第1話 地獄の騎士と高校生 後編

 そいつは、魔力供給システムに片手を突っ込んでいた。

 基盤の周りが不安定に点滅し、使用量を示すメーターがすごい勢いで回転している。

 コイツが魔力を吸い取っているとみて間違いない。

 190cmはあるだろうデカい体は、黒く武骨な鎧に覆われている。

 装飾といえば、頭と腰をはさむような2対の赤い竜の羽と、兜のてっぺんについた長く赤い房、あとは紺色のぼろいマント。それと、胸元にある銀色の紋章。棘のついた逆三角形みたいな形だが、それが何なのかはわからない。

 今時こんな鎧を着ているヤツなんていない。鎧の時代は500年も前に終わっている。

 深くかぶった兜のせいで目元は見えず、唯一確認できる口元は、白いというより、むしろ青白かった。

 例えるなら――血の気が、ないような。こころなしか、生気もないような。そう見えるだけかもしれない。とにかく透けそうなほど青白い。


『申し訳ない!』


 突然、鎧の男が片膝をついて頭を垂れた。がしゃりと鎧が派手な音をたてる。


『私は地獄より参りました。かの地にて収監されていた魂を追いここまで来た次第で、決して怪しい者ではございません』

「……地獄」

『無論、よくないこととは理解しております。しかしことは急を要するもの。現世は想像以上に魔力濃度が薄く――』


 こちらの呟きなど聞こえない様子だ。

 よどみなく話す鎧男の声は想像より若く、聞きやすい。ただ金属に反響して、少しくぐもって聞こえた。

 地獄から来たという、古めかしい鎧。

 だがまだ昼間だ。まだには早いだろう。……きっと、おそらく。たぶん。

 というより、通報した方がいいかもしれない。変人の泥棒かもしれないし。

 そのとき、鎧男の姿が一瞬薄くなった。

 それはまるで、レースカーテン越しに見たような、霧に移していた映像を誰かが手で払ったような。

 男の口元が、一瞬こわばる。

『……やはり、この世で姿を保つのは難しいか……』

 青白い口が、そう呟く。

 この世で、姿を保つのは難しい。

 その言葉が示すのは、それは、もう間違いなく――

 瞬間、俺は足裏の魔力を爆発させて走った。体が浮いた。それは正しく、ロケットスタートだった。

「やっぱり幽霊ゴーストじゃねぇかよぉぉぉっ!!」

『しまっ……待って!』

 家の門を出て大通りめがけて、走った。

『止まって、危険だ――!』

 鎧男の声が追いかけてくる。

 速度を上げる。これ以上ないくらいに。だが、集中が乱れて足以外からも魔力が漏れ出る。焦れば焦るほど、放出コントロールはへたくそになった。地面との間に感じていた反発力が弱まっていく。

「くそっ、くそくそくそぉっ!」

 コントロールがうまくいかないなら、全力で出力を増やすしかない。

 全身の魔法回路に集中する。すぐ傍を通る神経がびりびりと痛むほど、全身が焦げ付くほど、空気中の魔力を取り込んでは全力で放出し続ける。


 幽霊に捕まれば、どうなるか。

 ありとあらゆる物の隙間に、何を見るか。

 ひとりになったときになにが聞こえるか。

 暗闇で何が待ち構えているか。水槽に浮かんでいたのは何か。部屋に閉じ込めたのは誰か。深夜に首を絞めたのは。背後に常に感じる気配は。裂けるように笑った口の形も。

 全部、知っている。

「うわああああああっ!」

 その時、踏み込んだ足が沈んだ。

 ついに限界が来た。息が止まって、頭が真っ白になる。


 ……だが、違った。本当に、足は沈んでいた。

 気づけば街の商店街だ。赤褐色のレンガで舗装された道の真ん中に、タールのような黒い水たまりができている。

 その中にどっぷりと膝まではまっていた。

 足を引き抜こうともがくと、どんどん沈んでいく。

 胸まで沈むのはあっという間だった。

 道の真ん中に、こんな深さの穴が開いているわけがない。

 じゃあ、これはなんだ。

 もがきつづけていると、水たまりの中からぬっと何かが持ち上がった。

 それはちょうど、蛇が鎌首をもたげるように。同時に立ち上った血なまぐさい匂いに、思わずえずいてしまう。

『ちょうどよかった』

 影は俺の体にまとわりついて、きつく締めあげた。

 ――さっきの鎧じゃ、ない。

 直感がそう告げた。

『体がなくて困っていたんだ。魂だけでは限界があってね』

 影の中から人影がせり上がってくる。黒いローブを纏った、細身の男。深くローブを被っている。

 その奥は、顔がなかった。例のタールのような生臭い何かがどろりと垂れ下がって、黒い鏡のように俺の顔を映しだしている。

『探していたんだよ、イキがいいのを』

 表情は、わからない。だけれど、先ほどから刃先を突きつけられているような悪寒が走っている。

『おくれ』

 瞬間、口の中にどす黒い塊が突っ込まれた。生理的な嫌悪感が走る。必死に足をばたつかせて、首を左右に振って抵抗する。喉奥まで降りてくる不気味な影を追い出そうとした。

 だが、徐々に力が出なくなってくる。

 ……だから、嫌いだ。

 冷たい手で掴んでくるお前らが嫌いだ。何も楽しくねぇのに笑ってるのが嫌いだ。嫌だって言っても聞いてくれねぇのが嫌いだ。

 いつも俺の意思関係なしに、笑って踏みにじりに来るお前らが嫌いだ。

 腹の底が揺れた気がした。耳の奥が水の中にいるようにくぐもる。


 ――だから、それらが一気に抜けた瞬間は、音が聞こえなかった。


 地面を突き破って、黒い竜の顔が現れる。

 それは黒ローブの男を突き飛ばし、俺を地面に放り投げた。

 尻もちをついた瞬間に勢いよくせき込む。涙でにじんだ視界で捉えたのは、竜の背中に跨る、あの鎧男の姿だった。


『囚人番号304557、黒魔術師ガーザール!』


 鎧男の声が響く。竜の咆哮に負けない気迫に、あたりの空気が震えた。


『……!』

『貴様を連れ戻しに来た! 観念して地獄に戻れ!』


 ローブの男は舌打ちをすると、短く呪文を唱えて水たまりの中に沈んでいく。

 すかさず鎧男が槍を投げ込んだ。槍はまっすぐ黒い水たまりを捉えたが、寸でのところで間に合わなかったようだ。レンガを貫き突き刺さった槍の穂先に、どろりと黒い塊を残して、消えてしまった。

 鎧男が竜の背から降りて、槍を引き抜く。

 すると、それを見届けた竜は風に吹かれるように消えてしまった。

 本当に、煙が吹き消されるように、消えてしまった。


『……無理をさせたな、すまない』


 竜がいた場所に向かって呟いた鎧男が、その場に崩れ落ちる。


「あ……」


 思わず声を出したが、どうしたらいいかわからない。

 とりあえず立ち上がって、鎧男の動向をうかがった。

 男は、立てた槍に身を預け、片膝をついたまま動かない。

 ただ、その姿は、先ほどよりも薄れているように見えた。


『……怖い思いを、させてしまいましたね』


 鎧が、口を開いた。


『あれは、地獄から逃げ出した魂のひとつ。街を丸ごと犠牲にして禁断の魔術を使用した、男の成れの果てです』

「え……」

『私は、あれを追ってきました。』


 ――囚人番号304557、黒魔術師ガーザール。

 鎧男が言った言葉が脳裏によみがえる。

 思い出した。どこかで聞いた、歴史上の大事件のひとつを。

 その昔、街全体を魔術式に組み込んで黒魔術を発動した極悪人のことを。

 住人を全員生贄にした、外道のことを。


『幸い、まだ肉体を持たないあの男は、本格的には動けないでしょう。早急に捕まえて地獄に戻せば、まだ間に合う。……ですが』


 はっとした。

 鎧男の足先が、煙のように消えていく。


『……私も、時間がない。甘く見積もっていました。魔力を補給して凌いでも、このざまです』

「……あんたが消えたら、どうなるんだ」

『犠牲がでます』


 短い言葉は、鋭く、冷たく刺さった。


『私が怖いのは、承知しております』


 鎧男が顔をあげた。相変わらず目は見えない。だが、視線がかち合った気がした。


『あの場で、貴方を怖がらせなければ、こんな目に合わせずに済んだ。本当に、申し訳ございません』


 何と言っていいのか、わからなかった。膝をついて、槍に身を預けてもなお、ありあまる鎧男の存在感に圧倒されてしまって。

 それと同時に、わからなくなっていた。幽霊が、真剣に謝る姿を知らなかったから。


『信用を損なうこともしました、危険な目にもあわせてしまいました』


 大きな姿が揺らぐ。大きく掠れる。


『けれど……今は、今だけは、どうか私を信じて』


 その声は芯を持って、まっすぐに聞こえた。


『我が名は、ジーク。竜騎士ジーク。お力をお貸しください。ここにいる総てを、必ず、守り抜いてみせます』


 鎧男――ジークは、片手を差し出してきた。今にも消えそうなそれが、蛍の光のように薄く、青く光る。


「……何を、するんだ?」

『お名前を、教えていただきたい』

「……オリバー。オリバー・ローダンセ」

『オリバー殿、なるほど。オリバー殿ですね』


 名前を教えてしまってよかったのか、わからない。原理だってよくわかっていない。

 けれど、その声はいくぶん優しく聞こえた。


『オリバー殿。どうか、この手を取って』


 ジークは動かない。その手が喉元に迫ってくることはない。

 ただ、刻一刻と薄くなりながら、俺が手を握るのを待っていた。

 深呼吸をする。胸をおさえる。固く目をつむって――開く。


「……絶対、止めろよ!」


 握手じゃない。勢いあまって、不格好なアームレスリングみたいな掴み方になった。冷たい霧の中に手を突っ込んだような感覚に、ぶわりと鳥肌がたつ。

 ジークの口が少し開いた。驚いたんだと思う。だが、すぐに微笑みに変わっていた。

 一呼吸おいて、ジークが唱えだす。


『……オリバー・ローダンセの名において、汝をここに縛る』

「お、オリバー・ローダンセの名において――」


 言われた通り、復唱をする。こんな格式ばった魔法の詠唱なんて、したことがなかった。


 ――幽冥ゆうめいの門を潜り 理を超え顕現せよ

   世界樹の木陰 果ての原頭

   我がまなこ届く限り 己が使命を果たせ


「汝、ジーク。応えよ」


 最後の一節を唱え終わった。

 恭しく傅いて、ジーグが答える。


『魂に誓い、拝命いたしました』


 瞬間、ジークの体が蒼い炎で包まれる。

 黒い鎧は炎の色を映して、水晶のように輝いて見えた。

 消えかけていた姿がはっきりと形どられていく。幽霊というにはあまりに存在感がありすぎる大男。ゆっくりと立ち上がったそれは、頭上から長い影を落とした。

 まごうことなき、この世ならざる者。

 けれど、たしかに、竜騎士が目の前に存在していた。


『――よしっ、準備万端!』


 槍を構え、手の内で回転させたジークが張り切って言う。

 死んでいるくせに、活力に満ちていた。


『万事お任せください、オリバー殿! さあ、参りましょう!』


 聞き返すより先に、体が下から突き上げられた。

 竜の背で、空の上で、絶叫をあげることになるとは思わなかった。



 ***



 それは、上空からすぐに見つかった。

 黒い水たまりが広がり、複数の人が捕まっていたからだ。


『もうさぁ! 時間がないんだよ!』


 黒魔術師の怒声がここまで聞こえる。


『イキがいいの探してたけど、仕方ないねえ! とりあえずの器におなりよ!』


 その光景を見て、先ほどの恐怖がぶりかえしてきた。

 人の体を乗っ取ろうとするガーザール。だが、なぜだろう。明らかに焦っているせいか、先ほどまでの得体のしれない怖さがない。

『掴まって』と短く言ったジークが、竜の手綱を張って、腹を蹴った。

 竜は風を切って急降下をし、強襲をかける。


『ガーザール、動くな!』


 まっすぐに投げられた槍が、今度こそガーザールを捉えた。

 ジークが竜から飛び降りる。

 回転して着陸の衝撃を受け流すと、左肩を貫いた槍を掴み、そのまま右肩まで一文字に切り裂いた。


『ぎゃあっ!』


 人々を掴んでいた黒い影が縮こまる。

 解放された人々はせき込んで、みな一目散に逃げだした。


『逃げるな……逃げ――』


 黒い影が人々を追う。考えるより先に、俺は靴を脱いで奴に投げつけていた。

 ガーザールが、俺に気づく。伸びてうごめく影が、俺の方を向いた。


「ひっ……!」


 竜の背にしがみつく丸腰の俺に、黒いタールが流れ出る腕を向ける。

 だが、その腕をジークが掴んだ。


『往生際が、悪い!』


 ジークの手に、炎が渦巻くように、赤く燃えるような手枷てかせが現れた。

 その手枷が勢いよく振り下ろされ、ガーザールを捕らえる。


『地獄へ還れ、その罪が浄化されるその日まで』

『くそっ、くそ……ジーク! 覚えていなよ、地獄の底で貴様を待っているからな! そこの小僧も!』


 喚く声は、手枷から溢れた炎に呑まれて消えた。

 黒い水たまりも、蒸発するように失せていく。

 ピュイ、と口笛が鳴った。ジークの合図に合わせて、竜が下降する。

 着地すると同時に、黒光りする背が滑り台のように傾いて、地面に下ろされた。


『あとは、この世の方に任せましょう。私は、周辺を見てきます』


 そう言うなり、ジークと竜は飛び立っていった。

 遠くから、警察車両のサイレンの音が近づいてきていた。



 ***



 ――夜。

 風呂に入りながら、ぼんやりとしていた。

 結局、昼間に出された魔力濃度上昇の警報は解除されたし、街の魔力供給システムも問題ない。

 母さんも、夕方には帰ってきた。

「なんか、商店街の付近が騒がしかったわ。道に穴あいてるらしいし」と、首をかしげて、一応心配そうな顔をしながら。


 鼻の下まで湯船に沈む。立ち上る湯気を見ていると、今日起きたことも実は幻なんじゃないかと思えてくる。

 そんなことは、ないのだけれど。

 なんか、あれだ。すごいことに巻き込まれたけど、生きていてよかった。

 初めて魔法らしい魔法を使ったし。

 ――幽霊に、勝ったし。

 そんなことを考えていると、脱衣所の扉が開く音がした。


『お着換え、ここに置いておきますね』

「ん、ありがと」


 ――勢いよく立ち上がった。

 風呂の扉を開けると、デカくて黒いヤツが俺の着替え一式をいそいそとかごの中に入れていた。


「ぎゃあああああああああっ!!」

『えっ、えぇ!?』


 悲鳴が、風呂場で反響する。

「どうしたの!?」と、母さんが駆けつけてきた。


「な、なんでコイツがここに……!?」

『え……そういう契約ですので……』

「は!?」


 聞いてない。名前を教えて、あの場限りの協力をしただけだ。

 そう反論すると、ジークは気まずそうに言った。


『あれは、一種の召喚契約ですので……オリバー殿の監視下にあるという条件つきで、私がこちらの世界でも自由に活動できるという』

「いや、いやいや……」


 続く言葉がない。というか、おかしなことがもうひとつある。


「母さん、なんで何も言わないんだよ!?」

「言ったよ、最初は。あんた幽霊嫌いだし、また悪さするヤツだったら嫌だし。聖水かけたよ」

『少し、ピリピリしました……』


 効くのかよ、聖水。


「でも頭下げて弁明してくるから。それよりオリバー、気をつけなさい。あんた、契約書とか読まずにサインするのはやめてよ」

「あ、あれは、だって、あの状況は仕方なかったというか……」

「あと、これ見て」


 母さんがジークの前に突き出したのは、スマホスマートマジカルフォンだった。端末の画面をのぞき込むと、魔力供給会社のページが表示されている。

 それを見たジークは、デカい体を縮こまらせて俯いた。


「すっ、ごい。今日1日だけでこの使用料。桁が違うんだけど。うちの家計、ダイレクトに響いてる」

『……お詫びの言葉もございません』

「うん、言葉はいいから。そのぶん働いてね」

『もちろんです……!』


 母さんは、ジークを従えていた。


『……というわけですので、オリバー殿』


 俺の方を向いて、ジークがおずおずと頭を上げる。


『地獄から逃げ出した魂をすべて捕らえきるまで、何卒よろしくお願いいたします』


 天井を仰いだ。

 やっぱり幽霊って、嫌いだ。

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ジーク・フロム・ヘル 藤郷 @fu_fu_fujisato

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