虚構と現実

異端者

『虚構と現実』本文

 ――今日も駄目かあ……。


 僕はとぼとぼと山道を歩きながら思った。

 あの鳥に出会ったのは、去年の今頃、春のちょうどこの時期だったと思う。

 あの鳥――キジのオスは、臆することなく悠然と歩いていた。

 人間に見られていることを承知で、ゆっくりと道路を横切っていった。

 その姿は美しかった。赤い面を付けたような顔、深緑色の体、そこからすらりと長く伸びた尾――派手ながらどこか均整が取れていて、厚化粧をしたオバサンのようなけばけばしさはどこにもない。そうあるのが自然だと感じさせられる姿だった。

 僕は初めて見た本物の生きたキジに魅入られた。博物館ではく製を見たことはあったが、その時にはこんなにも感動しなかった。その後、図鑑で調べて正確な分類ではニホンキジだと知った。

 子どもを育てるのなら豊かな自然のある田舎の方が良い――自分たちは都会育ちなくせに、そんな理想論を真に受けて田舎に越してきた両親の判断をこの時だけは少し評価した。

 正直、田舎は不便なだけだった。勾配が急で自転車もままならない山道は、学校に通うのに片道一時間近くも歩かねばならず、その通学路もうっそうと茂る木々が日光を遮って薄暗い。それを自然の中を歩けるのなら素晴らしいと言う両親は狂っていると思った。

 両親は現在も、自然は素晴らしい、田舎は良いと説く自然「教」にはまっている。いつか目を覚ましてほしいと思ったこともあるが、もはやそれもずっと昔だ。

 学校ではそこそこ上手くやっているつもりだったが、通学にかかる時間を考えていると友達と遊べるような時間はごくわずかだった。何度か断っているうちに、遊びにも誘われないようになった。

 他の生徒は、もっと近くから通学している。両親は田舎の中でも誰も必要としないような僻地の家を体よく買わされたのだと思った。古民家だと言ってありがたがっていたが、僕から見ればただ古臭いだけの家だった。

 そんな僕が唯一、価値があると感じたのがあのキジとの遭遇だった。

 学校で聞いてみると、キジを見たことがある生徒は居たが、頻繁に見るものではないらしかった。この辺りの山はキジ自体がそれ程多くないらしかった。

 また、都会から道楽で狩りに来た人間に撃たれることもあるらしく、年々その数は減っているのではないかという話だった。

 僕はその話を聞いて、僕の見たキジは既に狩られてしまったのではと不安に感じることもあった。あるいは他の獣に喰われたり寿命で死んでしまったのかもしれなかった。


 そんな不安を胸に、今日も僕は山道を歩く。今日もあの仕舞い……か。


 残念とは思いつつ、そんなにも見られるものでは無いからと思い直す。今日が駄目でも、明日はきっと……そう思わないと、自分が押しつぶされそうだった。

 ようやく、自宅が近付いてきた。

 正直、泣き出したいと思うことは多々あった。訳も分からず引っ越しさせられ辺鄙な所に連れてこられて、さあ感謝しろという両親の気が知れなかった。こちらは、毎日通学するだけでも大変なのに、それすらも気にもかけない。

 大人は勝手だ。子どもは自分の道具だと思っている。

 そうだ。何かある度に「お前のためを思って」と口にする。そんなものは自己満足で、間違っても他人に感謝しろと強要するものではない。

「ただいま」

 疲れた声でそう言って家に入る。

 相変わらず返事はない。父は執筆のためにまた部屋に籠っているのだろう。母は庭にでも居るのかもしれない。

 僕は冷蔵庫からジュースを取り出すとコップに注いだ。それを一気に煽る。

 自分の中の理不尽なモヤモヤを喉の奥に流し込んで、無理矢理に飲み込んでいる気分だった。

 僕が両親にキジを見たと言った時、特に関心のある様子もなかった。もしかしたら、関心があるのは自然教であって、現実の僕がどうなったかはどうでも良かったのかもしれない。


 きっと、両親の求める綺麗な自然はここではない。……彼らの頭の中にしかない。


 それでも、僕の求めるあのニホンキジは実在する。頭の中の理想郷を追い求める彼らと違い、求めるものはここに確かにある。

 どこか遠くでキジの鳴き声がした気がした。それはネットでしかはっきりとは聞いたことがないが、いつか本当に聞けるのかもしれなかった。

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