ケセラセラを唱えてみてよ

うめもも さくら

突然の異世界トリップにも、とりあえずケセラセラ


「よし、できた。この世界の食材の調理にも結構慣れてきたよな、俺」


 豪華絢爛ごうかけんらんのお城の厨房ちゅうぼうに立つ男。

 ワイシャツにスラックス、かっちりとした服装の上からつけられたエプロン。

 作りたての料理を皿に盛り付けて、エプロン姿の男は満足そうに笑った。

 彼の名前は、トーマ。

 彼がかつて生まれ育った世界では、下条桐馬しもじょうとうまの名前で平凡な高校生活を送っていた。

 ものすごい青春を謳歌していたわけでもないが、苦痛な出来事もたいしてない。

 それなりに嬉しいこともあったし、それなりに嫌なこともあった。

 禍福かふくあざなえるなわごとし。

 ごく一般的な平凡でほかと大差ない日常。

 そんなごく普通の高校生、下条桐馬の人生が一変したのは突然だった。


 日直の作業で職員室に行った際、教師に屋上の鍵が閉まっているか確認してくるように頼まれた。

 彼は別に何かに急いでいるわけではなかったから、こころよく引き受けて、屋上に向かった。

 階段を登りきるとすぐ、外につながる屋上の扉が目の前に立ち塞がっていた。

 下条桐馬は鍵のことを確認するため、その扉のノブに手をかけ、ひねる。

 扉は驚くほどすんなりと開き、勢いよく吹き込んできた強い風が、彼を押し出すように打ち、彼の髪を靡かせて好き勝手に遊ぶ。

 あまりの強風と突然の目を刺すような眩しさに、下条桐馬は目を瞑る。

 そして、肌に当たる風が落ち着き、光に目が慣れた頃、目を開いた彼が見たのは、見たこともない景色、この異世界だった。

 驚いた彼が反射的に扉を閉める動作をしてみるも、先程まで握っていたノブも、屋上の扉も、学校そのものさえ、そこにはすでに影も形もなかった。

 彼の前にも後ろにも草原が広がっているだけ。

 草原のど真ん中で、ノブを握った時の体勢のままの下条桐馬が、まるで銅像のように立ち尽くしているだけだった。


 突然の出来事にフリーズしている下条桐馬を見つけたのは、この世界のお姫様だった。

 この異世界一番の大国、ケアルリラの国王にはたくさんの妻、そして妻たちが産みおとした娘、息子たちが大勢いた。

 その中でもとりわけ可愛がられているのは、正妻の生んだ三人のお姫様たちであった。

 下条桐馬を見つけたのは、正妻の生んだ三姉妹の次女、アーリア。

 隣国からの帰還の際、外の景色を馬車の窓から見ていた彼女が、草原の真ん中に立ち尽くしていた下条桐馬の姿をとらえた。

 そして彼女は訝しさに眉をしかめたがすぐに、彼の立っている近くには魔獣の住処があるのを思い出し、同行していた彼女付きの女性騎士フランに声をかけ、彼を保護した。

 何故あんな場所に立っていたのか、見慣れない服を着ているが何者なのか。

 アーリアが下条桐馬にいろいろと尋ねてみたが、彼の言っていることは、何一つわからなかった。

 正しくは、言語自体に問題はなく言葉の意味もわかったが、下条桐馬の語るその内容がわからなかった。

 下条桐馬に突然降りかかった異世界トリップは彼はもちろん、この異世界で生まれ育った彼女の理解の範疇さえも超えていた。

 誰がどう見ても、どう好意的に考えても、下条桐馬という存在が怪しい人間にしか見えない状況過ぎて、彼自身も、アーリア一行も眉をしかめた。

 しかし、アーリアには目の前の男が嘘をついているようには見えなかった。

 彼女は自身の口元に手を当て、ほんの少し考える仕草をしてから、下条桐馬に手を差し伸べた。


「とりあえず、私についてきて?」


 差し出された手をみつめ、下条桐馬は不安にかられながら、その手を取れないまま問う。


「え、俺……ついて行ったら、どうなるんだ?」

「どうって……あなた、今のところ行くあても、これからここで暮らしていく術もないんでしょう?助けてあげるわよ」


 当然のように言ったアーリアの言葉をありがたく思いながら、下条桐馬はおずおずと問いかける。


「……いいのか?この世界のこと何にも知らないけど、あんた……は失礼か。えっと、あなたの服装とか雰囲気、俺の世界じゃお姫様みたいだけど、俺みたいな怪しいやつ拾ったら怒られないか?」

「私の他に拾ってくれるような人にあてがあるなら拾わないけれど、ないでしょう?怒られるより、こんな場所で野垂れ死にされたほうが寝覚めが悪くて嫌だわ」


 顔をしかめてそう言い切ったアーリアに、下条桐馬は苦笑いを浮かべてから、彼女の手を取った。


「……迷惑かけてしまうだろうけど、その優しさに甘えさてもらうことにするよ。ありがとう」

「この世界の子供より、この世界のことを知らない拾い物なんだから、迷惑とか甘えるとか難しく考えることないわよ」

「不甲斐ないな」


 自嘲気味に微笑う下条桐馬の言葉に、アーリアは首を横に振って、彼の前に人差し指を立てて、笑って言った。


「誰でも最初は無知だし、そういうものよ。自分を卑下したり、ネガティブ思考になるのは、いただけないわ。ケセラセラ!でいきましょう?」

「ケセラセラ……昔、流行った言葉だって聞いたことあるけど。面と向かって言われたの初めてだな。意味は……なるようになるさってことだっけ」

「明日は明日の風が吹く、世の中、何事もなんとかなるものよ」

「俺があなたに助けてもらえるみたいに?」


 下条桐馬がそう言うと、彼女は笑顔を一層明るいものにして頷いた。


「そう!私はアーリア。よろしくね、トーマ」

「俺の名前トウマ、なんだけど……この世界の人には発音しにくいのかな?……ま、とりあえず、ケセラセラってことで……トーマでいいか。これからよろしくお願いします、アーリアさん」


 こうしてトーマもアーリアも、フラン達従者もようやく微笑んで、みんなで彼女たちの生まれ育った国ケアルリラに帰ってきた。

 未だに下条桐馬の置かれている状況の理解も現状の把握もできないままのアーリアだったが、ケセラセラ。

 彼女は約束通り、まったく行き場のない彼に衣食住の場とこの世界の知識を与えた。

 それが、トーマがアーリアの暮らすお城で彼女付きの世話係として働いている今の生活のはじまり。


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