さよならを覆す最高の方法 ——『デイジー・コスタ金物店』最後の一日——
碧月 葉
「デイジー・コスタ金物店」
首都からは遠く離れたシュヴァルヘの街で、350年続いた鍛冶屋が長い歴史に幕を下ろす。
『デイジー・コスタ金物店』
ここは、その昔ドワーフに育てられた職人が開いたと伝えられる店で、包丁や鎌などの刃物から鍋、やかん、インテリア雑貨まで金属製の日用品、仕事道具なら何でも揃う。
丁寧な仕上がりが評判を呼び、一時期は10人程の職人が働く工房を営んでいたが、今は店主がひとりで細々と続けていた。
しかしそれも今日で終わりにするらしい。
「何も閉めちまう事は無いじゃないのさ、生涯現役で良いじゃないか。全く……私の花鋏の面倒は誰が見るんだい」
常連客のフローラは、デイジーの目をチラリと見ると片眉を上げた。
デイジーは微笑みを返すと、花柄のティーカップに、スプーン一杯の琥珀色のキャンディスを入れ、濃いめに淹れた熱々の紅茶を注いだ。
氷砂糖が微かな音を立てて溶け、華やかな香りが広がった。
「先生の鋏は私が趣味でお世話しますよ。ご安心ください」
デイジーはカップを差し出した。
「本当かい? ……あんたの所の花鋏を使うと花達が痛がらない。その後の水の吸い上げも良いしね。そうしてもらえるとアタシは助かるけれど……でもやっぱり惜しいねぇ」
フローラは紅茶を啜ると、美しい道具の数々が並ぶ店内を見渡した。
「仕方ありません。今は魔法の時代ですから。鍛冶屋じゃ食べていけません」
「便利便利と言いながら、不便な時代になったもんだ」
—— 魔法革命。
50年前に人間の魔法に大革命が起こり、ごく一部の者のみが扱う秘術であった魔法は「魔法道具」の発明によって人々に身近なものとなった。
そして職人の手により生み出されてきた製品の多くが「魔法道具」として売り出されるようになり、道具の価格破壊が起こった。
鍛冶屋も苦境に立たされた。
これまでは、地域に1軒はあり、様々な金属製品を作ったり修理したりして人びとの暮らしを支えていたが、短時間で大量に生産できる安価な「魔法道具」の登場になす術は無く、今や道具に拘るごく一部の人が利用するのみとなってしまった。
カララン
「ばあちゃん、オイラの鋸を見捨てないで」
カララン
「姐さん、俺の鍬のメンテを……」
カララン
「デイジー、僕の包丁……」
駆け込むように次々と現れる客に対し「趣味で対応する」と答えるデイジー。
「あんたさぁ……店をたたむ意味あるのかい?」
5杯目の紅茶を啜ったフローラは、笑いを堪えるように言った。
「私も歳です。急に倒れたら色んな人に迷惑をかけますから、今からゆっくりとフェイドアウトしていくんですよ。それに……実はこの自宅軒店舗は売ったんです」
「え、誰に⁈ あんたはどうするの!」
「ここでパンケーキ屋を開きたいという若夫婦がいまして……間もなく彼らが越してきます。部屋は余っているので、たまに店を手伝いながら私はそのまま間借りして住み続けるという契約にしたんです」
「赤の他人だろ? 同居するって……大丈夫なのかい? 変な奴らじゃないだろうね」
「うーん……ちょっと変わってはいるけれど間違いはない人達ですよ。昔先生も会った事があるはずです。えーっと覚えているかしら、10年位前に駆け出しの冒険者一行がこの街を訪れた事あったでしょう。一緒に住もうっていうのはあの時の剣士と僧侶なんですよ」
「ええっあの時の! 街中でお菓子の作り方を訊いて回っていた頼りない感じの男の子かい?」
「頼りないって……ちゃんとオークの襲撃を退けてくれたでしょう」
「いやいやアレはまぐれだったでしょうに。ただ確かに気持ちの良い子達ではあったね。そう……懐かしいねぇ、あの二人結婚したの」
「ええ、子どもが産まれるらしいです。だから今までは各地を回っていたみたいだけれど、落ち着く先を探していたんですって。うちのフライパンを大層気に入ったからここで店を開きたいって」
その話を彼からされた時、デイジーは椅子から転げ落ちそうになった。
最初はとんでもないと思ったものの、色々考えた末に縁あっての事だし趣味で金物を弄りながら、若いものとワイワイやるというのも悪くはない余生と思い直し心を決めたのだった。
10年前
「俺の家の納屋で眠っていた剣です。鍛え直してもらえませか?」
冒険者パーティーというより、ピクニック仲間という雰囲気の少年少女4人組がデイジーを訪ねて来た。
剣士の少年が持ってきたのは年季の入った古びた剣。
「うちは武器屋じゃないのよ。代々日用品を扱う鍛冶屋なの。悪いけれど他を当たって頂戴」
そう断ると、少年は剣の茎を見せてきた。
デイジーはそれを見て震えた。
そこには『デイジー・コスタ』デイジーと同じ名を持つ初代の銘が切られていたからだ。
初代デイジー・コスタは、金物店を立ち上げる前、たった一度だけ武器を作ったという。
暴れる竜から故郷の村を守るべく立ち上がった青年に剣を贈るために。
そしてその村は無事守られた。
「この剣は大昔に悪い竜を討った剣なんです。この店で作られた剣です。是非ここで蘇らせてほしい。そうすればきっと魔王も倒せるはずです」
ヨハンと名乗った少年はキラキラした瞳で語った。
数多くの命が魔王との戦いで散っていた。
本当なら若すぎる少年達に無駄死になるから、魔王討伐なんてよせと言わなければならない所だ。しかし彼女は言えなかった。
「デイジー・コスタ」それは初代店主と同じ名だ。彼女は初代以来300年ぶりの女性店主で、その名を受け継いでいた。
そして、一本の剣からこの店が始まった事を聞かされて育っていた。
「運命」が鐘を鳴らすというならば、今まさにリンゴンリンゴンと大きな音が鳴っている。その時デイジーはそんな感覚を覚えたのだ。
デイジーはヨハンの剣を受け取った。
その剣はデイジーが人生で手入れをした唯一の武器である。
剣士ヨハンはその後も度々剣のメンテナンスにやって来ていた。
そして、3年前、剣士ヨハンは勇者ヨハンになった。
街のあちこちでお菓子の作り方を聞いて夢中になっていた少年が。
その後ろをトコトコ付いて歩いて必死にメモをとっていた少女が。
いつも何か食べていたぼんやりした少年が。
綺麗なお姉さんに声をかけクスクス笑いながら振られ続けていた少年が。
長い旅の末に世界を闇で包み込もうとした魔王を討ち倒したのだった。
勇者の剣は、デイジーがこれまで行なってきた数多の仕事の中でも、特に誇りある仕事のうちのひとつだ。
けれど、あの時の新米冒険者の一行が、魔王を倒し世界に平和をもたらした勇者パーティーであることには、デイジー以外は誰も気づいていない。
「……しかし伝統あるこの店がパンケーキ屋になるとは。時代だねぇ。店の名前は何になるんだい?」
「さぁ、まだ聞いていませんね。これから決めるんじゃないでしょうか」
「決まったら教えておくれ。あんたも関わるんだと開店の時には店に似合いのとびきりの花飾りをプレゼントしてあげるからね」
フローラに手を振って別れるとデイジーは長年連れ添った店をしみじみと眺めた。
(この店、次はどんな店名になるのかしら?
「勇者のパンケーキ店」なんてつけたらお客さんワンサカ来そうだけれど、きっとあの子達はそんな事はしないでしょう。)
デイジーは橙色に変わりつつある空を見上げひとつ深呼吸をすると、表札のような小さな看板をひょいと取り下げた。
「長い間お疲れさま」
数ヶ月後
ラナンキュラス、ミモザ、デイジーで飾られた店内からは甘い香りが漂い、賑やかな笑い声が聞こえてきた。
店先にはこんな看板がかかっていた。
『デイジー・コスタ金物店 —— パンケーキはじめました』
—— おしまい——
さよならを覆す最高の方法 ——『デイジー・コスタ金物店』最後の一日—— 碧月 葉 @momobeko
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