死獄の王と双極の魔王

遠蛮長恨歌

第1話 英雄の再生

新羅辰馬は死んだ。

享年36。鋭気は衰えることなく、ただ暴悪の創世女神グロリア・ファル・イーリスを打倒してその膨大な神力を一身に宿し。あまりに強すぎる力に加えて世界すべてのひとびとの神力をも引き受けて、人間の世界を「神話の時代」から「歴史の時代」へと進めるという事業を果たしての、叙事詩に謳われる英雄的な死であった。

死はなにも生み出さない。それは永遠の静謐である。英雄・新羅辰馬であっても、死んでしまった以上は灰であるにすぎない。

しかし。

死が終焉であるならばなぜ、いまだ人の世は輪廻を繰り返すのか。

死してのち、魂は長い時をかけて洗い清められ、新たな命としてふたたび世界に降り立つ。そこにいかなる意義があるのか?


……

「ん……んぅ……あれ……」

長い長い、果てしなく長い距離を、ひたすらに落下していた。そんな気がする。新羅辰馬は意識を覚醒させ、(おそらくは)長らくぶりに瞳を開いた。


そこは幽玄で玄妙な間であった。空気はどこまでも清浄であり、母親の胎内にいるかのような安心感を与えてくれるにもかかわらず、どこか本能的な、なにかをなさねばならないという焦慮を惹起させるものもある空間だった。仰向けに眠っていた(らしい)辰馬は軽く上体を起こすと、自分の右手を開閉してみる。過不足なく動く。問題なし。よ、と立ち上がり、足の動きも確認。バレエダンサーのように柔軟、かつしなやかで強靱な肢体の感触を確かめて、ひとりうなずく。こちらも問題なし。


「で、ここは、どこだ……? つーかおれは死んで……」

「死んだよ。間違いなくな。グロリアと全世界の人間すべての神力だ。いくらお前がルドラ・シヴァの絶大な魔力と盈力を具えていてもヒト一人の身で請け負える限界量ってモンをはるかに超えてる。あのまま長生きしてたら精神失調をきたして狂人化、お前が愛した世界に害悪をもたらすことになっただろーからな。死を選んで正解」


正面から、声。つい一瞬前まではなにもいなかった、なにも存在しなかったはずの空間に、玉座のように豪奢な椅子に腰かけた、美しいひとりの青年が現れた。銀髪・緋眼。その身体的特徴は辰馬自身に似ていると思われる。辰馬より頭一つ背が高く、辰馬より肌が浅黒く、辰馬より筋骨たくましく、辰馬より華美であり、辰馬のように儚げでなく、辰馬以上に瀟洒であった。着ているものは革製とおぼしきジャケットとパンツ、ジャケットの襟もとには禽獣の羽と思しき毛束が並んで豪奢な雰囲気を強調し、まぎれもない強者のオーラをまとう。皇帝として一天万乗の栄華を極めた経験を持つ辰馬が、おもわず襟を正すほどには鋭気風発、威風堂々としているといってよい。軽い飄然とした口調はあえてこちらを緊張させない意図があるように思えた。


そして、側頭部から伸びる、ヤギのそれに似た双角。美貌である上に、明らかに魔族の特質であった。となれば……辰馬に角は生えていないが……魔王オディナと聖女アーシェ・ユスティニアの間に余れた聖魔の子である辰馬に、なおのこと似ているということになる。そこで辰馬の脳裏に去来したのは生前の記憶の一つ、異なる世界線から来た自分自身の姿だが、この青年と自分は似ているがどこか違うと感じる。生の最終局面で覚醒した宇宙知を駆使して勘案してみても、結論としてこの青年は自分の同一存在ではなかった。


そして。アルティミシア世界に存在する、あるいは存在した命ならすべて辰馬の宇宙知で知覚できるはずにもかかわらず、この青年についての情報がまったく流れ込んでこないのはどうしたことか。辰馬はやや視線を斜にして、青年を観察する。


青年は命を感じさせなかった。椅子の周りの調度品も、ひとつひとつが工商の息遣いを感じられそうなほどのリアリティを感じさせるのにもかかわらず、そこに感じられるはずの命の息吹というか上下動する躍動感、リズムのようなものがまるでない。すべてが均一化されていて動きがないのだ。完璧なほどの調度品にもかかわらず一輪の花も周囲にはなく、ましてや膝の上や足元に猫の一匹も存在しない。どこか死神めいている、と辰馬は思い、めいているというより死神そのものか、と思い直す。


「で、あんた誰? おれになんか用か?」

今さら物事に動じてやるほど、辰馬も経験寡ない人生を送っていない。斜にした視線をさらに胡乱なものを見るものにして、青年(死神?)に問いかける。美しき死神はニヤリと不敵に笑い、そして椅子から立ち上がると大仰に頭を垂れて、道化がするように一礼した。


「俺は魔王ギンヌンガァプ。さすがにこの名前じゃあ馴染みがねぇかな。アレさ、お前さんが生きたアルティミシア世界、あの一世代前がトゥルクティア世界って名前だったのは知ってるよな? 俺はトゥルクティアを滅ぼした前代の魔王」

「ふーん」

「驚かねぇよなぁ。さすがに36年であんだけ濃い激動の人生送っただけのことはあるか」

「おれの血も半分は魔王なんでね。魔王って言われるモンが必ずしも悪ではないってのは理解してる。あんたは……あんまり善良ってわけでもなさそーだが」


魔王を名乗る青年に、辰馬は、生前の辰馬を知るものならすっかり安心するであろう、ぽやーとして眠そうな表情でそう言った。もともと辰馬の精神の根幹は暴戻嗜虐の創世神を否定し優しい魔王を肯定する道であったから、相手が魔王と名乗ったからと言って柳眉を逆立てるようなことはない。警戒も緊張もまったくといっていいほどその種の「色」を感じさせることのない辰馬に、魔王ギンヌンガァプのほうが毒気を抜かれる。


「……まぁな。けど、俺は本当に自分の野心でトゥルクティアを滅ぼしたんで。ニンマハをはじめとして女神衆を凌辱もしたしな。けど、最終的には全員幸せにしてやったつもりだぜ?」

「強姦魔はだいたいそーいうよな。そこらへんは𠮟りつけてやりてーが、まあ置いとくとして。で、先代魔王としては当代の魔王ルドラ・シヴァに用があるわけか? それともシヴァの転生オディナ・ウシュナハの方か」

「察しがいいねぇ。けど、どっちでもねえ。俺が用事あんのはお前さん自身だよ、新羅辰馬。宇宙開闢80億年来、唯一の完璧な盈力を持った魔王」

「あー……そーか、おれはおれで特別なんだっけ」

「自分を特別と思わないのは立派な資質だがよ。多少は他と違うって理解しといたほうがいいぜ? そーでないとそれが争いの原因になることもある。まあ、ここにいりゃあ外界の雑音なんぞは気にする必要もねえんだが」

「ここって? やっぱり、死後の世界かなんか?」


ようやく、辰馬はこの空間についての疑問を口にする。辰馬が生前に見聞した知識では死後の世界というのはもっとにぎやか、というか数千万の命が流転して順次転生したり審判をまったり、忙しない場所なはずだったが、いまこの場にいるのは辰馬とギンヌンガァプの二人きりだ。もちろん人間が見たこともない世界について語った世界観など信じるに値しない、という考えもあるのだが。


「ある意味死後の世界ではあるが、ふつーの死者が訪れる場所じゃねえ。なんつーかな、ここは『輪廻の輪』を外れた解脱者が訪れる場所、安息の地なんだ。だから輪廻にとらわれてる存在はここには来れねえ。俺ら解脱者以外、有機物は存在を許されねえ」


 それが、ギンヌンガァプの周囲に命の気配を感じ取ることができなかった理由であった。この空間では水の一滴も存在できない。解脱者以外にとっては完全なる寂滅の世界。


「安息の地。ふーん……なら、おれの盈力とかいらねーじゃん」

「それがいるからめんどくせえ。今アルティミシア世界が攻撃受けててな」

「!?」

「いくら超然としてるようでも、故郷が危機となりゃあやっぱりそうなるよなぁ。いい傾向。俺もニンマハを助けられるってモンだ」

「ニンマハって、トゥルクティアの創世神だよな。あんたと恋人だったりした? おれの聞いてる伝承ではニンマハが入滅して、そのあとグロリアがトゥルクティアをアルティミシア世界としてよみがえらせた、くらいのことしか伝わってねーんだが」

「恋人であり、奴隷であり、妹でもあった。まあニンマハに言わせるとこっちが弟ってことになるんだがそのへん説明するのはめんどくせぇんだわ。そんでもって、ニンマハの入滅後にグロリアが、ってのは間違いねぇが、ニンマハを滅ぼしたの俺だから。そこんところグロリアのやつが隠蔽しちまったのがな―……。俺の存在忘れられちまってんのがなんかムカつくわ。ま、いいか。んで、今アルティミシアを攻撃してる敵ってのが死獄王っつってな」

「死獄王」

「おう。まあアレよ、一般的なほうの死後の世界を統括してるバケモンだな。魔王と同一視されたりもするが、こっちとしちゃあ願い下げだ、あんなモンと一緒にされたら困る。つーか美形の俺とあのバケモン爺とじゃ比べモンにならねーだろが!」

「知らねーよ! 死獄王ってやつに会ったこともねーし。まあ、とにかくアルティミシアがピンチってんなら、おれが力貸すのは当然」

「ああ。つってもコトは簡単じゃ―ねえ。死獄王の軍勢は『アルティミシアの過去から現在に至る、すべての時間』に及ぶ」

「すべての時間?」

「そう。あの爺はアルティミシア史上の重要な局面全部に兵隊送り込んできててな。乗っ取りを回避するためにこっちはただ敵を打破するだけじゃなくて、改変された歴史を過不足なく、もとの歴史に影響を与えることなく修正する必要がある」

「そーいうの苦手……力ぶっ放すだけと違って神経使う……」

「苦手でもやってくれや、頼むわ。俺も力貸すんでな」

「まあ、やるけども。なんつーかなぁ、死んだら安息があるとか思ってたのに全然そーいうことないのな……。瑞穂もしず姉もエーリカもいねえし」

「ぼやくなって、いい女紹介するから。んじゃ、まずは……これだ。帝紀28年、公女ルクレツィアが死んで祖帝シーザリオンがグロリアのもとに走る歴史。死獄王はルクレツィアを殺さないことで歴史を書き換えた」

「え……それって、ルクレツィアを殺す役?」

「そこんところは考えなくていい。俺に策ありだ」

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