第110話: 勝利者などいない



 力こそパワー、パワーこそ正義、正義こそ力。



「ごふぇんふぁふぁい(ごめんなさい)」


「ごふぇんふぁふぁい(ごめんなさい)」


「ごふぇんふぁふぁい(ごめんなさい)」



 おたふくのように顔を真っ赤に腫らし、前が見えねえといった具合で鼻血を垂らしている変態たちを前に。



「今後は絶対服従、私の命令には従いなさい。文句があるならば、聞きましょう。この、拳で……!!!」



 ぱきり、ぽきり、と。


 可愛らしいお手て(シミ一つ痕一つ無い)の骨を、威圧感たっぷりに鳴らせば、変態たちはブルリと総身を震わせ、深々と土下座をした。


 2コマ落ちなんて猶予は与えない、有無を言わさないコマ外落ちである。


 なんとも慈悲のない話に思えるが、仕方がない。


 放置さえしなければいいわけで、早く済ませられるならと思って来たというのに……千賀子には相手をしている暇がない。


 理由としてはやはり、赤子の件だ。


 いつもならかなり正確に時間を指定する千賀子だが、今回は大人ではなく赤子だ。赤子の状態は把握できても、母体の未来の動きまでは読み取れない。


 何事もなく安静に過ごしているならば、千賀子とてもっと正確に予測できるが……残念ながら、この女……まともな生活をしていない。


 おそらく、いや、確実に、妊婦としての心構えや対応を母親あどから習っていないし、習うアテが無いと見て間違いない。



 と、いうのも、だ。



 これは、前にもチラッと説明した事なのだが。


 この頃(1960年~1970年代)の性教育は、ぶっちゃけてしまえば、現代に比べると有って無いようなものなのだ。


 いちおう、御上の方では『なんとかせねば……』という認識はちゃんとあったのだ。


 だが、肝心の教える側がまだまだ知識足らずであったり、間違った知識だったり、日本においては『純潔教育』がまだまだ主流だったこともあり、非常に教育や認識が遅れ……ん? 



 純潔教育とは、なにかって? 



 分かりやすく言うと、科学的な教育……射精や生理のメカニズムといった科学的アプローチによるものではなく、従来の道徳的なアプローチを前提とした教育のことだ。


 たとえば、男女は年頃になったら同衾しない、毛が生えてきたら無暗に肌を見せない、むやみに射精をしたら腑抜けになる、女子が自慰などはしたない……等々など。


 これは現代の基準で考えれば相当に不思議なやり方であり、生理関係の授業は女子のみに限定し、男子には教えない(教えても、断片的)といったこともあったのだとか。


 ……なので、この頃は男女別のコミュニティや雑誌などで知るといった話が非常に多かったのだとか。


 これは、1960年代から過激になっていた左翼運動の影響、『性の解放』という生真面目さとは裏腹の性教育の遅れや軽視によって深刻化してしまうのだが……話が逸れ始めているので、そろそろ戻そう。



 とにかく、だ。



 この頃の『性』に対する認識は非常に無知であり、『コーラで洗えば避妊できる』といった、今ならば絶句されるようなやり方が一部の若者の間で信じられていたぐらいに、色々な意味でいいかげんだったのだ。


 もちろん、当人たちにとっては大真面目だったので、一概に責めるのは間違いだし、後だしジャンケンみたいなものだけど。



(あの女……臨月なのに全然気にせずハードなセックスしているんだよなあ……前でも、後ろでも……頭のネジが外れているのかもしれない)



 それでも、この時代でも思わず顔をしかめてしまいそうな事はあるわけで……それを、あの女たちはやっているわけだ。


 いちおう肉体的に問題が無ければOKだし、ホルモンバランスの影響から発情してしまうという話もあるが……それでも、だ。



(誇張抜きで、私が加護を与えていなかったら確実に流産しているのが……そうでなくとも、感染症コンボで死んでいる可能性大なのがまた……)



 発散しないとストレスが溜まって……といった事でなければ避けた方が無難なのは現代でも変わりなく、この頃でも『お腹に赤ちゃんがいるのに……?』という感じで見られてしまうような行為であった。


 ……まあ、現実逃避の側面もあるのだろうが、そもそもからして、この女。育っている胎の子供を煩わしいと思っているのだ。


 いくら今は(性的な意味で)妊婦大好きな変態のおかげで生活できているとはいえ、その変態は、産んだ子供への関心がまったく無いっぽい感じが強い。


 つまり、面倒を見てもらえるのは身籠っている間だけで、出産をすれば捨てられる可能性があるわけだ。


 せめて父親がその変態だったならば話が違ったのだろうが、生まれてくる子は金髪碧眼……純日本人同士の間でソレならば、間違いなくロクな結果にはならないだろう。



「いいね? これから3週間先までは、男子トイレも女子トイレも全部見張りなさい。私の予想だと、あの女は外のトイレとかでこっそり産み落とすはずだから」

「ふぁい(はい)」

「あの女にとって、胎の子はうっとうしい厄介事でしかない。転がり込んでいる家では産めないし、実家からは勘当されている……と、なれば、誰にも見られにくい寂れた公衆トイレとか、こういう……う~ん、あまり他人に見られたくないだろうから、いざそうなったら遠出はしないと思うけど……ヨシッ」



 キョロキョロと辺りを見回した千賀子は、人の気配が無いのも確認すると……ガバッと巫女服の裾をまくってパンツを脱ぐと、一つ息を吐いてから……チョロチョロと立小便をし始めた。


 あまりにも突然の行為に、困惑する少年が2人。


 対して、花子さんだけは……なんか、緩やかに顔の腫れが引いて、フガフガと人様には見せられない鼻息荒い顔が露わに──っと、その時であった。



「出たぞ! そこのヒバゴンを捕まえろ!!」

「──し、しまった!?」

「おお、しかもそいつは普通に喋れるやつじゃないか、逃がすな!」

「──お、俺は絶対に負けない!」



 いったい、どこに隠れていたのか……どこからともなく姿を見せたヒバゴンに、千賀子はすぐさま捉えるよう指示。


 何がなんだか分からないままに命令に従って動くボーイズと、それ以上の速さで飛び蹴りを放つ花子。


 まともに戦えば、ヒバゴンは滅茶苦茶強い。UMAである3人も実は大概だが、真正面から戦うのは分が悪い。


 しかし、今回はそうならない。何故なら、千賀子が立小便をしているからだ。


 分かっていても、目を背けることができない。


 分かっていても、逃げることなどできない。


 何故ならば、そこに桃源郷があるから。


 そこで逃げ出せばそれはもうヒバゴンではなく、ヒバゴンはヒバゴンであるがゆえに、捕まるしかないのだ。



「逃げようとしたって無駄だ、おまえらは小便をしている時は動けないからな。おとなしく、私の言う事を聞きなさい」

「くっ! 卑怯な──殺せっ!!」

「場合によっては殺さないよ。それはそれとして、あんたらって人を食わなくても生きていけるの?」

「え、そりゃあ、まあ……」

「なんで人を食うの?」

「え? だって、時々は肉を食わないと身体がもちませんよ、仙人じゃないのですから」

「……牛や豚でもいいじゃないの」

「牛や豚は財産ですから。一頭でも居なくなったら捜索されますけど、捨て子や孤児の、その中でも頭や身体の悪い子なんて、居なくなっても形だけ探した体を取るだけでそのままですし……」



 そう言ったヒバゴンの方が、「……私が言うのもなんですけど、人間って不思議ですね」言葉通り不思議そうに首を傾げた。



「同族よりも家畜の牛や豚が大事でそれまで散々邪険に扱っていたのに、いざ居なくなると、天変地異が起きたかのように騒ぎ出すけれども本気で探しているわけじゃない……なにがしたいのでしょうか?」



 そう逆に尋ねられた千賀子は、深々とため息をこぼした。



「善人だと周りから見られたいし、自分がそうだと思いたいのよ」

「え? 同族の子供を見捨てているのに?」

「実際に善人であるかどうかは関係ないの、人間にとってはね……さて、あんた達にも協力してもらうわよ。嫌なら、この拳で語り合うことになるから」



 ジロリ、と。


 3人に押さえられているヒバゴンを、見下ろしたのであった。






 ……。


 ……。


 …………で、それからきっちり3週間後の夜。



「さて、これからどうしようって話なんだけど……」



 場所は、冴陀等村にある神社。


 緊急会議なので、2号も3号もロボ子も集まっている、自室の中央には……新品の布団の上に寝転がされている金髪の赤子が、タオルで作ったおくるみの中でうにゃうにゃ呻いていた。


 やはりというか、なんというか……あの女は千賀子が危惧していたとおり、寂れた公衆トイレにて出産した。


 若さに加えて、千賀子の加護のおかげなのだろう。


 出産時の痛みは軽減され、傷や出血も知らぬ間に治った。


 どうやらへその緒を切らねばならぬというのは知っていたようで、それを終えると……そのまま、どこかへ逃げてしまった。



 ……床に放置された、赤子をそのままに。



 赤子は、泣いていた。何も分からなくとも、異常が起きているのを本能的に察したのか、その声は必死でありつつも、どこか力が無かった。


 でも、女は振り返ることすらせず、足早に離れて行った。


 さすがに、花子さんからその話を聞いた時、あんまりと言えばあまりな雑な扱いに、千賀子は開いた口がしばし閉じなかった。


 なにせ、今は2月だ。せめて、タオルか何かに包むぐらいはするかも……と、思っていたのだ。


 大人でも思わず背筋を震わせてしまうような寒さなのに、羊水まみれの生まれたての赤子なんぞ、1時間ともたず低体温症を引き起こして凍死してしまうだろう。


 実際、女がトイレを去ってすぐに全速力で保護するまでに掛かった時間は5分にも満たないが、それでも、その肌は冷えていたのだから……で、だ。


 とりあえず、村人の中で出産&子育て経験のある年配女性に預け、綺麗にしてもらい……薄めた粉ミルク(赤子用)を軽く飲ませた後、こうして改めて対面したわけだが。



「戸籍はまあ、道子と相談して決めるとはいえ……問題は、その後。前世での、親戚の子供の相手をしたぐらいはあるけど、さすがに新生児ってのは……」

「本体の私、適当な孤児院にでも預けたら?」



 2号からのある意味では常識的な発言に、「それが出来たら、酔いのだけどね」千賀子は特大の溜め息で答えた。



「今時の孤児院とか施設はどこもかしこも捨て子でいっぱいよ。食わせるだけで手一杯だってのに、さらに手の掛かる新生児とか……」

「じゃあ、実家を頼ったら?」



 3号からのある意味では常識的な発言に、「赤子に罪が無いとはいえ、ねえ……」千賀子は特大の溜め息で答えた──おお、デジャヴュ、デジャヴュ。



「自分の息子を騙して虚仮こけにした女の、それも自分たちとは一切血の繋がりがない赤子を育てろってのは……」

「では、冴陀等村で面倒を見れば良いのではと具申します」



 ロボ子からのある意味では常識的(?)な発言に、「いや、おま、それは、その……」千賀子は非常に複雑そうな様子で顔をしかめた。


 これまでとは違った嫌がり方をした千賀子だが、これには色々と理由がある。


 まず、『冴陀等村』は普通の村ではない。


 表面上は分かり難いが、その成り立ちが原因で非常に保守的かつ排他的な場所であり、例外を除いて余所者を受け入れる事はまずない。


 仕事だって、そう多くない。


 ぶっちゃけてしまえば、怪しさ満点の旅館経営が最大の外貨稼ぎ場所で、その旅館の目玉は……有り体に言えば、性接待。


 やっていることは1957年まで営業していた、日本で唯一公的に許可された風俗店の『吉原』である。


 そして、価値観からして『冴陀等村』は独特であり……独特なんて生易しいものではないが、おまけに変化もしない。


『冴陀等村』で生きるには冴陀等村の価値観で生きる必要があり、異を唱えるのは異物の証明……いや、違和感を覚えるような子は、そもそも冴陀等村から追い出される場所だ。


 相手が赤子であろうが関係ない。ここは、そういう場所なのだ。


 千賀子という絶対的な君主の指示ならば大切に育ててくれるだろうが、だからといって、冴陀等の価値観は変わらず……将来、外とココとのギャップに苦しむ可能性は高い。



「……? では、遺伝子改良をすれば良いのでは?」

「いや、ロボ子……それは、マズイのでは?」

「どうしてですか?」

「うわぁ、マジでまったく分かって……あ、うん、ロボ子的には本当に意味が分からないってのは分かるよ、うん、ごめんね、言い方が悪かったね」



 なんだろう、こういう形で、ロボ子が宇宙人の作ったロボット(?)だってのが分かるのはなんだか嫌だなあ。


 そう思いつつも、なんだか堂々巡りになりそうな流れに、本当にどうしたものかと頭を悩ませ「──ところで、マスター」たところで、唐突にロボ子が話題を変えた。



「将来的な免疫機能を獲得するためにも、速やかに初乳を与えるべきだと提案します」



 ……。


 ……。


 …………??? 



 ……。


 ……。


 …………はい??? 



 しばしの間、千賀子は本気で言葉を失くしていた。


 その目は焦点が合わず、背後には宇宙が広がっているような……2号も3号も、ポカンとした様子でロボ子を見つめていた。



「初乳は、赤子の成長にとって非常に重要な要素です。母親の免疫能力を受け継がせる意味でも、可及的かきゅうてき速やかに授乳させるべきだと──」

「あ、いや、そうじゃないの。初乳の有用性とかじゃなくて……そう、そうね、ロボ子の懸念はもっともだけど、その前に一言」



 そうして、ようやく思考が現実に戻ってきて、我に返った千賀子は……ガリガリと己の頭を掻いた後、おもむろにロボ子へ告げた。



「私、妊娠していないから母乳なんて出ないわよ」

「いえ、出ますよ。出そうと思えば出せる身体です」

「え?」

「女神様から、『母性』と『地母神』の加護を得ているとお聞きしました。この二つが積み重なると、赤子の状態に合わせた最適な母乳が出せるようになります」

「知らなかった、そんなの……」

 ──(=^ω^=)ガンバリマシタノデホメテ

「おうよ、これがお礼の拳だ受け取れクソ女神」

 ──(=^ω^=)オコルイトシゴモカワイイヤッター

「嫌だなあ、女神様ってば超喜んでいるよ……」



 対する、ロボ子から(あと、女神様も)の返答は、無慈悲にも程があった。


 ただ、千賀子の内心は別として、赤子の将来を考えたら、初乳を与えるというのはとても大事だ。


 なにせ、初乳と区分される母乳が出るのは、出産してから10日間ぐらいと言われている。


 そう、実は母乳というのは時期によって成分が変化し、初乳と呼ばれる時期の母乳が出るのは、長くて10日間ぐらいしかない。


 なので、兎にも角にも飲んでもらう。少量でも効果が期待できるので、身体が辛くとも痛くとも乳を吸わせるのだが……まあ、うん。



「仕方がない。赤ちゃんには罪なんてないから、まあ、頑張るよ」



 実際、本当に罪は無いし、将来を考えたら多少の気恥ずかしさなど後回し……そう思った千賀子は、パパッと半裸になると、そっと赤子を抱き上げた。



「本体の私、なんだかずいぶんと赤ちゃんを抱っこするの上手くない? そんな経験ないよね?」

「『母性』と『地母神』のおかげかな……見ただけで、どう持てば良いのかが分かるんだ……ちゃんと、ゲップをさせないとダメってこともね」

「大変ね、本体の私……」

「まあ、この子よりはマシだろうね」



 急に身体が動いたので不安を覚えている赤子を優しく揺らしてなだめながら……そういえば、とロボ子を見やる。



「母乳って、吸わせたら勝手に出るようになっているの?」

「マスターの場合は、そうですね。深く悩まず、乳首を吸わせたら大丈夫です」



 なるほど……千賀子は、促されるがまま抱き上げた赤子の口元に乳首を寄せる。


 すると、赤子は目を瞑っていても分かるのか、千賀子の人差し指でも十分過ぎる小さな手をの伸ばし、グニグニと乳房をまさぐると……カプッと、乳首を咥えて吸い始めた。



「……初乳排出を確認。大丈夫です、マスター。ちゃんと、出ています」



 それを見て、ロボ子は正常に授乳が行えているかを確認する。


 吸われている千賀子には分かっているだろうが、改めて言葉で説明するのは大事であり、ちゃんと行えていると理解させるのは精神的に……っと。



「……赤ちゃん」

「……?」

「赤ちゃん、すごく元気だね。おっぱい、すごく……」

「マスター?」

「小っちゃい手で、小っちゃい口で、頑張って吸っているね……」

「マスター? どうかしましたか、ます──」



 そこで、ロボ子は言葉を止めた。



「  良い子でちゅねぇ ママでちゅよ ポンポンいっぱいになりまちょうねぇ  」

「──ま、マスター?」



 なんでかって、千賀子の様子が明らかにおかしかったからで。


 具体的には頬がほんのり赤くなり、唇は緩やかに弧を描き、今にも涙が零れんばかりに目は潤み、それはそれは幸せそうでいて。



「はあぁぁぁ、かっっっわぁいいいいいい~~~……!!!」



 ちゅ、ちゅ、ちゅ、ちゅ、と。


 お腹いっぱいになって乳首から顔を離して、母乳まみれになっている赤子の額に、何度も何度もキスをする、その姿は。



「……鎮静剤の投与が必要でしょうか?」



 ロボ子の目から見ても、些か判断に迷う姿であった。




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