予期
夏生 夕
第1話
屋敷に住んで7年になる。幼い頃、自らの世間体のために適当な養子を探していた夫妻に引き取られた。外では仲良く振る舞っているが里親は私に関心がない。私というか、家族と名の付くこの共同体に関心が無いらしい。
好都合だ。
私のように本当の親を狩られて孤児になる子供は少なくない。他にも様々な理由で独りになってしまった子供は、自分の身を自分で守れるようになるまでどうにかして人間の家庭に潜り込んで養わせる。
人間の子供らしい振る舞いは教わった。しかしどこでボロが出るか分からない。身近にべったり居られるよりも顔を忘れた頃に会うくらいが丁度いい。
人間としての違和感を抱かせないため、そもそも日中はあまり出歩けないため、基本引き籠り生活だ。
それに少し弱々しい声を出せば勝手に病弱だと思い込み、この屋敷の従者は世話を焼いてくれる。
私たちの容姿は人間からすると魅力的に見え、更に殊勝な態度は心を開かせる。
目と表情で感情を豊かに演じ、従者に対しては丁寧で謙虚に振る舞う。そして時折、楽しげに寂しげに微笑みを向けてやれば、その瞳には庇護の色が映るのだ。簡単に騙せる。
しかし、そのうちの一人が少し他とは違っていた。
彼は1年ほど前にこの屋敷へやってきた。他の従者同様に丁寧で恭しいようだが、それが付け焼き刃のような中途半端さで胡散臭い。でも私への気遣い方や話す時の瞳は素直で柔らかく、どちらの態度も不愉快ではなかった。
はじめ、その優しさは私の奥に誰かを見ているようだった。しかし最近はまた少し違うようだ。他の者とも、これまでとも違う色が瞳に宿っている。悪くない気分だった。
人間は、心を開いた分だけ、その血が美味になる。きっと彼の血はこれまで味わったことのないものになるだろう。
夜中にたまに従者をつまみ食いしていたが、彼は少し待つことにした。楽しみだ。
と、思っていた頃が私にもありましたね。
これは、一体どういう状況だ。
夜更けになり、いつも通り従者をひとり招き入れた。この者は幻紋の作用で明日には夜のことを忘れているだろう。部屋は施錠した。
そう、ぜったい鍵かけた!!
なのになんであの人、入ってきてんの?
「お嬢様!ご無事ですか!」
「え、ちょ、ちょっと待って、え?」
彼だ。いや今日はまだ来てほしくないんですけど、というか、こっちこないで、今…
足元にはさっきまで私が首筋に吸い付いていた従者が眠っている。傷痕はまだ塞がらない。どうする?どうしよう、と考えているうちに彼は目の前まで来てしまった。口が勝手に動く。
「え、あの、ノック、してください…」
「あ、すいません…呻き声が聞こえて。
お嬢様に何か、あったのかと…」
「あぁ、そう、ありがとう…
っていうか鍵…」
「ごめんなさい壊しました。」
嘘、あれを?用心のために二重にかけてたんですけど?
混乱と、摂取した血液で私の血の巡りが良くなり始め、頬があつくなる。力は満ちた。仕方ない。
「…はぁー、
見られたんなら、仕方ないわね。」
そう、仕方ない。
彼が足元の従者に気を取られている隙に、私は彼を押し倒した。
「このことは忘れることね。誰かに話してごらんなさい。
分かるわよね?」
目の前にある彼の表情を見ていると、今までのことが何故か思い出された。もうあそこには戻れない。
その必要はないのに、何故かわざわざ口付けで言紋を施した。そっと離して彼の顔を再び見ると、ぎゅっと胸が締め付けられたようだった。
「これで、あんたが今日のことを口にすれば私には分かるから。」
そう言って彼の上からどいた。もう顔を見ていたくなかったし、見られたくなかった。
しかし背後で彼の笑い声が聞こえた。
「…あっはは、なんだぁ、そうか。
お嬢様あんた…そうかぁ。」
「は?なに…」
思わず振り返るとすぐそこ、本当にすぐここに彼の瞳があった。彼に口元を押さえつけられて、発したはずの言葉が握り込められた。
何故、振りほどけない。どうしてただの人間に。
「俺、お嬢様のこと諦めなきゃなって思ってたんですよね…でも、はは、
なんだぁ、言紋つかえるほどの、同類だったんですねぇ。」
その言葉に目を見開く。思い切り彼の腕に爪を立て強引に両手で振り払って飛び退く。
こいつどうして知ってるんだ?
まさか。
「言紋、って、あんたまさか…」
「うん、そう。
俺も、お嬢様と同じですよ!」
徐々に雲の影から露になった月光が彼を照らした。
口元には確かに私と同じ、牙がのぞいている。
「ふたりだけの、秘密ができましたね。」
に、と笑った。
風で私の髪が暴れて視界を覆う。窓を閉めなくちゃ、と場違いな思考が掠めた隙に再び目の前に彼が迫ってきた。
一体何がどうなってるんだ。
これは、夢か?
目まぐるしく駆ける思考の中、
とりあえず、私はまだ彼から離れなくて良さそうなことだけが分かった。
予期 夏生 夕 @KNA
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