幸せになろう KAC20246
愛田 猛
幸せになろう KAC20246
僕は、リアを呼び出した。
会うのは、いつものトラットリア・エズートだ。
トラットリアとはいいながら、多国籍、あるいは無国籍なところが二人とも気に入っている。
やってきたリアは、化粧もばっちり、美容院の帰りのように整った髪で、シックなスーツを身につけている。
ちょっと緊張しているようにも見える。きっと、僕も同じような顔をしているのだろう。
僕も今日のために、スーツを新調したんだ。
席に着くと、ほどなく顔なじみのオーナーがやってきた。
「とりあえず、ビール。」僕は言う。
「とりあえず、キール」リアが言う。
オーナーは軽くうなずいて、「アンティパストはどうしますか?」と聞いてきた。
スモーガズボードなんかを頼んでも良いのだけど、今日はやはりアレだ。
「やっぱり、とりあえずでお願い。」
オーナーは微笑んで、店の奥に戻る。
「今日はやっぱり、とりあえずよね。」リアが言う。
特別な日だと、わかっているのだろう。
オーナーが、ビールとキール、それから皿小鉢に載った二色のアンディパストを持ってくる。
ほうれん草の胡麻和えと、何もかかっていない蒸し鶏だ。
「本当なら、これお通しだよね。」
僕らは以前、何度もこう言って笑ったものだ。
鶏肉には何もかかっていないから、「トリあえず」という名前で呼ばれているオリジナルメニューだ。。
僕たちにとっての定番でもある。
「とりあえず、とりあえずで乾杯しよう。」僕は言い、リアと乾杯する。
グラスを合わせると、快い音がする。
リアは、そのままキールをぐいと飲み干した。
僕も負けずにビールを飲み干すと、お代わりを二人分注文した。
「最初のデートもここだったよね。あれから店の雰囲気も随分変わったよね。」リアが言う。
そうだ。最初の頃は、イタリアの国旗が飾られ、カンツォーネがかかっていたのに、今ではフランスの国旗や闘牛の絵、ヴァイキングの兜などが飾られている。
部屋の隅の席に座った僕たちの横の壁には、「アナトリア絵図」というタイトルの付いた地図のようなものがかかっている。
「アナトリア、ってトルコのことよ。」リアが言う。
「イスタンブールに二人で行って、ナザール・ボンジュを買いたかったな。」
BGMはアール・クルーやボブ・ジェームスにラリー・カールトンなんかが流れている。
多国籍な、多様性に富んだ店になったものだ。
「最初だけじゃなくって、第ゼロ回のデート未遂もここだったんだよ。」僕が笑う。
「ああ、あの時のことね。」彼女も微笑む。
僕が最初にリアとデートしようとしたときには、「このへんで何時、あとは場面で」と、ゆるい約束をしていた。
だけど、その日、リアは携帯を落としてしまい、連絡が取れなくなった。
僕は、一人、会えずじまいでこの店に来て、安いワインを一本開けて、悪酔いしたんだ。
それからは、ちゃんと場所と時間をきっちり決めることにした。だから、第一回のデートはちゃんと会えたわけだ。
僕がリアに、「好きだ。付き合ってほしい。幸せになろう。」と言ったのも、この店で食事をしたあと、二人で公園を歩いているときだった。
僕の胸に飛び込んできたリアは「もう幸せよ。」と答えてくれた。
でも、いつかのピロー・トークで、「ああいう時は、幸せになろう、じゃなくて、幸せにするよ、って言うものよ。まあ、あれもケンらしい言い方かもね。」そう言われてしまった。
いつの間にか、リアは三杯目のキールを飲み干している。ピッチが早い。
僕はビールだからいいけど、リアは大丈夫かな。
メーン・ディッシュはイベリコ豚にした。でも、ワインはトスカナ地方の赤、「ヴィクトリア・エズーリ」の5年ものにした。
僕らはまた乾杯する。
「今度はイタリアとスペインのマリアージュね。国際結婚みたい。」リアがそう言って寂しそうに笑う。
僕は無言で微笑む。
それから僕たちは、言葉を無くしてしまった。お互いに、かける言葉を探していたけど、声に出すことができなかった。
デザートの前に、リアが席を立った。
きっと、無言でいるのに耐えられなかったんだろう。
リアが席を立って、ちょっとほっとしている自分がいることが、悲しかった。
なかなかリアが戻らない。キールにワイン、かなり飲んでいる。もしかするとリア、えずいているのかもしれない。だけど、僕が女性の化粧室に行くわけにもいかない。
やきもきしながら待っていると、リアが戻ってきた。
目元の化粧がちょっと変わっている。
程なく、デザートのアメリカンチーズケーキと、トルココーヒーがやってきた。
トルココーヒーはデミタスカップで来る、とても濃いコーヒーだ。
甘い甘いアメリカンチーズケーキを流し込むには、ちょっと足りないくらいだけど、今日はトルココーヒーが必要なんだ。リアもわかっている。
コーヒーを飲み終わると、リアが言う。
「今日も、コーヒー占いをしましょう。」
コーヒー占いというのは、トルココーヒーを飲んだあと、カップをコーヒー皿の上にひっくり返し、できた模様で運勢を占うものだ。
もちろん僕たちはどちらも正式な読み方を知らない。ただ、その時に感じる、お互いの運勢を言い合うだけだ。
リアの皿には、きれいな輪ができていた。
「君は幸せになる。」僕はリアに言う。
リアは何度か瞬きをした。
僕の皿には、一か所途切れた輪ができた。
「あなたはいつか必ず、私のことを思い出す。」
僕は小さくうなずく。
「ナザール・ボンジュにお願いしてたら、違っていたのかもね。」
リアが唐突に言う。
「そうかもな。」僕もうなずく。
「そろそろ行くわ。ディナー、ご馳走様。」
リアがそう言い、。席を立つ。
バッグを持って、背を向けたところでリアが立ち止まる。
いろいろ言いたいことがある。でも言ってはいけないことも沢山ある。
僕は、意を決して彼女に言葉をかける。
「リア、愛していたよ。」過去形で伝えるのが、自分でも悲しい。
「私も、愛していたわ。」リアも、同じ気持ちなのかもしれない。
「幸せになろう。」あの日と同じ言葉を、僕は言う。
「ええ、幸せになりましょう。」あの日とは違う言葉を、リアが返す。
その言葉が少し震えたいたのに、僕は気づかないふりをする。
「じゃあね。」リアは振り向かずに、手をひらひらと振って、僕の前から永遠に消えていった。
(さよなら、とは言わないんだな。)僕はぼんやりと思う。
それから僕は、その場で、ただ呆然と座りこんでいた。
トラットリア・エズートのオーナーが声をかけてきた。
「飲みなおすかい?」
どれくらい時間が経ったのだろう。店にはもう誰もいなかった。
僕は言う。
「ああ、いいね。とりあえず、アクアヴィットをくれ。」
「わかったよ。」オーナーはそう言って奥に行き、ショットグラスに入った透明の液体、チェイサーグラスに入った氷水、それから鶏肉の小鉢を持ってきた。
「チェイサーや小鉢は頼んでないぞ。」僕は言う。
「とりあえず、ってケンが言っただろ。まあ、これはオン・ハウスだ。チェイサーはさすがに必要だろうしな。」
アクアヴィットは非常に強い北欧の酒だ。ほんの数滴でも酔う、とさえ言われる。
「香りだけで酔うわね。」以前、リアが言っていたっけ。
「オーナーも付き合えよ。とりあえずのお礼におごるよ。」
「じゃあ、ビールを一杯。」
そして僕とオーナーは乾杯する。
「とりあえず、乾杯!」
(リアの予言が、もう当たったな。)そう思いながら、僕は喉を焼く火のような酒を、思い出とともに流し込んだ、
(完)
===
★★★★★★★(ここから加筆しています)
KAC20246 「トリあえず」をちりばめて、大好きな作品が出来上がりました。
ナザール・ボンジュはトルコの青い石のついたお守りのようなものです。
「トリあえず」をできる限り詰め込んでみました。
このお話は、太田裕美の「ピッツァ・ハウル22時」(松本隆作詞・筒美京平作曲)を少しイメージしています。
「トリあえず」全部見つかりましたか?
明らかに「トリあえず」「とりあえず」と書いているもの以外に埋め込んだものを列挙してみます。
・トラットリア・エズート
・アナトリア絵図
・一人、会えずじまい
・「ヴィクトリア・エズーリ」
・もしかするとリア、えずいている
全部わかりましたか?
実は「とリア、えずいて」というフレーズが最初に浮かび、それをベースに全体のストーリーを組みあげました。
トルコには3回行ったことがあります。
★★★★★★★★(加筆ここまで)
お読みいただき、ありがとうございました。
少しでも気に入ってくださったら、★、ハート、感想、フォロー、レビューなどお願いします。
特に短編の場合、大体が一期一会です。
袖すりあうも他生の縁。
情けは人のためならず。
あなたのほんのちょっとのクリックが、多くの人を幸せにするのです。
…もちろん私が最初に幸せになるんですけどね(笑)。
トリあえず、★をください! 自分でも気に入っている作品です。コメントやレビューもいただけたらとてもうれしいです。
幸せになろう KAC20246 愛田 猛 @takaida1
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
愛田猛のランダムウォーク/愛田 猛
★3 エッセイ・ノンフィクション 連載中 8話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます