第2話 護持者・新羅辰馬
魔王ギンヌンガァプが腕を振ると、時間の流れを図式化した砂時計のようなものが現出した。具現化魔法のようだが詠唱や集中のたぐいを必要としないのは、彼も解脱を果たした超越者であるからだろう。辰馬やギンヌンガァプにとって、魔法の行使は息をするのと変わらない。
ともかく、現れた巨大な砂時計の一点、始点であり頂点に近い場所を差し、ギンヌンガァプは言った。
「死獄王の干渉、1つ目。祖帝シーザリオンが公女ルクレツィアを失う予定調和への干渉。まずはこれを阻む」
「あー……、それって、ルクレツィアを殺さにゃならんってこと? おれそーいうの重ねて苦手なんやが……」
「大丈夫、俺に策がある。つーか問題はねえよ、安心しな」
「うーん、ならいいが……」
不敵な自信で問題なしと言い切るギンヌンガァプだが、辰馬の表情は精彩を欠く。せっかく死なずに済んだ公女を、本来の運命だからとあらためて殺す、それがどうにも納得できない。歴史は本道に服させなくてはならないが、だからといって殺人は容認できないのだ。
「問題ねえって。今回のルクレツィアの件に関してはな。アレはニンマハだからよ」
「?」
「ニンマハは『創世』の力で死獄王の時空干渉に挑み、そして失敗した。とらわれてルクレツィアの身体に魂を封じられた。俺ならニンマハを解放できる。つっても俺だけじゃあ降りていくことも難しいってんで、『護持』の解脱者・超越者であるお前さんの協力が不可欠になるんだが」
そこまで言って、ギンヌンガァプは言葉を区切り辰馬に緋眼を向ける。辰馬は耳慣れのない言葉にやや疑問を持った。
「護持……?」
「あぁ、お前さんはまだ『真なる覚醒』から日がすくねぇからな、そこんところの自覚はねぇのか。……ニンマハの司るところは『創世』。無から世界を創出する力。で、俺の力は『破壊』。世界が穢れに満ちたとき、それを浄化して無に帰す力。そして辰馬、お前さんの力は『護持』。世界を内外からの種々の干渉から守り続け、維持する力だ」
「ふぅん……護持か。うん、そー言われるとしっくりするかもしれんな、悪くない」
かるく首を引いてうなずく辰馬に、魔王ギンヌンガァプはやや苦い笑顔を浮かべる。それは明確に、劣るものが勝るものをうらやむ表情だった。トゥルクティアを滅ぼし、アルティミシア世界が生まれる原因を作った魔王でも、ひとを羨むことがあるものだ、と辰馬はぼんやりと思う。ギンヌンガァプは続けた。
「悪くねえどころか、ある意味最強の力だよ。創世力があるにしても、護持力なしに存在を続けることは難しい。ましてや俺の破壊力との相性はとんでもねえ。あらゆる破壊的な脅威をお前さんの力ははねのけるからな。消難能力の究極ってやつだ。」
「ふぅん……創世とか破壊に比べると地味に聞こえるが、意外とそーでもないんか」
「ま、無から有を生む能力ではねぇから独創的ではないし、世界がどーしようもなくなったときに破壊しつくすって派手な権能でもない。だが世界を億千万の時間にわたって守護し続ける力ってのは絶無だ」
「なるほどねえ。確かにおれは独創のひとではなかったわ。そのへんは皇帝やってつくづく思った。おれのやった改革は全部過去の偉人たちの模倣だったからな」
「どっちかってーと守成の能力、ってわけだな。軍事に関しては紛れもなく天才の独創性が発揮されたが、政治に関しては秀才ではあっても天才ではなかった。それでもお前さんの評価は苛烈な軍略家であるより優しい為政者として名高い。そーいうところが護持者たるゆえんだ」
ギンヌンガァプがそういうと辰馬もほろ苦い表情になる。それは過去に体験した戦争への憂いであり、また残してきた帝国とその臣民、家族に思いをはせるものであり、もっとも愛した6皇妃——神楽坂瑞穂、牢城雫、エーリカ・リスティ・ヴェスローディア、磐座穣、晦日美咲、北嶺院文——へと思いを致すものであった。それにしても。放蕩で放埓、淫蕩な魔王であるギンヌンガァプがひとりニンマハのみを想い、一途な情愛の理念をもつはずの新羅辰馬がその生涯において6人の妻を同時に娶ったというのはどういうことであろうか。
「瑞穂はどーしてっかな、しず姉はあれで泣き虫だったりするし、エーリカは強がって無理するから心配だ。磐座は頭がよすぎて苦労も心配事も多いし、晦日は責任感に押しつぶされてねえか、会長も理性的に見えて感情に流されやすいタイプだし……」
「様子が見たいなら見れるぜ? ただ、あらかじめ言っとくが、お前さんが喜ぶ未来にはなってねえ」
ギンヌンガァプが魔法で創出した砂時計の一点を指さすと、空間が切り替わった。そこは赤竜帝国京城柱天の一室であり、病に伏した若く偉大な皇帝の最後の瞬間を映し出していた。6皇妃が泣き暮れ、上杉慎太郎や出水秀規も泣く。子供たちも泣いていた。
「ここか……」
「ん。でもってそこからしばらく後」
ギンヌンガァプの言葉に応じ、空間に映し出される画像が早送りされていく。皇帝の火葬、神楽坂瑞穂の死、ヒノミヤへと落ちる磐座穣と晦日美咲、京城を去る牢城雫、女帝として登極するエーリカ、元帥と憲兵総監を兼ねて民を取り締まる北嶺院文……。映し出されるのはおよそ辰馬が望んだ、平穏で穏やかな未来ではなかった。
「……うーん、世の中うまくいかんっつーか……瑞穂、おれがいなくなったからって後追いとかやめろよ。しず姉はトラの後見人か……、引き続き迷惑かける……」
「さらに先もあるが……見るか?」
「……いや。やめとく。未来の先取りとかいいことない。つーか精神的に耐えられそーにないわ」
「どっちにしても歴史の修正していく中でこれより先の世界も見ていくことになるがな。……んじゃ、往くか。帝紀28年」
「ああ。オッケー。行き方は?」
「願うだけでいい。俺らはすでに完成された力を持ってる。手間ぁかけるが俺がやられねーようにお前さんの護持力で守ってくれ、さっきも言ったが俺には攻撃力以外、たいした力がねぇからよ」
「了解。んじゃ、帝紀28年」
……
都市国家ウェルス、アウグス王の16年。のちに帝紀28年と改称されるが、この時点でまだシーザリオン・リスティ・マルケッスス・ザントライユは皇帝となっていない。
遠征から帰り、甲冑と戎衣を脱いだシーザリオンだが、その表情は戦場にあるときと変わらず険しい。本来の彼は陽気な青年だったが、先年、親友であった先輩の将校、「金獅子」ことプロコブスが上官の嫉妬による無茶な作戦に追いやられ、シーザリオンを守って落命して以来、その陽気さは鳴りを潜め、沈痛な思慮を顔に浮かべることが多くなっている。彼を特徴づける明るい金髪も、くすんでしまった印象があった。
シーザリオンは今や将校ではなく将軍となり、自分とプロコブスを陥れた上官を上回ることで報復を果たした。だが彼の心を覆う暗い靄が霽れることはない。人間の本質は悪なのではないか、ならば信義や友愛ではなく、法と規律によって飼い馴らすのが正しいのではないか。もともと性善説の人間であったシーザリオンがひとたび善性を信じられなくなると、どこまでも人を疑う心の作用が止まらなくなってしまっていた。
「お悩みですか、将軍」
副官として仕えるルキウス・ファビウス・クィントゥスが言う。ルキウスはプロコブス死後に補充された将であり、有為有能だがその出自はよくわからない。シーザリオンが抑えている限りのウェルスの戸籍にルキウス・ファビウス・クィントゥスという名は存在しないのだが、王とコーンスルはこの黒髪の青年を信任しており疑いをさしはさむことを許さない。シーザリオンの敏感な猜疑心はルキウスを警戒していたが、その警戒はこの日、方向性を変える。
「悩みがあるなら女神様の啓示を受けられるがよいかと思います。霊峰に住まわれる女神グロリア様はすべてを超越し、見霽るかす存在」
「グロリア? ウェルスの守護神トニトルスではなくてか?」
「トニトルスなど、武威を誇るばかりの蛮神。グロリア様とは比べ物になりません。真にこの世界を創造されたのはグロリア様です、現在地上に散らばる小神どもはいずれ淘汰されることになるでしょう」
「卿は女神の信徒か。ただの将校とは違いと思ったが」
「ええ。かなうのであれば女性に生まれたかった。そうであれば女神の{巫|かんなぎ}としての道もあったものを」
「卿をそこまで心酔させるものか、女神とは。人の進むべき道を真実照らしてくれるものだろうか」
「まぎれもなく。唯一女神の言葉こそが、人の{範|のり}」
この日のこの会話がシーザリオン自身と都市国家ウェルス、そして大陸全土を変えていく契機、その起こりとなる。しかしこの時点ではまだ、水は目に見える水位まで上がってきてはいなかった。
……
「……。ここが帝紀28年、祖帝の時代か……」
「まずここまでは問題なし。つっても俺らの服装はこの時代に目立つかもな。着替えるか」
シーザリオンがルキウスから女神についての講釈を聞いたその頃、新羅辰馬と魔王ギンヌンガァプは無事この時代のウェルス南方、市都市国家ラクルムとの境界地帯に降り立った。この時代からすると派手すぎる衣装を魔法で質素質朴なものに代え、二人はウェルスへと向かう。
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