揺さぶり・貸し借り・堂々巡り

 どうにも上手く飲み込み切れない。分からないところに辿り着くまでに幾つもの疑問が転がっている。

 とりあえず疑問を見失わないうちに口に出すことにした。


「兄の勝ち負けが弟の戦績に影響すんのか」

「あるなしだったら微妙にある。その後の試合の組み方にならあった、だろうね」

「もっとじかにはどうなんだ」

「ん?」

「兄が勝つと、弟が必ず何かしら面白くない目に遭うみたいな、そういうのはあったのか」

「……ああ、そういうやつね」


 因果関係があまり飲み込めてないのかと呟いてから、カガミはこちらを見た。


「じゃああれだ、イヌカイ君としては兄の才能と弟の戦績の間には関連性があると思うかい?」

「兄が強い、連戦連勝の花形選手、そのことは兄の評価だろう。けどそれはそれ単体だろ。弟が選手として評価されないことには関係がない。期待外れではあるかもしれないけども、兄と弟は別の人間なんだから」

「期待ってのはどういう種類で、誰がしているもののこと」

「……血が繋がっているなら得意なことも同じだろう、って思われること、あるだろ。雇った連中からすれば、そういう目で見るんじゃねえかなって」


 親兄弟が似るのは顔だけではない、それくらいは知っている。体質やら好みやら得手不得手やらの諸々が、血が近いという理由で共通することがある。甘電通りの月目食堂は一家経営だが、厨房からホールの注文取りまでやや薄い眉から黒目がちの二重瞼に左目元の二連黒子という写し紙で刷り取ったようにそっくりな顔をしていて、どいつもこいつも店員としても料理役としても誰がどこの役割を任されても応えられるということで有名だ。血で才能やその他諸々が保証されている、あからさまで分かりやすい例だ。

 そうした極端な例を踏まえずとも、兄が優秀なら弟にも同じ才能があるのではないかと期待する、他人がそう考えることについては理解ができなくはない。

 それでも今回の話の芯が掴めていない気がする。折ろうと掴んだ首がぐにゃぐにゃとすり抜けていくような気色の悪さがある。


 涼やかな鎖の音がして、俺はいつの間にか床に向いていた視線を持ち上げる。

 カガミはこちらを真っ直ぐに見据えていた。


「今回すごい考えてるね。どの辺?」

「……その、兄の成績自体は弟の才能には関係がない。それは間違ってないんだよな」

「ないね。兄が三連勝して弟が八連敗しても、その二つの事象には何の関係もない」

「じゃあ何で呪ったんだ。意味がないだろ」


 身内が強いことに何の問題があるというのだ。

 才能のある人間が近くにいるのは便利だ。血縁という繋がりがあるなら無茶も通せるだろう。吃人虎の膏を掠める骨灼狐というのは以前アダカさんから読めと投げ渡された子供向けの辞典に載っていたので覚えがある。狐どころか鼠のように弱い立場であるならば、膏を調達してくれる虎が近くにいることは幸運ですらあるだろう。その虎が身内──言葉通りの意味だ──であるなら尚更だ。

 その利点を投げ捨てて、兄を呪うということの意味が分からないのだ。

 例えばの話だが、俺はアダカさんが優秀なのは知っている。俺が手下として未熟なのも知っている。だからこそアダカさんに感謝と敬意を持つことはあるけども恨むのも妬むのも筋違いだろう。俺の出来が悪いのは俺のせいであって、アダカさんが優秀であることは何の関係もないのだ。

 カガミは足を組み替えて、俺から視線を逸らさないままに続けた。


「そうだね、イヌカイ君の言ってることは正しい。他人の才能の有無は自分のそれに関係がないし、自分より出来がいいだけの兄を呪う意味は何にもない」

「だよな」


 自分の理解が間違っていないことに安心する。

 でもね、とカガミが続けた。


「そんな理屈が分かっててもね、受け入れられないのもよくあることなんだよ」


 いつもと同じ、静かな声のその端がどことなく掠れて聞こえたのは気のせいだろう。

 膝上でだらりと力なく組まれた指が、蜘蛛が脚を絡めたようだと思った。


「自分より出来のいいやつが成功するのが羨ましい、憎い、腹立たしい。自分のできないことを軽々とこなして評価されるやつが許せなくって仕方がない、みたいなね」

「そんな理由でか」

「正当な理由ってのも思いつかないけどね。イヌカイ君には覚えはない、そういうの……」


 自分にはない。俺の出来が悪いのは俺の難儀であって、それ以上の理由はない。それでも嫉妬が原因の刃傷沙汰、その始末に仕事として駆り出されたことならいくらでもある。だから、そういう動機で他人をぶん殴るやつがいるのは分かる。

 事象としては単純だ。そこの理屈は飲み込める。自分に実感があるかどうかはさておいても、そう考える人間がいることは納得できる。

 だからこそ、俺は喉につかえてどうにもできないもの──この荷物カガミが聞きたいのはそれなのだろうと薄々察しながら──をそのまま吐き出す。


「兄弟なんだろう。血が繋がった兄と弟だ。それでも、殺したいほど嫉妬する憎めるのか」


 カガミは長く息を吐いた。


「そうだね、できるよ」


 右目だけを僅かに細めて、薄い唇が開いた。


「兄弟だから、血が繋がっているからこそ、どうにもならなくなる。他人だったら忘れて逃げておしまいにできたかもしれないのにね。

 誰より身近で離れがたいものだから、自分か相手を始末しないと終われなかった。縁、ことに血縁っていうのはそういうものだよ」


 手近なところにいるから、繋がりが深いからこそ憎くなる。

 要は無関係の相手には好意も憎悪も抱けないようなものだろう。大通りですれ違う連中や一度きりしか会わない店員に対して何かしらの思い入れを持つ必要も機会も存在しないのと、理屈は同じはずだ。

 意図を以て立ち塞がったり殴りかかって来たなら応えよう殴りようもあるが、そうでなければただの風景でしかない。風景ただそこにあるものを存在だけで憎むような理由を、俺は持ち合わせていない。そんなことになったら忙しくて仕方がないし、何より面倒だ。

 立てた膝に顎を乗せて、カガミが口を開いた。


「そういやさ、イヌカイ君はアダカ君の弟分なんだろ」

「──だからなんだ」

「なんだって言われるとあれだけども。馴れ初めとか聞きたいなって」

「お前に話してやる理由がない」

「だろうね。昔のアダカ君だったらさ、他人の面倒なんて見そうになかったから……君を手元に置いてるの、意外なんだよね、俺としては」


 アダカさんの名前が出て、俺はバットを手元に寄せる。すぐさま投げつけはしないが、何かを握り締めていたかった。


「お前はさ、昔から商品だったんだろ」

「そうだね。アカマルこっちに来てからずっと、売られたり買われたりしてる。痣のせいおかげで……」

「いつからだ」

「昔から。アダカくんが君ぐらいの歳だったっけな、若作りってわけじゃないけど、彼も年齢が分かりづらい風体だからさ」


 黒々とした目が細められて、右の目元の泣きぼくろがやけに目を引いた。

 そんな表情をするほどの思い入れがあるのかと怒鳴りつけたくなったが、堪える。荷物相手に腹を立てるのも格好がつかないと妙なところで正気が声を上げたせいだ。

 こいつは俺が仕事を手伝うようになる前のアダカさんを知っている。

 アダカさんはその頃からアダカさんだったのか。言葉にするとあまりにも間抜けなのが剥き出しになって嫌になるが、聞きたいことがそうなのだから仕方がない。


「なあ荷物」

「名前で呼んでくれよ。カガミだって、何ならどう書くかも教えるのに全然イヌカイ君聞いてくれないからさあ」

「昔のアダカさんの話が聞きたい。話せ」


 だらだらと続きそうな物言いをぶち切って、要求だけを突きつける。

 カガミはこちらをいつもの茫洋とした視線でしばらく見つめてから、


「いいけどさ。じゃあさ、取引……は立場的にできないな。約束、っていうかお願いくらいなら通るかな」

「何が欲しい」

「物じゃないよ。どうやってイヌカイ君が拾ってもらったのかってのを教えてくれたら、俺も話すよ」


 握り締めたバットをそのまま持ち上げたが、放り切れずに床を叩いた。カガミは一瞬だけ膝を抱え込むように背を丸めたが、バットが床を突くのを見て不意を撃たれた凶状持ちのような顔で俺を見た。

 何だかひどく間抜けな表情だった。


 知りたい。


 俺の知らないアダカさんがいる、というのは当然だ。別にそれについては不満もない。人間一人のことをすべて把握しようというのは不可能だし、何より気色が悪い。向こうの事情を興味だけで暴くのは行儀が悪いと、それこそアダカさんに左の脛を蹴り飛ばされて教わったことがある。


 俺が知らないだけならそれでいい。そのことについては何の問題もない。

 だがそれをこいつが、荷物の分際で知っているというのが納得できないのだ。


 弟分かどうかはともかくとして、手下てかとして役に立っている自負はある。俺のできる範囲で万全を尽くしているつもりだ。

 その俺が知らないことをたかだか先に出会っただけの商品カガミが把握しているというのが癇に障るのだ。


 知りたい。だが、荷物相手に取引するのは嫌だ。だけどもアダカさんに直に聞けるわけがない。教えようとしないことを聞くのはよくないことだ。行儀が悪い。足を払われてから横面を踏まれる。

 カガミ荷物に一方的に話せと要求すればどうだろう、そんな考えが真っ先に浮かんだ。こちらは管理者売る側であり、向こうは商品だ。俺とて下っ端ではあるが、それでも立場としてはこちらが上だろう。ぶん殴らずに言うことを聞かせるのは少々骨だろうが、やってやれないことはないと思いたい。

 けれども、と思考が回る。商品に手を出すのはご法度だという警告と、もう一つ──受けたを返さないのも行儀が悪いのではないだろうかという疑問が湧いた。

 取引というのは当事者同士で同意を以て行われるべきものだ。それは商売の基本であり、最低限の行儀仁義だ。

 アダカさんにも事務所の偉い連中にも、色んなやつに叩き込まれた道理を反芻する。合意を以ての騙し合いならともかく、ただの脅迫で釣り合いを捻じ曲げるのは『なっていない』所業ではないだろうか。

 話を聞き出すのに暴力を使うのは経験がないわけではないが、それは向こうが取引に最初はなから応じる姿勢がないか、そこまでしてやる義理が見当たらない場合だ。カガミは一応取引を提示してきているし、荷物としては従順で扱いやすく協力的な対応を見せている。


 それを一方的に蹂躙するのは、いくら何でも行儀が悪いのではないか。


 そんなやつは後々報いを受ける。バレたらアダカさんに横腹を蹴られる。それだけならまだしも、手下として不出来だと見限られたら目も当てられない。

 あの昏い目が俺を見もしなくなるのを想像すると、足元から深い墓穴に落ち込んでいくような気分がした。


「……今日は、無理だ。決められない。だから、考える」

「そうか。まあ、無茶しないでね」


 檻越しにこちらを見る目はただ愉快そうに細められているばかりで、俺の動向などどうでもいいというのが透けて見えた。思わせぶりな物言いも何もかも、暇潰しでしかないのだろう。いい加減そのくらいのことが分かるくらいには、あれと付き合ってきた。

 ──あの目で何を見たっていうんだ。

 無理矢理に橄欖酒を飲まされたときのように、胸がじりじりと焼ける。殴って問い詰めたら聞き出せないだろうか。地べたに押し倒して薄い腹なり痩せた肩なりをぶん殴ってやればすぐだろう。あの貧相な体なら素手で十分だろう。

 手っ取り早いが取りようもない手段を夢想して、俺は舌打ちをして檻から目を逸らした。

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