分からなくなった兄弟の話

 三回目だけど、具合でも悪いのかい。

 何がって、欠伸だけど。数えてんのかよっていうか、対面で話してる相手がわごわご口開けてたら気づくだろ。若いときって眠いとはいうけど、君今までそんなに眠そうにしてたことなかったじゃないか。


 ああ、昨晩は仕事があって、それが遅くまでかかったのか。内容とかは……いや、いいよ教えてくれなくて。バットに手ぇ伸ばそうとした時点でなんか分かるしね。どうやって殴ったかとかそういうのは聞きたくない。知ると想像しちゃうから、そうすると俺まで何だか痛く辛くなる。昔っからそうなんだよ、映画で拷問とか嬲り殺しとかそういうのを見ると手から力が抜けてさあ。アカマルこっちに来ても全然慣れないな、やっぱり。年食ったから顔には出なくなったけどね。嫌なもんは嫌だよ。鶏肉も皮のとこ嫌いだし。

 そうやって疲れる真似してたんなら、欠伸が出ても仕方ないな。半日俺の相手してから夜も現場仕事だ、大変だったろう。そんなに人手がないのか、それとも君が頼られてるのか──ちょっと、今のどこで俺は金属バットを投げられたんだ。いい加減慣れろよってもね、大きい音はそんなに得意じゃないんだよ。痛いのはもっと嫌だけどね。


 さて、どうしようかな。

 別にここで君が居眠りしたところで、俺がなんかしらやらかせるわけでもないけどね。頑張れば火ぐらいは点けられるかもしれないけど、足の鎖が外せない時点でただの心中計画になるだけだし。そうまでして逃げたいかって言われるとそうでもないしね。行くあても縋る相手もいない。だったらこうして商品として売られてる方が気が楽だよ。

 金出して買ったものは出したなりの扱いをするからね、人間。大枚はたいて首千切っておしまいってのはあんまりやらない。そういう趣味のもいるのはその通りだから、当たったら最後だけども。引きが悪いってだけの話だ。


 じゃあ……目が覚めるかどうかは知らないけど、甘楽眼螺電街の泉下闘場の話をしようか。

 泉下闘場、知らない? 篤醍寺の近くにあって、そもそもはあそこの信斬坊主が修行と宣伝と粛清がてらにやり合ってた会場を買い取って、デカい規模の商売にしたみたいな来歴があるやつ。買われたり売り込んだり、自分の命を直に金銭でやりとりしてるやつらがいっぱいいるところだよ。

 といっても最近の話じゃない、今は千川の連中が仕切ってるけどね、その前にのさばってた安多太螺一家の時代の話。

 尾噛騒乱って言ったほうがイヌカイくんには通じるだろうかね、外から来たこう、暴力沙汰の上手いやつらが雇い主の喉首を掻っ切ったみたいな話だよ。後進のよそ者に縄張り争いで負けたって言うと悲惨だね。

 実際安多太螺の連中もね、長年やってた分だけ恨みも買ってたし……先代あたりからは横暴が目立つようになってたって聞いたし。羽振りが一等良くなったのもそのあたりだけど、その分商売のやり口が苛烈になったってことだ。そりゃあ首も取られるよ。千川のやつらはその辺が専門らしいしね。

 俺はね、安多太螺に買われてたんだよ。基本的には商売向けの異能だからね、俺の痣。客が呼べれば万々歳、そうじゃなかったらまあ、試し斬りくらいには使えるだろうぐらいの期待値。幸い効果を実感してもらえたのと羽振りが良かったから、試し斬りの藁束扱いはされずに済んだ。


 なんかあれだね、君そもそも闘場ってのにあんまりぴんときてないって感じの顔してんね。眠たそうなのはさておいても、あんまりにも上の空だもの。

 要はさ、賭博場なんだよ。麻雀花札宝くじみたいなさ。そういう遊びはやんないのか、イヌカイくんは。まあアダカくんも賭け事弱かったしね。じゃあ弟分に教えるような真似もしないか。


 街中で喧嘩なんか幾らでも見られる。まったくその通りだ。でもね、見世物としての暴力にはまた違う需要があるだろ。喧嘩、というか暴力の質を担保して、なおかつ賭けられるってなったら……嬉しいだろ、多分ね。


 あとはまあ、街中の下っ端やら能天気あっぱらぱあ連中の喧嘩っていうのはさ、そう見ごたえのあるもんでもないだろ。およそ優勢劣勢は一方的で圧倒的だし、基本的に素手か鈍器か精々が酒瓶っていうかさ。

 俺もこっちに来て長いけど、一番緊迫したのって紅串屋台のお兄ちゃんとどっかの下っ端小僧の一戦に遭遇したときくらいだよ。屋台の兄ちゃんが金串を短刀ドスみたいに両手に構えて間合いを取ってるところに、小僧が持ってた鞄から鉈出して振るんだもの。どっちもで見合ってるのが分かるから、さすがに野次馬連中も引いてたな。俺は最後まで見らんなかったけど、どうなったのか。


 そういう素人の喧嘩とはまたちょっと違う殴り合いを見せてくれる、ってのも売りなんだよ。見世物興行でもあるわけだ。


 だから選手も色々いたよ。単純に拳一つの殴りを売りにする若造、居合で鉄柱から首まで刎ね飛ばすジジイ、気功使いに連爆術士。ああ、札返しもいたな。札ってあれだ、呪符令符の類じゃなくって面子メンコ。あれ一枚で人の腕とか首とかすぱすぱ飛ばすし火も出すし地べたも抉るみたいなやつだった。


 正統派から花形色物、層も厚く幅も豊かに選手を揃えた中で、一等人気だったのが誰だか分かるかい。

 喧嘩屋だよ。


 どういうやつだったら、素手専門っていうべきかな。道具も術式も使わない。ただの殴り合いがめっぽう強い、それだけの男だ。

 いくらここがろくでもない土地だからって、その辺のちんぴらがほいほいと生体武器腕だの術式改造なんかをしているわけじゃない。値も張るしね、セシュカや葮原の連中くらいだ。ただ、そいつがいるのは相手をとにかくぶちのめしたいしそのための術を磨き続けてきたような連中ばかりが集まる場所だってのは分かるだろ。


 でも、そんなことが関係ないくらいに強かった。強化術式も何も組んでない、その癖生体武器腕の複数人相手に圧勝するんだから尚更恐ろしいというもんだ。


 詳しいこと、全然分かんないんだよね。闘場に来るまで何をしてたか、どこに居たかみたいなのも全部不明。精々弟がいた、くらいかな。弟も選手だったから。こっちは兄ほど強くはなかったけど、まあ……干されるほど弱くもなかった、はずだ。花形選手の兄弟だからってだけでやっていけるような場所でもないからね。

 だからまあ、喧嘩屋については素手で喧嘩が滅法強い兄、ぐらいの情報しかない。

 確認しようにも、それこそ尾噛騒乱で記録がすっ飛んでるからどうにもできない。騒乱関係なしに、この選手の名前自体が忌まれたってのもあるかもしれないけどね。今の仕切りの千川連中がなかったことにしてるあたり、そんな気がする──まあね、邪推にしかならないけど。言い方が悪いけど、乗っ取った側としてはいないことにした方が具合がいいだろうし、ね。


 一回だけ、兄の試合を見たことがある。

 俺が見た頃にはもう連戦連勝の花形選手扱いで、それなりの格と銭の掛かる相手としかやらないくらいになってた。最盛期ったら大袈裟かもしれないけど、見られたのは幸運だったと思ってるよ。

 人を殴る才ってのは確かにあるね。

 こう、やってることは暴力だしどちらかと言えば残虐行為なんだけども、見栄えがする。華があるっていうのかね。

 俺はほら、オーナーの所有だったから。座敷席から見てたわけだけども、見惚れたね。人殴ってるだけなのに。

 手際が良いっていうか、動きが鮮やかっていうか……なんて言えばいいんだろうな、人を殴るために最適化された動作で、無駄も余分も何一つない。機能性の美みたいなもんだろうかね。暴力沙汰を見て驚いたのはあれが初めてだった。それ以降にそんな洗練された暴力には出会ってないってのもあるけど。


 連戦連勝、向かうところ敵なしで、後にも先にもそいつ以上の強者なんかいやしない──その花形選手がね、勝てなくなった。


 何でって話は簡単、身体の不調だ。頭痛に微熱に重めの貧血覚えのない出血に目眩に吐き気、身を起こしてるのも難儀な状態で人殴れってのは酷だろう。肉体労働は万全の体調で行うべきだ。それでもしんどいだろうしね。

 しばらくは兄も隠してたんだけどね、まあ……噛ませの殴られ役に足払われたくらいでぶっ倒れたらどうにもならないよね。その日の試合はめちゃくちゃな倍率になったっていうけどね。大穴どころかクレーターだよ。奇特なやつが馬鹿みたいな儲け方をしてたもんだから、胴元が笑うしかないような損が出た。


 で、大ごとになったわけだからね。事情聴取調子を尋問したの結果として、兄の深刻めな不調が露見したわけだ。

 理由が分かったのなら対応もできる。商品だからちゃんと検査に出した。当たり前だね。死ぬような仕事だからこそ、仕事以外で死なれたら丸損だ。

 で、赤組──赤丸地域自治団体協同組合この辺りの総締め団体所属の呪医に見せて、診察したところ呪詛があるとの見解を頂いた。


 君に言うまでもないだろうけど、呪詛なら返せるんだよね。呪詛返し、便利だから。犯人も分かるし、もっと言うなら始末も済むしで都合がいい。


 そんでまあ、手順がちゃんと通った翌日、弟が死んだ。死に顔の右半分、肌がなくなってた。そんな有様だから乂取かるとり呪法だろうなって見当はついたし、呪医の見立ても同じだった。


 だから、犯人探しも報復も賠償も全部ふいになった。興行主オーナーとしては面白くないね。でもどうにもならない。さっさと呪詛を返せって焦ったのもオーナーなんだから、尚更。


 さっきも言ったけど、弟も選手ではあったんだよ。ただまあ、中堅……って言えば聞こえはいいけど、微妙なところでね。頑張ってたけど、華もないし腕もいまいち──そうだね、イヌカイくんの言う通りだ。才能がなかった。一言で済む。ありふれてるけど、だからこそちゃんとひどい話だ。

 動機、想像はできるだろ。というか想像しかできない。何せ吐く前に犯人が死んじゃったから……被疑者死亡のため書類送検、みたいなもんだね。兄弟ってもここまでこじれる。や、だからこそなのかね。難儀なもんだよ。


 縁を辿って呪詛ってのは対象に浸み込むんだよね。で、縁が深い程効率がいい。他人、知人、友人、親族。

 親族でも血が近い方が強いんだよ。

 血縁の呪いってね、強いんだって。加護にもなるみたいなのは……どっかで俺を買ったやつに教わったな。まあ、何だってそうだ。刃物だって自分に向くか敵に構えるかで結果が随分変わるだろ。力の向きって大事なんだよ。


 だから兄は死にそうな目に遭ったし、返された弟は死んだ。刺した分だけ差し戻されたんだから、全く因果応報な話ではあるけどね。


 そこから兄はどうしたったら、やっぱり分からない。弟が死んでからも試合には出ていたようだけども、技が荒れたとか対戦相手が必要以上にいたぶられたとか、そういうよくない話がちらほら聞こえるようにはなった。そんで尾噛騒乱のどさくさで、姿を消した。死んだか逃げたかは分からない。


 ──まあね、どっちにしても地獄行きだろうしね。だったらどうでもいい話だ。

 どっかの飲み屋の裏路地で出遭うでもなければ、関係ない話だろう。そうなった場合にどうなるかってのは、考えたくもないけど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る