中野くんはいつも正しい

あかいあとり

中野くんはいつも正しい

 暴力は力なんだよと中野くんは言った。

 スズメバチが群れからはぐれたミツバチを襲うように、ボノボのメスが徒党を組んでオスに報復するように、社会人だって学生だってニートだって暴力で物事をすべて解決できるんだよと、拳を振り上げながらそう言った。

 それはどうだろうと私は答えた。

 中野くんが挙げた例は、それ自体にクセがあることには目を瞑るにしても、そもそもとして種族や数の優位性が存在するし、中野くんが私に振るう暴力とは違って、食糧を得るため、ボノボの女系社会を保つためという大義名分があるではないか。単なる中学生の憂さ晴らしとして意味もなく振るわれるこの暴力を正当化するための例としては、不適切であると思う。

 主張した途端に髪を掴まれ、鳩尾に膝がめり込んだ。喉奥に込み上げてきたものを、私は涙目になりながら飲み下す。吐いてしまうと後片付けが面倒だから、この技術は名誉サンドバッグとしてはマストである。何しろ中野くんとの付き合いもそろそろ三年に及ぶものだから、吐き気をやり過ごすのも急所を庇うのも慣れたものだ。

「キモいんだよ。勉強しか能がない貧乏人のくせに」

 そう言われても生まれる家は選べない。たしかに我が家は築三十二年の安アパートの一室にあるし、母親がぽんぽんと産んでいく割には放置している弟妹たちの泣き声や、泥酔しては物を蹴り付ける父親の怒鳴り声が、しばしば隣人たちによる壁ドンセッションを巻き起こしている。

 でも、それを言ったら中野くんの家だって大概だろう。

 不本意ながら中野くんのことはそこそこ知っている。家は金持ちだが授業参観に親が来た試しはないし、夜遊びの最中に警官を撒き損ねて補導されたときには、父親に容赦のない愛の暴力を受けたことも知っている。

 つまるところ、私が勉強しか能のない貧乏人ならば、中野くんはさしずめ暴力しか能のない金持ちといったところで、私たちは目クソ鼻クソなのだ。

 そう反論するや否や、頬を殴り飛ばされた。中野くんの父親も、ちょうどこんな感じで馬鹿みたいに真っ赤な顔をしていた。中野くんは父親と似ていて羨ましい限りだ。私の父は残念ながら誰だか分からないので、今の父親が素面の時に気まぐれで教えてくれた『ペンは剣より強し』という言葉だけが、直近で親から与えられた貴重な愛情だった。

 愛といえば、先ほどの反論にはひとつ間違いがあった。訂正させて欲しい。

 愛の暴力と表現したが、中野くんが親から受けた暴力に、実のところ愛があったかどうかは分からない。私が知っているのは、中野くんがひとまわり大きな中野くんに髪を掴まれ、恥をかかせるなと殴り飛ばされて、翌日の朝には腫れ上がった頬をカラフルな三色で染めていたということだけだ。

 そう思うと、そもそも愛があるものは暴力とは呼ばないのかもしれない。暴力と愛が両立するとして、理由ある暴力に愛が付与され得るというのなら、中野くんが私に向ける暴力にもうっかりすると愛がこもっていることになってしまう。中野くん曰く、中野くんが私にこんな暴力を振るうのは、私が間違っているせいらしいので。

 男なのに私という一人称を選んだ私はおかしいだとか、貧乏な私が中野くんより成績が良いのは間違っているだとか、中野くんの言うところの間違いを挙げればキリがない。先の仮定が正しいとすれば、それらすべてが指導のための愛の暴力ということになってしまう。

 そんなことをぼんやりと考えていると、机に向かって両手で突き飛ばされた。殺しきれなかったうめき声とともに大袈裟にひっくり返ると、中野くんは満足げにと笑った。

 笑うのはいいことだ。人生が豊かになる。ついでに言うと、中野くんが笑うのはこの無駄な時間の終わりを示す合図でもあるので、私にとってもいいことだ。私もぎこちなく口角を上げてみた。殴られた。ひどい話だ。

 誰に言いつけたところで誰もお前を助けやしない可哀想にな分かってんだろうなとお決まりの捨て台詞を残して、中野くんは去っていく。そうっと立ち上がった私は、制服から埃を払ってシャツを捲りあげ、人の腹とは思えない立派な赤紫色に、うむと頷いた。今日はまた真っ赤な尿が出るだろう。

 中野くんは放課後になると、時折こうして私をサンドバッグにする。これまでの暴力体験の大半が中間テスト期末テスト小テストの後だったことを思うと、中野くんは自分の思い通りに点数が取れないのがよほど気に入らないのだろう。カンニングの手伝いをさせられたこともあったけれど、一度バレかけたのをきっかけにやめることにした。した方もされた方も両成敗になるとはいえ、カンニングがバレて恥をかくのは私ではなく中野くんなのだと、本人も気付いたのだろう。

 中野くんは多くの場合において、概ね正しい。

 担任も副担任も私へのいじめを知っているけれど、何も言わない。クラスのボス猿である中野くんに逆らう気概のあるクラスメイトも、見たことがない。いたとして、私のために学生生活を棒に振るほど皆も馬鹿ではないだろう。中野くんから暴力を受けた最初の日こそ苦しんだものだが、もう慣れたからそれは良い。

 私にとって、学校は家から逃げられる唯一の場所だ。とりわけ授業の時間は、剣より強いというペンの力を与えてくれるという意味で、私にとっては生きる希望に等しい。幸いにして、中野くんがこうして絡んでくるのは休み時間と放課後だけだ。陰口を叩かれようが上履きに細工をされようがSNSで口さがのないことを言われようが、どうでも良かった。暴力だけは時間を奪われるので勘弁してほしかったが、放課後である限りは堪えられる。被害者と加害者として私とそれなりに長い時間を共有してきた中野くんもきっとそう思っているから、授業中には殴りかかってこないのだろう。

 そう信じていたのに、裏切られた。

 始まりは消しゴムだった。お次は紙クズ。中野くんは私だけでは足りず、教師にもちょっかいを出すようになった。筆箱をわざと落とすこともあれば、禁止されているはずのスマホをわざと鳴らしてみせるときもあった。

 これはいただけない。中野くんは概ねいつも正しいが、事この振る舞いに至っては正しいとは思えなかった。

 だから私は試すことにした。中野くんが口癖のように言っていた、冒頭の言葉を思い出したのだ。

 チャイムが鳴る。化学の実験の時間だ。いつものように騒ぎ始めた中野くんと私は、同じ班だった。ガスバーナーで燃やしたマグネシウム片を二酸化炭素に入れて消火するだけの簡単な課題を、私はひとりでこなした。

 ガスバーナーの調節ネジはふたつ有る。締める方向は時計回り、緩める方向は反時計回り。テストには付きものの問題だ。賑やかな中野くんの声を聞きながら、私はしっかりとふたつの調節ネジを時計回りに回した後、黒いチューブを元栓から引っこ抜いた。

 何やってるの青木くん危ないよやめてと声がした。いつもの私は透明人間なのに、今日はどうやら見えるらしい。怯えたように声を掛けてくる女子生徒を無視して、私はチューブをしっかりと握ると、教師をからかうことに夢中になっている中野くんの後頭部に向かって、ぐるりと遠心力を乗せたガスバーナーを思いっきり振り下ろした。

 がつん。思いのほか鈍い音がした。椅子からずり落ちた中野くんの頭からは血が出ていた。信じられないものを見るような目が新鮮だった。いつもの怖い中野くんはどこにもいない。いるのは間抜けな怪我人だけだ。周りの生徒たちが息を潜めてこちらを見ている。視線を向けると、目を合わせることさえ恐れるように皆が皆、目を逸らした。

 静かだ。

 なあんだ、と思った。

「暴力は力だね!」

 中野くんは正しかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

中野くんはいつも正しい あかいあとり @atori_akai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説