Decode the sky

鷹太郎

Decode the sky

「ああ、空が明るい……」

 降り注ぐ陽光が徹夜明けの重い瞼を刺激し、徐々に脳が覚醒していくのを感じる。

 デバック作業はひと段落し、先方へメールも送った。返事が来るまでの息抜きにと思い、仕事部屋を抜け出て来たアパート屋上の空は、予想通り明るかった。

 薄暗い空間に慣れた目には直接の日光は眩しく、ひさしの陰に隠れたベンチへと腰を下ろす。足元に置かれたペットボトルは半分に切られ、中には汚水と数本の吸い殻が沈殿している。恐らく喫煙者の管理人が設置したものだろう。

 俺はタバコを吸わないが、このベンチにはよく座る。陽の光が直接差さないこの位置ならば、今の季節は心地のよい春風と共に、大好きな空の色を存分に楽しむことができるからだ。

「このまま空に溶けていきたい……」

 あまり人には理解をしてもらえないが、俺は徹夜明けに空を眺めるこの時間が好きだ。納期に追われる焦燥感や酷使した体の疲れを、この空の美しさが矮小化させ、心地よくすら思わせてくれる。自分の存在や悩みがちっぽけに感じるという言い回しは、いささか使い古されているだろうか。しかしこんなにも美しく雄大な空を、地球上のどこからでも眺められるようにしてくれた神様には、もっと感謝するべきだと思う。

 そんなとりとめのないことを、徹夜上がりのまわらない頭で考えていた、そのときだった。

 空から色が消えた。


 人類社会は有史以来の混乱に陥った。なんせ世界中の空が真っ黒に塗りつぶされたのだ。昼夜も関係なく、星一つ、雲一つ見えない。そんな世界で、人がまともでいられるはずがない。

 国連や政府は早急に緊急事態宣言を発令したが、具体的な対策は打ち出せなかった。ようやく絞り出した案は、有益な発見をした者に百億ドルを送るという、ほとんど諦めに近い解決策だった。

 しかし、誰もそれを責めることはできなかった。これは人間にどうにかできる問題では無いとわかっていたからだ。もはやこれは、神の所業だと。

 昨日までの日常が続くと信じていた市民は暗黒の空を見て泣き崩れた。研究のネタに飢えていた学者達は突然の不可思議な現象に興奮し、オカルトと現実の区別がつかなくなった陰謀論者はついに終末の刻が来たのだと踊り狂った。真面目が過ぎる日本人だけは、空の変化に怯えつつも、八時間の労働を変わらずに続けた。日本のGDPは世界で圧倒的な首位となった。

 頭のまわる人々がまず初めに心配したのは、酸素の不足と二酸化炭素の増加だった。空が暗くなる。つまり太陽光が差さなくなった土地では、植物が光合成をすることができなくなる。もちろん自然光以外でも光合成は可能であるが、地球上の酸素の約半分を生成している海洋プランクトン全てに人工の光を照射するというのは無理な話である。酸素が減れば動物は活動できず、二酸化酸素が増えれば中毒にも陥る。他にも太陽光の消失による地球温度の急激な低下や、植物の絶滅による食物連鎖の崩壊、地球の自転や地場への影響など、地球環境に壊滅的な被害をもたらす問題は多く、もはや人類が絶滅するのも時間の問題かと思われた。

 しかし、そうはならなかった。なぜなら太陽はなくなっていなかったからだ。

 地球外施設の宇宙ステーションからは、圧倒的な存在感の太陽を観測することができた。

 地上から見た空に太陽はないが、朝と夜に気温は上下し、太陽光発電システムは変わらずに稼働を続けた。

 また人間以外の動物や植物にも、変化は見られなかった。

 植物は今まで通りに光合成をしていた。向日葵の花は、朝は東を向き、南を経由して夜には西を向いた。ニワトリも朝五時にはその甲高い鳴き声を思い切り響かせた。

 地球についても、水の星と例えられたその外観を変えていなかった。民間企業がスペースバルーンを用い、上空を写しながらカメラを飛ばすと、そこまでは何も写していなかったカメラが、高度約二十五㎞で急に太陽を写した。まるで、地球全体が楕円体のマジックミラーで包まれているようだった。

 学者たちは混乱した。存在はしているのに、観測することができない。素粒子レベルの極小の粒ならばともかく、太陽というマクロな世界に属する惑星が、その姿を確率の雲の裏に隠してしまったというのだろうか。空という現実が人類による観測から独立して存在するとでもいうのだろうか。

 しかしそんな学者連中の慌てようとは対照的に、初めこそ絶望に暮れていた人々も、徐々に今の空へ慣れ始めた。暗いならば光をともせばいいと、町中の電灯を終日点灯させた。昼と夜の境が曖昧になり、それぞれが好きな時間に睡眠をとるという、新しい生活様式が広まった。

 三か月が経ち、セミが喧しく鳴き始める頃には、すでに人々は明るい空の色を忘れていた。


 梅雨の残り香のような湿気と、近年上昇を続ける、うだるような暑さが交差する初夏。悲鳴のようにセミの鳴き声が響き渡るアパートの一室にて、男はモニターの向こうへと怒鳴り散らしていた。

「デバック後に機能追加するな!客先の言うことを素直に聞くんじゃねぇ!」

 勢いのままにWEB会議を終了させようとするが、マウスが汗で滑りうまくクリックすることができない。仕方がなくPCを力任せに閉じ、強制的にWEB会議を終了させる。一昨年に脱サラしフリーエンジニアへ転職したが、いまだにリモートワーク用アプリには慣れない。

 目を瞑り背もたれに深くよりかかる。シャツが椅子と擦れ、生地から生ぬるい汗が染みだす。そういえば、このシャツは何日前から着続けているだろうか。世界中の照明が点灯し続けているために電気料金はべらぼうに上がり、エアコンや冷蔵庫に加え、洗濯機を回すことにも躊躇するようになった。しかし、商売道具であるパソコンの電源は落とせない。こんな世の中でも、金は稼がなければならない。

 その結果、汗だくになりながらキーボードを一日中叩く、三十過ぎの男が出来上がった。

 窓の外を見上げる。空は変わらず暗いままだ。時計を見ると、既に二十時を回っていた。まだ夕方ぐらいの感覚だった。

 空の色が一定だと時間間隔がなくなるというのが、昨今の社会問題らしい。最近のテレビではラジオよろしく「〇〇時をお知らせいたします」などと、時報が流れているそうだ。

 音楽を流すために開いていた、私用デスクトップPCの画面を見る。そこには往年のジャパニーズ・ロックの名曲が、プレイリストにずらりと並んでいる。そしてその横に開かれた縦長のウィンドウには、黒バックの背景に白文字で「空は何色か」の文字が表示されていた。

「……っきた!」


 これは自作の空模様解析ソフトだ。ただし空模様といっても天気を予想するのではなく、空の色を解析するソフトである。

 目の前で空の色が消えた三か月前のあの日から、今まで以上に空を見続けた俺は、空の黒が二色の間で”揺れている”ことに気が付いた。

 三原色の混ざりあいで色を表現するRGB値で言うと、(0,0,0)と(1,0,0)の差ぐらいだろうか。小さい頃から俺は目がいい方で、デジタルアートを本業としていた母親に色覚訓練をさせられていたのも、空の揺れに気づけた理由だろう。

 しかしその差は極小で、はじめは自分の感覚を信じられず、高精度カメラで撮った写真の色を見比べたり、一時間ほどただ空を眺め続けたりもした。仕事の傍らで空の観測を日課として続けた俺は、一月の検証の末、空の黒が二色あることを確信した。カメラを繋げることで、PCにも二色の空を見分けさせることに成功した。

 俺は興奮した。この事実を政府に伝えれば、百億ドルの賞金をもらい、一生を遊んで暮らすことができる。しかし、俺はこの発見を人に話さずに、調査を続けることとした。別に、何か明確な理由があったわけではない。ただなんとなく、このことは言いふらさないであげた方がいいと思った。

 空の研究に没頭し始めた俺は、次になぜ空の色が揺れているのかについて考察した。

 物は試しにと、観測することのできた二つの黒の長さを記録したところ、ある一定の周期を約百二十四秒ごとに発生させていることに気が付いた。しかもそれは正弦波等ではなく、物理学的に何か意味をなしている波でもなかった。

 そこで俺は天啓を得た。この空は、自然現象によって変化しているのではなく、何者かが意思をもって変化させているの。そしてその二色の遷移によって、何かメッセージを俺たちに送信しているのだと。

 なぜメッセージだなどという、妄想じみた考えに至ったか。それは、空が消えた当初から考えていたある一つの仮説が元となっている。

 この空は、バグっている。

 いや、バクというのは正確でないか。色は二色で変動させることができているのだから、空の色データが参照できなくなったのか、参照先のデータを消してしまったのではないだろうか。この世界は神が作った仮想世界のようなものであり、空の色から汗の温度まで神によってプログラムされているのではないだろうか。エンジニアでありSF小説ファンの俺は、不可思議すぎる空の消失現象について、そのように考えていた。

 わかる。俺にはすごくわかる。大事なデータを消してしまった、神の焦燥感が。俺も似たようなことをやらかしたことがある。そのときの焦りは、人に正常な判断を許さなくなる。神も恐らく、正常な判断ができない状態なのだろう。

 そんな状態で復旧作業を進める中で、何かしらの理由で俺ら人類に連絡を取る必要があったからこそ、メッセージボードとして空を用いているのではないだろうか。

 話を戻そう。空の変動理由をメッセージだと仮定したとき、検証は次のように行える。まず二色の遷移を時間単位で取得し、それを区切る最小の時間単位を算出する。その長さを基準に二色の黒それぞれに1と0を割り振る。そうしてできた二進数の並びを、地球上に存在する二進数バイナリ文字列を用いて変換する。二進数バイナリ文字列とは、簡単に言えば文字列を0と1で表現したものだ。世界中のほとんどの言語は、0と1の数列に変換することができる。

 神が何かしらのメッセージを送っているのならば、地球上に存在する言語を用いて送られているはずだ。俺は様々な言語やエンコーディング方式で、その数列とのマッチング作業をはじめた。人手では途方もない時間がかかるため、仕事中に自動で行えるように解析ソフトを作った。ついでにと、もしも空色の周期が変化したときのために、常に空の模様をモニタリングする機能も作っておいた。この空模様解析ソフトは、空をデコードするソフトだ。

 そしてついに、この空は神がバグらせたという、なんとも非現実的な仮説を証明するときがきたのだ。


「……っきた!」

 ノートPCを雑に脇へどかし、デスクの真ん中にキーボードを置く。アプリの画面を最大化し、表示されたメッセージを見る。

「元の言語は、……標準中国語?なるほど、利用者の多い言語を選んだのか」

 リアルタイムの計測結果が出力されている画面を見る。そこでは測定開始時から変わらない、0と1の周期的な数列を表示している。つまりこの空は、”空は何色か”というメッセージを永遠と送り続けているのだ。

「”空は何色か”、ね。何言ってるんだか」

 空は黒一色に決まっている。いや、黒二色か。その色にしたのは、神の方だろうに。

「……まてよ。もしかして、明るい空のことを言っているのか?」

 それならば理由も想像がつく。神が復旧作業をしているという仮説の裏付けにもなる。

 やはり神は間違って空の色を消してしまい、しかし元の色へ復旧できないために、こうして空の色を聞いているのではないだろうか。

 もう少しわかりやすく空の色を変えろとか、または神ならば直接頭の中に語りかけろとも思うが、しかしそれができない事情でもあるのだろうか。

「ただそれがわかったとして、こちらからどうやって連絡を取るかだよな。向こうからメッセージを送っている以上、何かしらの連絡手段はあるだろうが……」

 もう一度画面を見る。そこには新しい文言が表示されていた。

『あ、声は聞こえているからそのまましゃべってくれればいいよ』

「マジか」

 神が話しかけてきた。直接話しかけることはできなくても、聞くことはできるのか。

 というか、こんな簡単に神と交信できてしまってもいいのだろうか。

『まじまじ。いや、ほんと助かったわ。地球の人達、全然気づいてくれないんだもん。もう少し遅かったら、諦めてたとこだよ』

「気づかない……ですよ。そもそも、空の色を少しだけ変えて連絡を取るってなんですか。もっとこう、わかりやすいやり方があったでしょう」

『色々と考えたんだけどね。変に他のところ弄りたくなかったし、上司にばれたら怒られちゃうし、あまり大それたことはできなかったんだよね』

「いや、怒られるとか知らないですよ。早くその上司に相談して、空の色を戻してください。あなたのせいで、いま地球上は空前絶後の大混乱です」

『あ、そんなこと言っていいのかな?僕の意志一つで、大洪水をおこすことだってできるし、雷を落とすことだってできるんだよ。それに、ほぼワンオペでこの世界は僕が管理しているから、上司呼んだって戻らないもんね』

「最悪ですね。……というか、やっぱりミス的なことで空の色消したんですか。それで、今その修復作業中だと」

『そう、その通り。付け加えるならば、半年以内で元に戻さないと、もう降給は確定だね。ただでさえアップデート作業とか立て込んでいるっていうのに。神様も大変なんだよ』

 知らなかった。神って給料制なのか。

 そしてアップデートって。ゲームの開発・保守とかに神様業は近いのだろうか。

『そんなことはいいからさ、早く空の色を教えてよ』

「空の色を教えろと言われても、どうすればいいんですか?というか、わざわざ言葉で伝えなくても、昔の空の写真でも見せましょうか」

『いや、残念ながら、僕には君たちの次元を観測する目がないんだよね。映像を見ることができない。だから、言葉で伝えてもらうしかないんだ』

「変なところで不便な神様ですね。……それなら、RGBとか明度彩度とか使って、数値を伝えるのが一番正確だと思うんですが」

『うーん、RGB値ね。あれでしょ、RED、GREEN、BLUEの頭文字をとってRGB。……まあ、試してみようか』

 神はあまり乗り気でないようだ。明確な方法だと思うのだが、何か理由があるのだろうか。

 俺は適当にネットから拾ってきた空の画像から色を適当にスポイト抽出をして、RGB値や明度など数値化できる様々な要素を算出し、神へと伝えた。

『じゃ、いくよー』

 

 メアリは迷っていた。つい先ほど、恋人のジョンにプロポーズされた。それ自体は嬉しいのだが、しかしジョンは浮気性だ。その悪癖が原因で、一度は大喧嘩をし、別れたこともあった。結婚をする前に、彼の誠実さを確かめなければならない。

「ねぇ、ジョン。プロポーズしてくれたのは、最高に嬉しいわ。でも、私にはまだあなたを信用することができない。どうすれば、あなたを信じることができるかしら」

「ああ、メアリ。そんなことを言わないでおくれ。君のいない生活など考えられない。君と会えない間、僕の心は真っ暗闇だったんだ。そう、この空のように」

 そういってジョンが仰いだ空は、ピンク色に染まっていた。

 

「なんでこうなった」

 そうつぶやいた途端、空の色が黒に戻った。

『やっぱり違うか。あ、君と話せなくなるから戻したよ。いやね、君からそのRGB値を伝えられても、それを今度はこっちの規格に変換しなければいけないわけじゃん。一応似たような三つの要素を組み合わせて色を定義する、みたいなのがあるから、それに適当に合わせて入れてみたんだけど、やっぱり違うよね』

「いや、RGB値ですよ。普通に考えれば、ピンク色にはならないでしょう」

『君は簡単に言うけどさ。僕は一応、君たちが言うところの”神様”ってわけで、住んでいる世界が全然違う訳よ。言うなれば、君たちの世界の外側の、またさらに外側ってこと。そんな世界がさ、同じ色相環だと思うかい?』

「そう……か?」

 それにしては、言葉遣いとかは俗っぽい気もするが。

『だからほら、別の方法を考えて。君も空の色が今のままだと嫌でしょ?』

「いや、まあ、そうですけど……」

 そもそも、あんたのミスが原因だろうに。図々しい神様だ。

「でも、こんな感じで色を少しずつ変えて答え合わせを続ければ、元の色に戻せそうですね」

 世界は大パニックだろうが。

『それができれば楽なんだけど、さすがにそこまで頻繁に変えたら上司に連絡いくだろうし。それに少しの変化ならともかく、全然違う色には頻繁に変えられるようには設計されてないから。できるとしてもあと二回ぐらいかなって』

「二回って!それは先に言っておいてくださいよ!色相環も全く違うのに、それだけの試行回数で合わせるなんて、ほとんど不可能じゃないですか!」

『いや、だからごめんって。ほら、そんな後ろ向きなこと言ってても何も解決しないんだからさ、一緒にがんばろうぜ』

 辞めた職場の上司も全く同じこと言っていたな。

「……はい、確かにそうですね。今は建設的な話をしましょう。それに、残りの試行回数を考えれば、次である程度合わせないと元の色に戻すのは難しいですから。慎重にいきましょう」

『やっぱり、フィーリングだと思うんだ!』

「……はい?」

 突然何を言い出すんだこの神様は。

『いや、だからね。論理的に色を伝えられてもさ、そもそもの色相環が違うのなら、すぐには一致させられないじゃない。それなら、君が空に対して思う感情とか、空を見たときに生じるフィーリングを教えてもらって、それに対応する色を僕が反映すればいいと思うんだよね』

「そんなアバウトな」

『いや、でも考えてみてよ。こうして言葉を交わしてみて、見えている景色は違うかもしれないけど、考え方とか感覚はそんなに違わない訳じゃん。なら、色心理学というかさ、色が生じさせる感情や情緒は、神と人間でもそんなに違わないんじゃないかって思うんだ』

「一理ある……のか?」

 勢いに騙されていないか。

『だからさ、君の言葉でもいいし、著名な作家とかでもいいからさ。空に対する思いを教えてよ。それを元に、僕が色をイメージするからさ!』

「……わかりました」

 俺は空を眺めているときに思うことや生じる感情に加え、有名な小説家や哲学者の空に関する言葉を神に教えた。ただ、俺がわざわざ調べて教えたそれらの名言は、全部知っていたそうだ。ホントなんなんだ、この神様は。

『それじゃいくよー』


 ジョンは泣いて逃げるメアリの後を追いかけた。今ここで、彼女を失ってはいけない。プレイボールを自負しているジョンも、今回ばかりは本気だった。本気でメアリを愛し、結婚したいと考えていた。

「メアリ待ってくれ!これは何かの間違いだ!」

「追ってこないで!もう私、車にでも轢かれてやるわ!そうしたら、この空と同じ色のスーツを着て迎えに来てちょうだい!」

 そういってメアリが指した空の色は、眩いほどに純白だった。 


 「ああ、終わった……」

 まもなく、空の色は黒に戻った。

『あれれ、違ったかな?結構、自信はあったのだけれど』

「いや、なんであの説明で、白一色になるんですか」

『うーん、君が言っていた神秘的な感情を表したつもりだったのだけれど、うまくいかないものだね。やっぱり、君だけに話を聞いても無理なのかなぁ。……あれ?』

「そりゃ、俺一人に背負わされるには責任が大きすぎますが。……どうかしましたか?」

『いや、もしかしたらなんだけど。君とこうして話して空の色を変えていることが、世界中にばれたかも』

「え、世界中って……え?」

『ほら、テレビ』

デスク横に置いてあったリモコンで、テレビをつける。国営放送には、深刻な顔をした男性アナウンサーの横のモニターに、”中継”の赤文字と共に俺の自宅アパートが映っていた。

「……中継先が今回の空の色消失事件と深く関係しているとみられる男の自宅です。詳細はまだ不明ですが、この男が空の色を間違えたために空の色が消失しており、またその色を思い出せないため黒い空がつづいている、と捜査関係者は話しています。家屋の周りには既に公安の特殊部隊が突入準備を完了しており、合図を待っている状況です」

「嘘だ……」

『あはは、超有名人じゃん』

 他人事のように、この邪神は笑う。

「現在世界の各地から、空を操作することができると思われる男に向けて、多くのメッセージが届いています。ここで、その一部を紹介いたします」

「空を忘れたなら私の絵を見ろ!私は何十年も空だけを描き続けた画家だ。誰よりも空を理解している!」

「神がおわす空を消してしまうとは何事ですか!聖書を読んで神について知り、神々の創造した元の空へと早く戻すのです!」

「この曲は、ドビュッシーが空をイメージして作曲した曲だ!この曲を聞けば、君も空の美しさを思い出すに違いない!」

「君のおかげでプロポーズが成功したよ!結婚式をするから早く元に戻してくれ!」

「このように、世界各地から多くの声が届いています。果たして、我々から空を奪ったこの凶悪犯の目的は何か。私たちが愛した空は還ってくるのか。続報が待たれます」

 俺はテレビを消し、背もたれに深くもたれかかる。

「……参考になるのはあった?」

『うーん、絵は見えないし、聖書もホントのことは書いてないしなぁ……。でも、音楽はなんとなく伝わったかも?最後のは知らない』

「いやそれよりも、どうして交信がバレたんだ。こんな、日本の片隅で、誰にも言ってないのに……あ!」

 先ほど適当に払いのけたノートPCを開く。画面とキーボードの間には充電ケーブルが挟まっており、先ほどのWEB会議は終了していなかった。画面には会議相手であったプロジェクト・マネージャーと、刑事らしき数人が画面に映っていた。マネージャーの右手には、ゼロのたくさん並んだ小切手が握られていた。

「てめぇかっ!」

 今度こそ力強く画面を閉じ、会議を終了する。

『あーあ、やっちゃった』

「なにが⁉」

『いやそんなことしたら、向こうに僕たちが気づいたことばれちゃうじゃん。そしたら……』

 そのとき、自宅の入り口方向から、何かが破壊された音が聞こえた。続いて大量の人間の足音が鳴り響いた。

「突入してきた!」

『ま、こうなるよね』

 何も悪いことはしていないはずなのに、体は恐怖で震える。

 何か頼りになるものはないかと考え、今話している相手を思い出し、画面へとしがみつく。

「なぁっ。助けてくれよ!あんた、神様なんだろ?奴らを追い返してくれ!」

『いや、まあできなくはないけど。今更そんなことしても、君を助けるメリットももう薄いしなぁ……。あ、嘘、やばい!君との交信が上司にばれたっぽい!どうしよう!』

「知らないわ!あんたは怒られるだけかもしれないけど、俺は人生がかかってるんだよ!」

『怒られるだけって、あの上司ホントに怖いんだよ!ああ、もう!どうしようもないから、とりあえず君たちの世界を三か月前に戻して、空の色も適当に決めとくから!じゃあね!』

「は?おい!そんなことできるんだったら最初に言え!それと適当に決めとくってなんだ⁉変な色にしたら承知しないぞ!」

次の瞬間、世界がぐるりと回転し、俺の意識は闇へと落ちていった。


 目が覚めたとき、世界は三か月前の、あのときに巻き戻っていた。つまり、徹夜上がりの俺が屋上で、空を眺めていたあのときだ。

 俺の記憶はそのままだった。世界中の人々はあの騒動を全て忘れているのに。これは、あの神からのサービスなのか。それともただのミスなのか。

 空の色は確かに黒ではなくなった。しかし、元の色にも戻らなかった。俺が愛していた、あの空には。

 過去の記憶も改変されているのか、皆は空に対して違和感は持っていないようだ。悔しくなった俺は、元の空の美しさを力説したが、しかし誰も理解してくれなかった。そんな気味の悪い空は嫌だとさえ言われた。

 それもそうだ。あの神と俺の話ではないが、空の色なんて主観的かつ抽象的なもの、そもそも他人と共有することができないものなのだろう。

 あの後、神からの連絡はきていない。そもそも神からのメッセージを受け取るために観測が必要な、この気持ちが悪い空の色を、俺は長時間眺める気にはなれない。慣れてくれば親しみもわいてくるのかもしれないが、まだ当分は好きにはなれなそうだ。

 どうして神は、空をこの色にしたのだろうか。推測するに、あの焦った状況で、本当に適当に色を決めたのだろう。そして、地球中で最も多いこの色を空の色としたのだろう。

 皆は、この空の色に違和感を覚えないのだろうか。

 この海のような、青い空に。

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