本編

 

 山々を隔てた日本海側の降雪量はとんでもない。

 子供の頃は雪が降れば嬉々としていたし、好きではあったけど、大人になった今、素直に冬場に積もる雪を好きになれない。


 色々と面倒くさいのだ。足は滑るし、電車は遅延するし、車は渋滞するしでやはり「面倒」の一言に尽きる。

 しかも雪だるまを作ろうにもすぐに崩れてしまう、雪遊びに適していないサラサラの雪。息子が駄々をこねていたのを思い出した。



 まだ雨だったらなあ、と息子と遊んでいて思う。

 一番は晴れや曇りだが、雪に比べれば雨の方がよっぽど良い。雪ほどの生活への被害は出ないし、

 何より「雨音」を聞けるからだ。

 亡くなった父は堅物であまり会話をしないタイプではあったが、雨の降る休みの日は私を肩車して、傘をさしながら散歩をした。


 ポタポタ、ポツポツ、ザーザー、

 

 傘に当たる音や、傘から滴り落ちた水滴が水溜まりに落ちる音が心地いいのだ。傘の素材によっても音は変わるので、私の実家には傘が色々と揃っていた。無言の父と相まって、私の記憶にはよく雨音がする。

 大雨はお淑やかさが全くない轟音だが、小雨や霧雨ぐらいは音楽にも似た良い音色を奏でるのだ。


 梅雨の時期に、父を真似て同じことをしてみたら、息子は楽しそうに笑っていた。「雨の音って楽しいね」と。

 

 

 それに比べて、雪の降る音は「コンコン」「シンシン」「ふわりふわり」などが有名だが、実際には雪に音はない。

 無音。

 多少はあるかも知らないが、大抵は風音しか聞こえない。

 傘に積もる雪はほとんど音を出さないし、やはり私にとっても息子にとっても雨の方が楽しめるものだ。


 そういえば父は、雪が降った日は一度も私と外に出かけたことはなかったな。



 面白みもない、記憶にもない、面倒な雪の日。




 そんな私に初めての雪の日の記憶ができた。



 その日もなんてことのない、雪降る曇天だった。

 


 会社帰りの夜のことだ。いつものように息子と妻が待つ我が家へと車を走らせていた。

 我が家は田舎である。お隣さんはちょっとした距離離れているし、辺鄙な場所ではあるけど、ニュース特集などで組まれるような過疎集落ほどド田舎ではなかった。


 なので普段は前か後ろに一台か二台は車がライトを照らしているが、その日は珍しく私以外の車は一台もいなかった。

 道路は四車線で、両脇に高く雪が積み上がっている。街灯も等間隔にしっかりあり、車内には音楽が流れていたので不気味でもないし、怖くもない。


 ただ「今日は珍しいなあ」とだけ思っていた。

 

 そして少し走らせていると、車のエンジンが止まった。

 音楽も同調するように止まってしまった。

 どちらも珍しかったから、その時点で既に記憶に残る出来事となった。


 路肩に止めて、エンジンをかけ直そうと何回かチャレンジしたが、一向に直らずに諦めて車を降りた。

 その時の私に音楽の方をかけ直す考えは微塵も出てこなかった。当然だ、音楽とエンジンは関係ないのだから。


 幸いにも後続車はいなかったのに加えて、中学からの友人に車弄りが好きな奴がいて、そいつから知識を貰っていた。田舎なせいもあって自分でも車を触ることが多々ある。

 シートベルトを外し、扉を開けて、扉を閉める。外に出ると雪はまだ降っていた。縦に降る風音のない降雪だった。


 車の前に行きボンネットを開ける。複雑な内部をスマホのライトで照らしながら、どこかに問題がないかを見てみると、よくある詰まりが起きていただけだった。

 すぐに私は軽く処置をして、ボンネットを閉めた。

 


 ボンネットを勢いよく下ろしたそこで気づいた。


 

 音がないことに。


 雪の話ではない。ボンネットの閉まる音がなかったのだ。

 その事実に気づいた瞬間、脳内を数分前の記憶が電撃のように走った。ボンネットだけではない、扉を開け閉めした音や、ボンネットを開けた音もしなかったことに。


 本来、ずっと無音の環境にいたら耳鳴りがしたりと逆に気付きそうなものだが、私は一切分からなかった。

 私は恐る恐る一言喋った。いや、喋ろうとした。


 その瞬間、鳥肌が立った。



 音がない。静寂どころではない、


 無音。


 私の言葉を、私は聞くことができなかったのだ。私の耳がおかしくなったのか、それとも環境がおかしくなったのかは今となっては定かではないが、

 少なくとも「異常」であると、とんでもなく非現実的であるのだと私の本能が代わりに叫んだ。

 現実で音のない代わりに、私の中で警鐘がけたたましく鳴らされていた。


 取るべき行動は何か? そんなことを考える余裕などなかった。

 私はすぐさま後ろを向いたり、横に向いたり、はたまた上を見たりと周りを見渡した。

 音が全くない。なんて体験は一度もなかったので、目に見えないところに潜んでいるかも知れない、なんならすぐ背後に接近しているのかも知れない。

 聴力が聞こえないということは、視界の外の情報が一切分からないということなのだ。


 私は人生で一番恐ろしい思いをした。

 化け物や他人にでもない、よりによって自分の聴力による恐怖だ。


 一心不乱に車内に戻り、身体を丸くした。

 車内に戻った安心感からか、音がない驚きが今になってダイレクトに私に反響していた。

 困惑や呆然というよりも、音がないという事実が頭の中を駆け巡ってフリーズしていた。



 ふと私は思った。音楽をつけようと、


 震えながら、タッチパネルを押した私の耳に聞こえたのは、

 軽やかなジャズだった。



 その瞬間、何かから解放されたような感覚が車内に広がった。音がない重圧がなくなったというべきなのか。

 思い出したようにエンジンをかけて、私は車を走らせた。

 エンジンの震える音を聞いて、更に安堵する。


 それでもまだ不安はあったので、運転中にもチラチラと車の外をあちこちに見渡す。


 たった一瞬だった。

 誰かが作った雪だるまがこちらを見ていた。


 

 恐怖はなかった。ただ目が合った。

 雪がサラサラすぎて、息子とどれだけ苦労してもできなかった雪だるま。

 後日、同じ道を通る時に全力で探したが、その雪だるまは見当たらない。


 しかし、息子が作りたいと駄々をこねていた雪だるまはあの道のどこかに間違いなくいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無音の雪道 SHIMA @Gloriaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ