身の上話、馴れ合い、請け合い

 勝負の勘も場を見る目も数を数える頭もなかったのに一攫千金とか一撃必殺とか一粒万倍みたいな身の丈に合わないことしか望めなかった親父が馬鹿みたいな借金の揚げ句に首を括って、甲斐性もなければ巡りも悪くて一緒にいても何の自慢にもならなかった男と邪魔っけなガキとどうしようもない額の記載された借用書に愛想を尽かして勤め先の経理課長だかと手に手を取っての逐電をかました女と、誰かしらが始末をつけるだろうと放り捨てられた家の抜け殻に、逃げ遅れたことも理解できずにただぼんやりと座り込んでいた子供。

 そういう面白みも意外性もない一家離散の残骸──置き去りにされた子供が俺だ。

 生まれの話をしようとしても、たかがこの一息で説明ができてしまう。前置きも見せ場も何もない。その程度の背景しかない。

 お涙頂戴にするには陳腐が過ぎて、何よりこの辺りの土地にへばりついてる連中なんぞにそんな王道の悲惨の需要はない。


 その時に家に出入りしていた借金取りがまだ外回りの営業やってた時分のアダカさんで、愛想のない犬みたいに玄関で座り込んだまま目も合わせなかった子供──俺を拾ったのが何もかもの始まりなのだ。陳腐もここまで突き詰めるとどうにもならない。三番街劇場の腐れ芝居でも扱わないような筋だろう。

 意外性のあるところといえば、その拾われた子供がイサハマ精肉に売り飛ばされもそこらの肢端市場で部品に分けられもせずに、そのまま事務所に下っ端として居座り五体満足のまま元気に人の頭をかち割ったりバケモノの腹を踏んだりしているあたりだろうか。それだって精々飲んだ帰りの夜道で夜行提婆とかち遭って片耳を毟られるくらいの物珍しさしかないだろう。自分のことではあるが、どこまでも凡庸だ。


 勿体ぶっていたわけでも、隠したかったわけでもない。ただ単に面白くないのと、必要がないから人に話さなかっただけだ。

 そんなものを聞きたがった荷物もどうかしているし、その要望に応えた俺もいよいよどうかしている。

 カガミは檻越しにこちらに向ける目を眩しそうに細めてから、溜息とも呼吸とも曖昧な息を吐いた。


「先払いしてくれるとは思わなかったな」

「踏み倒すと疑われるのが嫌だったからな」


 少しばかり驚いたような声音だった。

 いつものらくらとうわごとを喋っているばかりのこいつからは余り聞いたことのない声だったので、それだけでも僅かな満足感がある。恐らくは俺が話した内容というより、俺がここまで長々と話をしたということに驚いているのだろう。

 どんな相手であれ、器量の底を見切られたら終わりだ。これもアダカさんから教わったことだ。払いを渋るようなやつ取引をする甲斐がない相手だと思われると、後々面倒なことになる。

 倉庫で二人きり、しかも一方は檻の中かつ暴力沙汰には向いていない中年という状況でそこまで身構える必要があるのかと言われたら分からない。だが栗首鼠だって弱った人を獲物とみて噛むのだから、荷物だってこちらを安く見たら頭を割りにこないとは限らない。檻があるとはいえ、やる気になった思い詰めた輩が何をしでかすのか分からないのが世の常だ。痛いのは嫌だし、仕事をしくじってアダカさんに失望されることなど想像したくもない。


 カガミは檻越しにこちらを真っ直ぐ見ている。


「要求には応えたぞ。これ以上は俺も知らない、だから話せない。お前はどうだ」


 昔のアダカさんを知っているんだろうと問い詰めたくなるのを飲み込んで、ただ黒い目を見返す。

 やけにゆっくりとした瞬きを一度してから、カガミは続けた。


「ん……何かしら予想できるかなとは思ってたけど、今聞いた感じだと分かんないね」

「役に立たねえな」


 大袈裟に舌打ちをしてみせれば、カガミが眉根を寄せた。悲しむような表情ではあるが、その目はやはりいつもと同じように感情が見えない。


「そうだな、気まぐれを起こすような性質たちじゃないぐらいのことなら……かといってそんな子供に心動かされるような人でもないだろう。理由が思いつかないな」

「そんなのは俺だって分かってる。もっと何か違うことを喋れよ」

「俺だって役に立つことを喋りたいよ、貰った分は返さないといけないって習ったからね。でもなあ、本当に意外性がないっていうか、思った以上にとっかかりがないっていうか……」


 相当に失礼なことを言われているが、その通りなのでいつものように檻を殴る気にもならない。自分がそれこそ羽虫のようなガキだったのも、今でさえ一山幾らで買い叩かれるのが相応のちんぴらでしかないというのは存分に理解している。


 アダカさんがどうして俺を拾ったのか、当然教えてもらったことはない。

 教えてくれないということは知らなくていいことなのだろうし、現に俺は何も分からずともガキの頃よりはるかにマシな生活ができている。殴られる頻度はそれなりかもしれないが、およそ俺の不始末及び迂闊さが原因なのだから不満にもならない。きちんとした理由があるだけ、眠っていたところを何事かを喚き立てる母親に焦げだらけの灼炭鍋で滅多打ちにされて叩き起こされるよりかはだいぶ上等だ。

 だからこそ、アダカさんが小汚いガキ当時の自分を拾った理由が気になっている。もし何かを期待しているのであれば聞き出して役に立てないものかと考えている。役立つ手下なら捨てられずに済むからだ。

 月一の甘楽眼螺電街の月例会と地続きで始まる慰労会、そこで美座吟醸と扇胆煙草で機嫌の良くなった隙を見計らっては何発かは殴られる覚悟をしてから恐る恐る尋ねているのだけども、およそ俺に肩を借りないと真っ直ぐ歩けなくなっているくらいには酔っ払ていてもその問いに対してだけはぴたりと口を閉ざすばかりで一度だってまともに答えてくれたことはない。

 事務所の古参の連中に聞けばいいのかもしれないが、拾われて居付いたような下っ端の小僧にそんなことを教えるやつがいるとは思えない。迂闊に聞けば、手下が余計なことを聞き回っているとアダカさんに話が回るであろうことは目に見えている。そんなことになればアダカさんに迷惑がかかる。下手をすれば小僧一人の管理もできないとアダカさんが侮られるようになる。手下の手柄が兄貴分のものなのは当然だが、不始末の責任も背負わせてしまう。それはどうにも嫌だった。


 だからこそこうして荷物と迂遠なやりとりをしているのだが、ここまで収穫が見込めない反応をされるとさすがに落ち込んでしまう。

 余計な期待をしていたつもりもないが、それでも少しは頼ってしまっていたのだろう。そのことも俺にとっては予想外ではあった。これまでだらだらと耳に流し込まれたこいつの話をそれなりに──細かい情緒や理由は処理しきれなかったが──面白いと認識していたのかもしれない。不本意ではあるが、事実だと認めるべきだろう。 

 怖いものが理解できているかはさておいて、荷物カガミの話を聞くことについては抵抗が随分薄れてきている。その変化が果たして喜ぶべきことなのかどうかは、俺には判断がつけられずにいる。


 がたんと聞き分けの悪い阿呆の頭を椅子で殴りつけたときのような音が天井近くから聞こえて、視線を上げる。

 日差しに光る採光窓に、うっすらとした血の跡があった。鳥か何かだろうが、倉庫の窓にぶち当たるのも珍しい。


「鳥はね、勘がいいんだよ。それだけにすぐ血迷う」

「あ?」

「言ったろう、俺は寄せるんだって」


 先日外壁に群れていた黄手束蜘蛛の生白い肢を思い出す。そういえばこいつはモノ寄せの異能がどうこうだったなと、思い出すついでにいつものように組まれた足先へと視線が向く。

 病人を閉じ込めた座敷の障子じみた血の気の薄い肌の上に、火傷痕を意匠化したようなアザが赤々と貼り付いている。

 カミサマ連中の異能というものがどれほどのものかはよく知らないが、境界術式や簀戸建築技法ほか諸々の手段で対策済みのこの倉庫にしまい込んでおいてさえ影響があるのなら恐ろしい話だ。術士業者連中だって料金分の仕事はしているだろうに、ちょっとした規格外が放り込まれたというだけで不具合を発生させられたとなれば商売に影響が出る。

 異能ではある。だが、そこまで見境なく効くのだろうか。

 銭も人も寄せられるという招き猫じみた文句で売られたこともあるとは話していたが、それが事実かどうかは確認していない。目録カタログに記載された情報ならまだしも、商人連中の煽り文句と荷物自身の自己申告にどこまでの信用がおけるかという話だ。

 改めてこいつは何なのだろうという疑問が浮かび、檻の中へと視線を移す。

 カガミは俺の視線を真正面から受けて、わざとらしく首を傾げてみせた。


「かわいそうな鳥はさておいて──そうだな、せっかくイヌカイ君から話をしてくれたんだ。だったらそれにできる範囲で応えないと、釣り合いが取れない……」


 調子を取るように鎖が鳴る。組み替えられた足先には爛れた赤が滲んでいる。

 爪先をぶらぶらと揺らしてから、カガミは薄い唇を開いた。


「それならあれだ、。俺がアダカ君と妙なものに遭ったときの話、思い出話をしようじゃないか」

「それは──」

「本命には前座がいるものだろう、違うかい」


 辛抱ができない男は嫌われるよと嘯いて、カガミは口元のほくろに指先で触れた。


「何、そんなにずれた話じゃない。だから無関係ってことはない……アダカ君も俺も今より少し若くって、この辺りはやっぱりどうしようもない吹き溜まりの掃き溜めで、荷物と若造が右往左往していたってだけのことしか違わない」


 どのみち君が知らない話だから、文句はそこまでないと思うよ。

 そう嘯いて、双眸がゆっくり細くなる。昏い目の中には窓から射す日など呑まれていくばかりだ。

 手元の金属バットを握って、俺はどうにかその目を正面から見る。

 冷やかなバットの柄が体温に馴染んで、人を殴るときと同じように腹が決まった。

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