第10話 中山美穂さん 安らかに
中山美穂さん(54)が本日24年12月6日(金)お亡くなりになったことが分かりました。ご冥福をお祈りいたします。
大ショックです。 ミポリンの愛称で呼ばれ、我々世代の超アイドルでした! 数多くのアイドルの中でもその輝きは際立っており、愛くるしい笑顔にどれだけの人が癒されたことか……
1970年3月生まれ、歌手、女優として活躍、2004年に作家/ミュージシャンの辻仁成氏と結婚し、パリで生活し、2004年には男児を出産しました。その後も芸能界での活動を精力的に続けられました。
今日もクリスマスディナーショーの予定だったそうです。本人も無念だったと思います。東京の自宅の浴室で見つかっており、ヒートショックなどの突然死の可能性が高いようです。私の祖母も冬の入浴中に亡くなりました。心不全だと思われます。
第五話にも掲載しましたが、私達の憧れの人達が若くして亡くなられるのは本当に残念です。
もうショックすぎて、涙も出ません。
ミポリンの歌声が今も頭の中で流れ続けています。
♫まぶしい季節が 金色に街を染めて 君の横顔 そっと包んでた
まためぐり逢えたのも きっと偶然じゃないよ 心のどこかで 待ってた
――世界中の誰よりきっと 果てしないその笑顔 ずっと抱きしめていたい
季節を越えていつでも
** 中山美穂『世界中の誰よりきっと』より **
🌳🌳🌳🌳🌳🌳🌳🌳🌳🌳🌳🌳🌳
-------------- 以下補足 ----------------
中山 美穂、1970.3.1~ 2024.12.6 東京都小金井市出身
幼少期は長野や群馬に住んでいた。両親は3才の時に離婚し、実父の記憶はわずかだった。テレビでキャンディーズの活躍を見て芸能界に憧れる。小学4年の時に母親が再婚。幼稚園の頃から芸能界に憧れ映画や劇団のオーディションを多数受けていた。両親の転居で転校が多かった。
1982年、小金井市立緑中学校1年生の時に原宿でスカウトされる。最初は広告、ポスター等のモデル活動のほか、CMに出演。
1985年ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女・のどか役で女優デビュー。大ヒットし一躍注目を集めた。1985年6月アイドル歌手としてもデビュー一躍トップアイドルとなる。以後も主演ドラマの主題歌を自ら歌ってヒットさせ、女優と歌手を完全な両輪とするアイドルの先駆者となった。1985年12月映画『ビーバップ・ハイスクール』で映画初出演、大ヒット作となり、シリーズ化する。年末には、日本レコード大賞 最優秀新人賞を史上最年少で受賞するなど活躍が続いた。歌手デビュー同期の女性アイドルには浅香唯、石野陽子、井森美幸、おニャン子クラブ、斉藤由貴、本田美奈子、南野陽子、森口博子、芳本美代子などがおり、ハイレベルな顔ぶれであった。
3歳の頃、両親が離婚すると中山は幼い妹と共に東京の伯母夫婦の下に預けられた。中山は伯母夫婦に心から感謝していると語っている。子供時代はおしゃべりでひょうきんな性格で、歌を歌うのが大好きな子だった。従妹と分け隔てなく愛情を注いでくれた伯母の家では、正月やクリスマスも経験できた。だが、母親は働くため、突然の引っ越しが多かった。
――母はいつも突然引っ越しをした。私はそのつど友だちに別れを告げられなかった。はじめましてとさようならはいつもセットだった。(中略)思春期からの数々の恋愛は、父親を求めるような戯れでもあった。未熟と成熟を抱えながらその中心でバランスを保つことはなく、常に激しく人と向き合っていたと思う。ほとんどの大人と異性は私に、自分で学ぶことの大切さを教えてくれた。
— 中山美穂、『なぜならやさしいまちがあったから』
中学時代の中山は脱色した茶髪に長いスカート、家でも学校でも反抗していた不良少女であったという。しかしドラマデビューを期に髪を黒く染め直し、「母を幸せにしたい」という思いから14歳で芸能界に入った。この日から中山は「みんなのもの」となり、家族の生活を担うことになる。
アイドル・女優として
デビュー後は無条件に愛してくれるファンの存在が愛おしく、当初ファンレターには全て返事を書いていた。ある女の子とは文通もしたという。ドラマや歌番組よりも、そうしたファンの反応が直接伝わるライブは特別なものだと語っている。デビュー後瞬く間にトップアイドルとなり、ドラマに歌番組、映画と多忙を極めた。
トップ女優として活躍する一方、仕事をこなすことに追われ「自分を出せない」もどかしさも募った。「アイドルど真ん中にいるのに、300館のロードショーではなく単館上映の映画をやりたがる」と語った。1995年、岩井俊二監督『Love Letter』に主演し、ブルーリボン主演女優賞を受賞する。結婚や出産、離婚も経験し、女優として一段と深みを増した。
音楽性
1985年に『「C」』でアイドル歌手としてデビュー。この時点から、中山とスタッフが一緒になって中山美穂の将来像を作っていこうという方針で、アイドルのプロデュースにおける、オーソドックスないわゆるスター・システムとは違う形でスタートしている。松本・筒美の王道路線の他にも、角松敏生・久保田利伸・小室哲哉など若手の新進気鋭のアーティストの作品提供を受けており80年代後半では1、2を争うアイドル・シンガーとなった。
1986年 トップアイドルとして多くのテレビ番組、CMに多く出演した。
資生堂のCMソングとなった『色・ホワイトブレンド』が20万枚以上のセールスを記録するヒット曲となる。秋の『ツイてるねノッてるね』はオリコンチャートで自己最高の週間3位、主演ドラマの主題歌となった『WAKU WAKUさせて』は23.7万枚とそれまでで最高のセールスを記録。小中学生含む同性のファンが多かった。
1987年 (昭和62年)
最高視聴率28.6%を獲得した主演ドラマ『ママはアイドル!』の役柄・中山美穂の愛称ミポリンが、実際の中山の愛称としても定着した。
角松敏生プロデュースによる楽曲をヒットさせたり、ブロマイド売上枚数が女性部門でトップになる。しかし、11月に過労から溶連菌感染症にかかった。
1988年 (昭和63年)
2月、角松敏生プロデュースのアルバム『CATCH THE NITE』リリース。三冠を達成。シングル『You're My Only Shinin' Star』も1位を獲得した。
11月リリースの『Witches』も週間チャート1位を獲得。12月、『第39回NHK紅白歌合戦』に初出場。以後1994年の『第45回NHK紅白歌合戦』まで7年連続で出場した。1988年のアーティスト別年間トータルセールスでは光GENJI、BOØWY、久保田利伸に次ぐ第4位となった。南野陽子、浅香唯、工藤静香とアイドル四天王と称され、1980年代末のアイドル・シーンを席捲した。
1989年 (昭和64年/平成元年)
フジテレビ月9『君の瞳に恋してる!』に主演。2月、資生堂の春のキャンペーンガールに起用され、CMソングとなった『ROSÉCOLOR』が週間チャート1位を獲得。シングル5作連続オリコン1位を記録。
1980年代の年間ベスト50位以内ランクイン曲数は10曲と、当時の女性アイドルでは中森明菜、松田聖子に次ぐ第3位『ザ・ベストテン』後期の期間(1986年1月-番組終了まで)においては最多の登場回数を記録している。
1990年代に入り、多くの同期アイドルと異なり自身は歌手活動を継続し、歌手業と女優業を両立させる。1990年代ドラマを代表する女優となった。
1990年: TBS系ドラマ『卒業』。フジテレビ系月9『すてきな片想い』主演。
1991年:シングル『Rosa』ロング・ヒット。フジテレビ系月9枠ドラマ『逢いたい時にあなたはいない…』主演。主題歌の『遠い街のどこかで…』は67.3万枚の大ヒット曲となった。
1992年:10月、フジテレビ新設の水曜劇場枠ドラマ『誰かが彼女を愛してる』主演。中山美穂&WANDS名義でリリースした主題歌の『世界中の誰よりきっと』が183.3万枚のミリオンセラー(オリコン最高位1位)となる大ヒットを記録。
1993年1月よりデビュー以来初めてとなる3カ月の長期充電期間に入る。ロサンゼルスに滞在してボイストレーニングやダンスレッスンを受ける。初めて女優活動を休止し歌手活動メインの1年を過ごした。
1994年TBS系ドラマ『もしも願いが叶うなら』主演。主題歌の『ただ泣きたくなるの』が104.8万枚のミリオンセラーを記録。『世界中の誰よりきっと』と合わせ2曲のミリオンヒットの快挙達成は中山美穂と今井美樹の2人だけである。
1995年:映画『Love Letter』(岩井俊二監督作品)に主演。一人二役のヒロインを演じ確かな演技力を証明。各映画祭で主演女優賞を受賞。
1996年、岡本真夜と中山美穂 with MAYO名義で「未来へのプレゼント」をリリース。
1997年:映画『東京日和』がロングヒット。また、映画賞で主演女優賞を受賞。
1998年:ドラマ『眠れる森』で木村拓哉と共演し、最高視聴率30.8%を記録。
1999年:「Adore」最後のCDシングルをリリース。以後、歌手活動を一時休止した。
2001年春クールの主演ドラマ『Love Story』の平均視聴率が20%越えを達成。これにより1980年代、1990年代、2000年代の三世代で主演ドラマ平均視聴率20%越えを達成した唯一の女優となる。同じく10代、20代、30代での主演作品としても平均視聴率20%越えを達成した唯一の女優となっている。
2002年6月3日、ミュージシャンで小説家の辻仁成と結婚。日本での芸能活動を一時休止し、フランス・パリに移住。
2004年1月、長男を出産。育児に専念
2005年CMで3年ぶりにメディア出演
2007年エッセイの連載を開始。CMにも出演。
2008年、絵本『ランタンとつる』の朗読を担当
2009年、フォトエッセイに加筆された『なぜなら やさしいまちが あったから』が5月に単行本化された。
2010年1月23日、主演映画『サヨナライツカ』公開。数多くのテレビ番組に出演。
2011年、東日本大震災の被災地へ向け作詞した楽曲を動画共有サイト・YouTubeで公開。 “新曲”は、2000年以来、10年ぶり。辻のギター伴奏にあわせ、久々に歌声を披露した。
2014年7月、辻仁成と協議離婚が成立。親権は辻が持つ。
2015年12月『 FNS歌謡祭』で、18年ぶりに音楽番組に出演し「世界中の誰よりきっと」「ただ泣きたくなるの」の2曲を披露した。
2016年3月、本格的舞台『魔術』に出演。
2018年春、「蝶の眠り」で5年ぶりの映画主演。
2019年に歌手活動を再開。20年ぶりのニューアルバム「Neuf Neuf」を発売。
2022年5月21日に自身初のファンミーティングを開催。いずれも満員即売。
2023年に24年ぶりの全国ツアーを中山美穂コンサートツアー「Miho Nakayama Concert Tour 2023 -Trois-」開催し、ツアー最終日の6月24日には山梨県河口湖ステラシアターで「中山美穂歌手デビュー38周年記念ライブ」も行われた。
2024年にも全国ツアー「Miho Nakayama Concert Tour 2024 Deux」を開催し、全国19都市21公演を行った。
死去
2024年12月6日東京都渋谷区の自宅の浴槽でお湯の張った浴槽に座り前かがみの状態で事務所の関係者に発見され、通報を受けて駆け着けた医師により死亡が確認された。死因はヒートショックと思われる。54歳没。当日はビルボード大阪で「Miho Nakayama Christmas Concert 2024 in Billboard Live」大阪公演が予定されていたが、体調不良を理由に公演中止が発表されていた。
(2024.12.6)
災害・事故・事件 半世紀 🌳三杉令 @misugi2023
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