胡蝶の夢「短編」

@sorara_1017

胡蝶の夢

ハンドルを掴み、バイクのエンジン音を轟かせて、人気ない沈んだ宵の街を、切り裂くように走り抜ける。


彼にとってこの瞬間だけが特別だった。まるで違う世界にいるかのように、まるで現実のことなど全てなかったかのように、その時間だけは何も変わることなく過ぎてゆく。変わるのはオドメーターが示す、走行距離くらいなもの。



暗い街が好きだった。暗闇に包まれて、自分だけの世界にいるようで。孤独で、孤高。それが当たり前の世界。


ふと、空が白んで来たことに気づき、高架下にバイクを止めて、見上げる。

彼がぼーっと据わった目で、赤く焼けた空を見つめていれば、

それまでの閑散としていた夜の街が嘘だったかのように、街に光が ー 現実が戻ってくる。


片足に掛けた体重を戻し、再びバイクを走らせる。真新しい住宅の立ち並んだ路地を抜け、古いアパートの駐車場にバイクを止めた。


二階に繋がる錆びた階段を軋んだ音を立てながら上り、ある部屋の前まで歩いて鍵を取り出す。


鍵を開け、ドアノブを回せば。そこはよく見知った暗い部屋だった。


俺に両親はいない。


父のことは何も知らない。物心つく前から母は女手ひとつで俺を育て、俺が17の時に病に倒れ、そのまま亡くなった。目を刺す光とせわしなく舞う蝶が妙に鬱陶しく思える春のことだった。


アゲハ蝶は成虫になってから死ぬまで、長くて1ヶ月ともたないらしい。もっとも、母が病に伏してから亡くなるまではもっと早かったが。


母はいつも優しく、俺にこれでもかというくらい気を遣っている人だった。1人にしてしまっているという負い目があったのだろう。昼夜関わらず多くの時間仕事に出かける母は、俺がその間何をしてるかなどそんなことはつゆ知らず、「今楽しいことってあるの?」、「なにか欲しいものがあれば言うんだよ」なんて言う慈愛に溢れた人だった。子に甘い人とでも言おうか。


そんなんだから珍しく俺がバイクが欲しいと物をねだったときも


「これがあれば遠くまでお出かけ出来るね」なんて、惚けたことを言っていた。


ある日、外に出るとアパートの駐車場に目新しいバイクがあるのが目に入った。黒のボディに青みのかかったホイールが、陽の光を反射して輝いて見えた。ドアを開けたまま、その場に立ち尽くしていると、母は見計らったかのように寝間着姿で部屋から顔を出してきて「あのバイク、貴方のよ。前欲しいって言ってたからプレゼントにしたの。どう?」と母は嬉しそうな笑顔を浮かべながら俺にバイクのキーを差し出してくる。


「ふーん、まぁ結構いいんじゃない。」

俺はなんでもないような素振りをしながらそれを受け取り、再びドアを開く。

「教習所に入ればすぐ免許も取れるから!行ってらっしゃい。」

母の言葉を背中越しに受け、完全にドアが閉じた音を確認した俺は地上へ続く階段を駆け下りる。


母の前で無邪気に喜ぶなんて子供じみた真似はしたくなかった。もう親の負担になる歳ではないのだ。


でも、俺は本当に馬鹿で、目の前のバイクに夢中になっていて。思いつくべきことも思いつかないくらい、どうしようもなく単純で。だから気づけなかった。貧しい生活のうちがどうしてバイクなんて買えたのか。そんなの当時の俺にはさして重要な問題じゃなかった。


そのすぐ後のことだった。母が病で倒れることになったのは。


今までまともに部屋に居なかった母は、今度はずっと部屋に居るようになった。


母はいつも「ごめんね。ごめんね。」と涙を流しながら俺の手を握る。


病院に連れていこうとすると「寝てればすぐ治る。」、「調子のいい時にでも1人で行ってくる。」そんなことを言いながらは母は自分の世話を頑なに拒否して、いつも狭い部屋に布団を広げ寝ていた。


そういうのなら、と俺は母のその言葉に納得して。いや、甘えていて。分かっていた、気を遣っているのだと。それでも謝る母の姿が辛くて、それから逃げるように、ずっとバイクに乗っていた。


これは物語なんかじゃないから。何もかも結局全部上手くいくとか、そんな都合のいい世界は無くて。


ある夜明け、俺がいつものようにバイクを走らせた日。母は部屋で灯が消えたかのように寝ていて。駆け寄って触る布団にはもう人肌の温もりはなくて。

久しぶりに触る母の、冷たい手を握りながら、ふとー







ー最後に母と言葉を交わしたのはいつだったっけ。ー











ーーーーーーーーーーーーー


年季の入った125ccのバイクがアパートの駐車場の隅に止まる。バイクに跨ったままの彼はどこか黄昏れているようだった。5分ほど立ち、空の色が急に変わると、思い出したかのように黒のヘルメットを脱いだ彼は陽に充てられて思わず目を細める。西に傾いて焼けた赤い光は、明るい街並みを、花壇の赤いカーネーションを、更に明く、紅く染め上げていて。






アゲハ蝶が、カーネーションの周りを舞っている。









そんな気がした春だった。

















ーそんな気がした。











__________________________________________

(あとがき)

ここまで読んでくれた方はありがとうございます。この作品は普段文章を書いたことの無い私が今、見た夢を自分で補完して書いただけの自己満作品です。至らぬ点も多く、詰めの甘い部分もありますが、それは夢なのでご愛嬌下さい笑コメントくださると嬉しいです。改めて、ご愛読ありがとうございました。








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