虫の居所が悪かった話
じゃあ、俺がまだここに来てそこまで経ってなかった頃。今からったら……十年くらい前になるのか? 細かい端数はさておいて、およそそれくらいだろ。こっちだとあれだ、とかげの目玉が木瑪瑙だった頃って枕詞がつくやつだ。つまり昔々のお話ってこと。
俺もアダカくんも同じくらい若くて、その分だけ物を知らなくて、気が短かくて手が早かった頃、な。今がどうかは俺は言わない。だって知ってるだろ、君。
確か三つ目あたりだったかな、何がって、売られた先が。最初の頃は数えてたんだよ、指の数超えてからは意味がないからやめたけど。最初に捌いてもらった先こそ、そこそこの商家や団体相手だったけども、どっちもそれなりに派手になくなったからね。大手や老舗は用心深いもんだから、買い手がつかなくなっちゃってさ。それじゃあって新興の呪師んとこに売られたんだ。それまでは家だの会社だのって枠があったけど、そんときは初めての個人でね。まあ、個人の分際で
それでも俺を買ったやつが嫌われてたっていうのは、そりゃあ個人の問題だ。やり口がね、あー……行儀が悪くってね。依頼で指定された対象を始末して、その縁者に素知らぬ顔で営業かけては元依頼人を祟り殺し、みたいなこととか、
で、そんな筋の悪いことを度々やらかすもんだから、後ろ盾も商売仲間もどんどんいなくなる。結果、これまでの恨みの総決算みたいな襲撃かけられて、仕事も本人もおしまい。
そうやって売られた先が壊滅したのはいいんだけど、持ち主の往生際が悪くてね。せっかくの高い買い物を人に取られてたまるもんかって、俺に所有呪印を貼ったはいいけど解除しないまんまくたばったもんだから、俺の売りようがなくなっちゃったんだよね。当然だ、中古品ったって美品じゃないと値が付かない。人の名札がついてるような商品なんて論外だろ。
じゃあどうするか、ただ皮剥いでどうこうなるもんでもないぞっていうんで、商品管理の観点から呪医に任せることになった。
俺としてはさ、最初は呪医ってのもよく分かんなかったんだよね。学生んときに遊んでたゲームにそういうのいたなって覚えはあるけど、
まあね、呪い祟りがマジにあるってのもこっち来てからだしね。いや、俺の居たところでもそういう言い回しっていうか概念はあるよ。やることなすこと自分の裁量以上のところでどうしようもなくなったりとかんときはこう……論理の外から手出されてんじゃないかみたいな感覚で、呪われてんじゃないかみたいな話になったりはする。何て言やいいかな、呪詛や呪術みたいなものが論理及び技術として体系化されてないっていう具合かね、俺の居た世界だとね。
お化けとか怪異とかもそうだな。全部曖昧っていうか、少なくとも世間話の雑談で根拠として振れるほどの市民権は得ていない。
できる人がいるのかもしれないし、そういう存在がいるのかもしれないし、技術とかじゃなくてただ世界がその行為に対して反応するってだけなのかもしれないし。諸手を挙げて肯定するわけにはいかないけど、頭ごなしに何もかんも否定するようなものでもない。その程度の理解だったかな。
……喧嘩を売る気はないけどね、君もそんなまともに理解してるわけじゃないだろ。大多数の人間がそうだ。あるしいるし起こるから、どうにか対処しないといけないってだけ。対症療法で現場主義にも程があるけど、大概のことはそういうもんだしね。仕組みなんて分かんなくても、経験と予測に馴れ合いでなんとかできる。冷蔵庫がどうして動くのかは分からなくても、電源の確保さえできれば食いもんは腐らずに済む。そういうもんだろ。
ここらの医者は……そんな露骨に嫌な顔するこたないだろ。まあ、君らみたいな連中は大概嫌な顔するよな。小うるさいし愛想も悪いし、その上銭までかっさらっていく──これはね、アダカくんの受け売り。まあね、言い方が悪いけど人が弱ってなんぼの商売ではあるからね。元気なうちは世話にならない。
そんでまあ、
まあね、要は商品管理の不備みたいなもんだから。
そんなわけで、事務所ん中でも個人的なツテ、咜割商会のツテで紹介してもらった個人医に行った。
第一印象がね、ラブホの廃墟。連れ込み宿とかモーテルとか、乱暴かつ偏った認識だけど、まあそんな感じ。
表の看板に医院って書いてなかったら、俺ここで猟奇的な殺され方して撮影されて売られんのかなとか思った。勿論アダカくんの案内付きだったけど、彼だって会社の偉い人の意向には逆らえないわけだし。直して売るよか高値がつくっていうなら、十分あり得るわけだからね。
ゾンビ映画の撮影のために汚しましたって言われたら納得できるような泥やらゴミに塗れた玄関前でアダカくんが電話入れて、しばらくしたら鍵の外れる音がしてさ。いよいよ警戒のしかたがただ事じゃないもんだから、気が遠くなった。……今考えるとね、この辺の土地で個人で商売やるんならそんくらいの対応はするよなっていうのは納得できるけど、まだ初心者だったからな。
そうやって院内に入ったはいいけど、昼間だってのに人がいないんだよ。
まっすぐの廊下も長椅子の並んだ待合も、全部薄暗い。当たり前ったらその通りだ、あの辺りの医者に世話になるようなやつは日の出てる間に表を歩けないような連中ばかりだからね。そもそもそのときだって本当なら定休日だ一見は入れねえよそ行け面倒くせえと電話越しにでも聞こえるような駄々をこねてたところに、無理矢理お願いしたわけだからね。そもそも医者がろくでもない。
待たせるような先客も何もないだろうに、不愛想な受付がしばらくお待ちくださいって待合室に案内したっきり、長々と待ちぼうけを食わされた。
うん。
気まずかったね。
いくら拾った成り行きで俺の担当になってたとはいえ、おじさん──しかも異界から来たとかで気も小さいしトロいし弱っちいしの三重苦だ──の通院付き添いなんかしないといけないんだってのはあったろうな。アダカくんも下っ端だったから、色々しがらみもあったろうし。俺も流れてきたばっかりだったから、今より色んなものが怖かったしね。いちいち露店に並んだ須澄首瓜の断面くらいでびくつくようなやつの面倒を見るの、ダルかったんだろうね。……分かるって顔してんね、イヌカイ君。しかたないけど、ちょっとは傷つく。だからどうだって話でもないけど、さ。
俺が長椅子に座ったのを、アダカくんが仏頂面のままでこっちを見下ろしてた。何だろう座んないのかなって思ってたら、
「煙草吸ってくる」
いきなりそう言って、そのまま廊下の奥の方に歩いて行った。引き止めた方がいいかなって一瞬思ったけど、無理だった。怖かったし、あとは申し訳なかったし。遠慮がね、やっぱりあった。
怪しくても胡散臭くても腐っても病院だからね、待合室は禁煙だって貼り紙があったんだよね。その札に※会計横に喫煙所ありって添えてあるあたり、やっぱりこころくでもないなとは思ったよ。需要があるって言ったらそうだし、貼り紙するだけ相対的に気を使ってる方ったらそうなのかもしれないけどね。
アダカくんがいなくなって、気が抜けたんだよね。そこに具合のうっすら悪いのも加わって、蹲るみたいに下を向いた。
──色んな不安がね、ぶわっと湧いてきた。
元の世界に帰りたいってのはあんまりないとしても、単純に日々の生活が諸共不安だったからね。何だか分からないけど売られて買われてそれなりの目に遭って、年下のちんぴらにはちょっとすると凄まれるし、足に
そういう具合で俯いていたら、視界にすっと足が入り込んできた。
あんまり普通に見えたから、驚いたりもしなかった。白くて装飾のない、上履きみたいな靴。
あれ看護師さんかな順番来たのかって思った途端、目が合った。
首がね、転がってた。座ってた長椅子の下から、俺の足の間にね。
叫んで、そのまま顔を跳ね上げた。そしたらさ、でかいのがいたんだよね、目の前に。
腕があって、足があって、胴体があって──要はね、人の形はしてたと、思う。
大きかったんだよね、とにかく。
ところどころに黄色や茶色の染みがついてる使い古した包帯みたいな白衣で、肩口が天井近くにあって、首から上が見えない。そういうのが、ただ俺の前に突っ立ってた。
足元に転がってる首の大元かなって思ったけど、まともに考えるのもちょっとやだった。そうだったとしても全然嬉しくないし、もし別口だったら嫌が増えるだけだったし。
──これは死ぬかな。
諸々まとめて、とりあえずそんなことを思った。
だってさあ、脅かしておしまいってやつならもうさっきの首で瞬間最大風速は取れてるんだよ。それなのに、用は済んだはずなのにいなくなりもしないで目の前でゆらゆらふらふらしてるわけだからさ、それ以上があるやつだろ。どう考えても。
俺も逃げられないし、バケモノもただ突っ立ってる。自分の心臓の音だけだくだく聞こえて、ちょっと油断したら息が吸えなくなりそうだった。
そうしたら目の前のバケモノが横ざまに倒れて、そのまま不機嫌そうな横顔と、銀色の蛇が視界に踏み込んできた。
蹴ったんだよね。あの頃から足癖が悪かった。ついでに気も短かった。
アダカくん、よっぽど腹が立ったんだろうね。初手から腹だった。あんなに足が上がるんだなって、俺は待合の椅子に座ったまんま思った。きっと吸い終わる前だったんだろうなってのも、少し。煙草吸ってるところを邪魔されたんなら、怒るのも無理ないだろうし。
そこから先はね、いつも通り。バケモノの腹蹴ってから押し倒して上に乗っかったまんまぶん殴り始めたからね。やり口がね、路地裏でちんぴら相手にやってるのと同じだった。
うまくできたもんで、そうやってバケモノをぼこぼこにしてたら看護師が呼びに来たよ。別にね、バケモノも消えたりしないの。ぐしゃぐしゃにした麩菓子に鼻血を拭ったティッシュを巻きつけたみたいになってて、手先がびくびく動いてるのがすごく嫌だった。
叱られるかと思ったらなんてことなしに診察室に入れられた。入る直前に舌打ちが聞こえたけど、あれ多分看護師さんだったんだろうね。アダカくんとバケモノのどっちに向けてなのかは、今でもよく分かんない。もしかしたら俺かもしれなかったけど、そんなんどうしようもないからね。
医者は俺の顔色とアダカくんの靴先を見てからため息を吐いたよ。
で、まあ……それなりに処置が済んで、俺はそれなりに悲鳴とか泣き声とかを我慢して、診察はおしまい。受付で金払って薬受け取ってけってことだった。なんというかね、普通だった。白衣の襟にぽつぽつ印鑑が押してあったのはちょっと嫌だったけど、極論関係ないからね。佐々城、網代、芝崎、戸川……あんまり分かんないから覚えてるけどね、名字の内訳。医者の名字じゃなかったと思う。余計分かんないだろ。
帰り際、呼び止められた。振り返ったら箱が飛んできたもんだからビビってたら、横からアダカくんが受け取ってくれた。
煙草だったよ。封は切れてたけど、まだ二三本しか吸ってなさそうだった。
医者は俺とアダカくんを順繰りに見て、一度頷いてから犬でも追うみたいに手を払った。
口止め料だなってのは、さすがに俺でも分かった。医者の口止め料が煙草ってのもどうなんだろうとは思ったけど、ね。
会計が済んだ後、喫煙所で一本吸わせてもらった。
火だからね、
ああ、傷の経過? 腕はね、良かったんだと思う。施設とか態度とかはあれだけど。
剥がしたわけだからね。傷はそこそこ長く痛んだけど、治って皮膚が貼ってからは、呪印は綺麗に消えてたから。傷は残ったけど仕方ない、そっちならまだ売り様もあるしね。
──普通の傷ならうまくすれば商品価値になる。趣味の悪い話だけどね。だからまあ、めでたしめでたしで今に至る、ってわけだ。何なら見るかい……別に構わないよ、俺はね。商品の状態把握って、大事だろ?
栴檀月昇る、首三つ落ちる 目々 @meme2mason
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