第2話 後編


 俺はすぐに保健員に拘束され、保健室に運ばれていた。


 いわゆるドクターストップだった。


 保健室内では大騒ぎになっていた。

 保険委員の眼鏡の女の子と保健室のおばちゃんが、まるで戦争が始まったかように慌てている。


 そんな中、俺は襲る襲るその傷口を確認する。


 白から赤に染まったブリーフ……その中は。


 ぱっくりと割れた


 瞬間、悟った。

 俺はもう、選手として戦えない体になってしまったんだと――。


 それは足元の地面が徐々に崩れ落ち、深い谷底へ突き落される感覚だった。


 保健室のおばちゃんが、『傷口を消毒したい』と言ってズボンを脱がせようとする。


 しかし、俺はそれを断固として拒否した。


 この事を知られれば、鈴木はどうなるのだろうか?

 それに最悪、競技自体、クラスの朝礼査問員会にかけられ……消滅してしまう。


 言い表せない不安の中、俺は只々、沈黙を貫いていた。

 

 そんな時、突如、保健室の扉が開く。


 部屋の中に入ってきたのは……。


 黒縁眼鏡の中年男性。

 この小学校の副コミッショナー。


 黒川教頭先生だった。


 噂に聞くところ彼は体育系の大学出身の先生で、校内では朝礼で長話をすることで有名。夏場、何にも生徒を日射病で地に沈めてきたことで畏れられる熱血先生である。


「傷口を見せてみなさい」


 そう、鋭い眼光をこちらに覗かせる。


 俺は腕を組み、黙秘を続けていた。


 ほっといてくれ……俺にはこれしかないだ。

 

 それは唯一のアイデンティティ。

 

 この栄光を手放したら……あの日に逆戻りしてしまう。


 そう、虐められていた、あの日の弱い自分に――。


 俺は絶対に引退なんかしない。


 と、覚悟の視線を送り続けた。


 場内は、『ズボンを脱げ!』、『脱がない!』の押し問答。


 烈しい睨み合いとなっていた。


 そんな時、再び、保健室の扉が開く。


 俺はその人の顔を見て酷く焦った。


 くっ……事態はそんなにも大事になっているのか?

 

 丸々と太った体系、薄くなった初老男性。この小学校の最高権力者。

 

 コミッショナー、平井校長だった。


 彼は普段、一般生徒に接する機会がなく、その容姿からハゲたカビ〇ンと影で呼ばれ、レアポ〇モン扱いされた存在。

 しかし、俺は知っている。彼は狡猾で侮れない男だという事を。


「まあまあ、黒川教頭先生……落ち着いて下さい」


 意外にも彼は、黒川教頭先生を宥め、俺の肩を持つような発言をする。


 ……助かった。

 と、俺は少し安堵の息を漏らしていた。


 だが、その時――。


「あ、そうそう……」


 平井校長先生の口調が少し変わった……。

 俺の眼にはそんな風に視えていた。


……」


 そう、俺の肩に手を置き、不敵な笑みを零す。


 やりやがった――この古狸……いや、ハゲカビ〇ン。


 俺はまんまとその策略に嵌っていたのであった。


 


 数十分後、保健室に一人の女性が来た。


 それは、忙しいパートの仕事を抜け出し、駆けつけた母親の姿だった。


 心配そうに見つめる視線に。

 

 また、俺はやってしまったのか……。


 と、深く後悔させられていた。

 

 俺には父親がいない……いわゆる母子家庭だった。

 それは俺がまだ幼かった頃、父は若くして肺癌で他界してしまい、それ以来、この母が女手一つで俺をここまで育ててくれた。

 

 ある日の記憶。朝から晩まで働き詰めで、疲れているのに文句ひとつ言わず食事を作る母。不器用な形のオムライス。そこには下手な赤い文字ケチャップで『お誕生日おめでとう』と書いてあった。……にもかからわず、不意に言ってしまった心無い一言「こんなのいらない」。

 あれ以来……俺はずっと忘れられない……。


 「ちょっと見た目は悪いけど味は美味しいから……」と、皺が深くなった微笑みを見せる悲しげな姿が。

 

 そしてその表情は、今と重なってみえる……。

 

 俺は一体、何に意地を張っていたんだ。


 こんなに心配させて……。


 何が……天下無敵、最強の漢になる、だ……。


 微かに残る記憶。それは燃えるような落陽の中で、ごつごつした手に引かれる幼い俺の手。

 ぽつり呟く――父の最期の言葉は『女の子を泣かすような男だけにはなるな』だった。


 これでは……。

 

 本末転倒ではないか……。


 霞む天井を見つめる。


 俺は馬鹿か……。


 そして、静かに立ち上がり……。


 黙ってズボンとパンツを脱いだ。


 もう、いいんだ……。


 何も……恥ることはない……。


 「行こう、病院へ」

 


 

 泌尿器科と書かれたその待合の椅子で、俺は悲嘆に暮れていた。


 隣には、ハンカチを押し当ててすすり泣く母親と、引率している保健室のおばちゃん……。


 辺りは、数多くの先人の亡霊――ご高齢者達が彷徨っていた。


 一人ずつ、その名を呼ばれ、黄泉の扉へと入っていく。


 きっと俺は……これから地獄へと堕ちるのだ……。


 俺はその最後の審判を待っていた。

 

 そして……。


 その名が呼ばれ、とうとう俺の番となる。


 真っ白い部屋ホワイトルームに入った俺は、罪人の座る椅子に座らされ、その証を見せた。


 その白衣を着た閻魔から告げた罰は。


「あーこれ駄目だわ、縫わないと――」


 永遠に消えない烙印だった。


 病院内に響き渡る――断末魔。


 こうして俺は、のだった。


 


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