省しているからこそ、責められると思って逃げるのだ。プラシドは責任を取らない男だ。そう言う意味では謝ったアンヘラが一番潔いともいえるかもしれない。やり方は最悪だったが。しかしこれでプラシドは何かあったら逃げるが癖になった。仕事が問題になったらバックレる。妻と喧嘩になったら数日姿を消す。子供に借金があると知られたら蒸発する。関係ない話として見たら笑える男だろう。



 ペネロペは持ち前の賢さでどんどん出世していき、ついには有力者の妻となった。王妃になる話もあったが、ろくに後見の無い身で王妃になるとどうなるのかはよく分かっている。そしてその領地をどんどん発展させていき、良妻賢母として名を遺した。


 ロドルフォは一度だけ少ない貯金をくずしてペネロペの結婚式に贈り物をした。本当だったら前世で婚約した時に贈ってるはずのものをどうしても渡したかった。


 ペネロペは数多の贈り物の中にあった、前世の王家を象徴するダリアの花をモチーフにした指輪を見て吐き気がした。

 誰か知らないけど男の人なんだろうか。これから結婚する人に指輪を送るとかふざけたことを。浮気しろとでも?

 ペネロペはじっと指輪を見る。見れば見る程前世を思い出して腹が立ってきた。花に罪はないが、ダリアは特大の地雷だ。見ずに済むなら一生見ないで生きたいくらいの。

 王妃にはお前がダリアを身につけるなぞ十年早いと言ってハンカチにすらつけられなかった。仮にも王太子妃だというのに、だ。

 そんな中で王はひたすら日和見だったし、ロドルフォはそうだそうだと王妃に迎合するだけ。

 お前なぞ王家の一員ではないと言われたに等しいのに、その王家がやるべきはずの仕事はさせられてきた。

 挙句の果てに濡れ衣を着せられての処刑。

 後で撤回されるとはいえ、散々悪女と触れ回って一時的に庶民に信じさせるとか死体蹴りが酷すぎる。

 その後王家がまとめて死にましたとか言われても、自分に関係ないところで死んだんだから可哀想とは思わない。叶うなら一度くらい復讐してやりたかった。

 

 ペネロペは指輪を床に落とすと、勢いよく踏んで壊した。女の足でいとも簡単に壊れてしまった。

「あら……ひっどい安物ね。やっぱり嫌がらせで贈ってきたのかしら」

 ペネロペは侍女を呼ぶと指輪の残骸を集めさせ、箱に戻して送り返すように言った。


 そうとも知らず、ロドルフォはペネロペは喜んでくれたかな、気づいてくれたかなと甘い夢を見ていた。結局過去を振り返るだけの男なのだ。

 そして粉々になった指輪を送り返されて絶望した。彼女には記憶があるのだ。なのにあの優しかったペネロペは……。

 現実を一つも見ないロドルフォは、今は観光地となっている前世で住んでいた王宮に度々向かった。

 あの時ペネロペを大事にしていたら、きっと今でもこの宮殿の主だったのだといつまでも涙ぐむ。

 やがて女性達の間でロドルフォの存在は噂になった。

 宮殿内に「自分は本当なら尊い身の上だった。悪い女に騙された。ペネロペは私を愛していたのに」 と訳の分からぬことを言ってくる老人がいると。それを誰にでも言うのならまだ分からなくもないのだが、女子供限定で近寄っては話しかけてくるから煙たくて仕方ない、と。

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悪役令嬢は処刑されました 菜花 @rikuto

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