バナナおばあさん
香山 悠
本編
小学六年生の冬、わたしはサッカー少年だった。その年の秋ごろに、地元のサッカークラブの体験会でボールを蹴ってから、夢中になっていた。
たしか五十年ぶりに、地元のサッカークラブが復活したとか。地域の高齢者たちは懐かしがって、わたしたち子供をかわいがってくれた。
その中に、毎回バナナを差し入れてくれるおばあさんがいた。柔らかな物腰で、いつもニコニコしていたと思う。
しかし、ある日を境に、おばあさんがまったく来なくなった。しかも、何か知っているだろうとコーチに訊ねても、何も知らないどころか、まったく興味を示さない。当時は、ずいぶん薄情な人間だと思ったものだ。
けれども、サッカークラブのコーチなら、毎回おばあさんを見ているはずだし、印象に残らないはずがない。それなのに、おばあさんがどこの誰かも知らず、「そんな人なんていたっけ?」と言うのは、いくらなんでもおかしかった。
もしかすると、当時バナナを食べていたのは子供たちだけであり、大人たちは一度も食べていなかったのではないだろうか。そのことがどうやら関係していると気づいたのは、後になってからである。
結局、大人たちからは情報も協力も得られなかったので、クラブ終わりに、子供たちだけでおばあさんを探そうとなった。
まともな手がかりは、「毎回たくさんのバナナを持っていた」だけである。そこで、町中のスーパーや八百屋で、片っ端から聞き込みを始めた。
もしかすると、バナナを買おうとしているおばあさんにばったり会うかもと、わたしは内心わくわくしていた。
だが、情報はまったく得られなかった。毎週二十本近くバナナを買う客がいたら、店でうわさになっているはずだ。しかし誰一人、そんな人は見かけたことがないと言った。
いったん、公園で休憩しようと誰かが言った。午前中はサッカーで走り回り、お昼を食べてすぐ、今度は自転車で町中を走り回ったのだ。わたしもヘトヘトだった。
公園のブランコに揺られる。冬の寒風で、すぐに身体が冷えてきた。
「……おばあさんは、もう死んじゃったんじゃない?」
子供たちの一人が言った。誰も返事をしない。皆、薄々そう思っていたのではないだろうか。かくいうわたしも、もうほとんどおばあさんを見つけることはあきらめていた。
「うわっ」
子供の一人が、突然声を上げた。思わず全員がそちらを見ると、その子がリュックの底から、黄色い何かを取り出す。
バナナの皮だった。なんと、一ヵ月も前におばあさんからもらったバナナの皮を、リュックに入れっぱなしだったのだ。正直、臭いで気づきそうだが、そそっかしいやつだったので、今まで気づかなかったのだろうか。
いずれにしても、それを見たわたしたちは、決意を新たにした。最悪おばあさんが死んでしまっていても、それならそれで墓参りくらいはしたい。
子供たちの足で調べられるお店は残り少なかったが、聞き込みを再開した。
どうか、手がかりがつかめますように。
そう祈って八百屋の店主に話しかけたが、やはり、梨のつぶてだった。
わたしたちががっかりしていると、一人が、バナナの皮を店主に見せた。
「こんなバナナなんですけど……」
まだ持っていたのか。わたしはあきれた。そんなものを見せても、気持ち悪がられるだけだろう。
だが、皮を見た店主の顔色は変わった。
「そのバナナは……あぁそうか、君らが聞いてきたのは、あのおばあさんか」
店主は唐突に、何かを思い出したようだった。
店主が子供のころ、およそ五十年前にも、サッカークラブにバナナを差し入れてくれるおばあさんがいたらしい。店主も、その昔はサッカー小僧だったようだ。結局クラブは解散してしまったが、あのバナナの味が忘れられず、大人になってから八百屋を始めたらしかった。
しかも店主は、当時のおばあさんの自宅を覚えていた。店の仕切りを息子に任せて、わたしたちといっしょにその場所へ向かう。
だが、おばあさんの家だと思われる古い建物は、ちょうど、取り壊されている最中だった。
結局、その日は解散した。それ以上の手がかりは得られそうもなかったし、仮に遠くまで引っ越したともなれば、子供たちにはどうしようもない。
おばあさんのことを、大人たちがまったくといっていいほど覚えていなかったのは、なぜだろうか。店主も、バナナの皮を見るまで、そんなことがあったのをすっかり忘れていたと不思議がっていた。瓜二つの人間が、あのころの店主にも、わたしたちにも、バナナを差し入れてくれていたのか、それとも……。
おばあさんを探し回ったあの日から、二十年は経った。実家が引っ越したり、仕事を始めたりしてしばらく地元から離れていたが、ようやく戻ってくることができた。
今、わたしが持っている袋の中には、いっぱいのバナナが入っている。
目の前のグラウンドでは、子供たちが、今日も元気にサッカーをしていた。
バナナおばあさん 香山 悠 @kayama_yu
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