抜けるための条件
三鹿ショート
抜けるための条件
四つん這いになっている私の背中に座っている男性に向かって、私は告げた。
「父親が病気で倒れたために、此処を出て、実家で生活したいのです」
その言葉に対して、男性は私の背中に座ったままの状態で、
「つまり、組織から抜けたいということか」
感情が籠もっていない声色は常だが、咎めるような物言いに、私は恐怖を覚えた。
だが、震えている場合ではない。
一秒でも早くこの組織から抜け出さなければ、太陽の下で生きることが出来なくなってしまうからだ。
そのように考えた私の耳に、叫び声が聞こえてきた。
声の主に目を向けると、何故そのような声を出したのかが分かった。
固定された腕に、等間隔に釘を打ち付けられれば、激痛によって悲鳴をあげてしまうことは、仕方のない話である。
私の背中に座っている首領の男性によれば、釘を打ち付けられている人間は、組織に納めるべき金銭の一部を、懐に入れたということだった。
その罰として、眼前のような行為が繰り広げられているのである。
確かに、他者に誇ることができないような行為によって組織が得ている金銭に対して、自身が得られる金銭の量は少ないのだが、だからといって、露見すれば生命の危機に瀕するような罰が待っているにも関わらず、組織の金銭に手を出すなど、阿呆の以外の何物でもない。
しかし、組織において立場が弱い人間というもののほとんどが、それほど賢いわけではないことを思えば、このような事態が発生することは、仕方の無いことなのかもしれない。
私がそのような愚かな行為に及ぶことはないのだが、何らかの問題が発生したときに身代わりにされることは、目に見えている。
学がない自分にはこのような組織でしか生きることは出来ないと思っていたのだが、私が想像していたよりも、この組織は危険だった。
罪の無い人間を傷つけて金銭を得ることに良心の呵責を覚えていたことと同時に、他者の罪を押しつけられ、人生を台無しにされることは避けたかったゆえに、私は首領の男性に対して、父親の病気を理由に、この組織から抜けることを望んだのである。
だが、立場が弱いとはいえ、組織の事情についてそれなりに知っているために、私の脱退を即座に承諾するとは考えられなかった。
しかし、首領の男性が自身の妹を大事にしているという話を聞いていたことから、家族を理由にすれば受け入れてくれるのではないかと考えたのである。
無言と化した首領の男性に、私は言葉を続ける。
「出来が悪いにも関わらず、匙を投げることなく育ててくれた父親に孝行することができるのは、今しか無いのです。組織について口外しないと約束します。何なら、私の指を数本差し上げます。私は、それほどの思いで、このような言葉を口にしているのです」
やがて、首領の男性は短く息を吐くと、私の背中から下りた。
立ち上がるように促されたためにその通りに行動すると、首領の男性は私の肩に手を置きながら、
「私の父親は屑という言葉でも足りることはないほどの愚かな人間だったが、全ての父親がそのような人間であるわけではないことは理解している。大事な存在ならば、きみの脱退を認めよう」
「本当ですか」
思わず、笑みを浮かべてしまった。
そのような私に向かって、首領の男性は頷いたが、その手には刃物が握られていた。
差し出されたその刃物で私がどのような行為に及ぶべきなのかは、分かっていた。
***
解放されてから感じたことといえば、世界が退屈だということである。
常に危険と隣り合わせだったが、組織で過ごしていた際は、生を実感していたものだ。
だが、これで良いのである。
実家に戻った私が仕事を探そうとしないことに対して、健在である両親は顔を顰めていたが、生命を奪われるような危険に遭遇することがないことを思えば、深く気にする必要もなかった。
***
夜道を歩いていると、見知らぬ女性が数人の男性に絡まれている光景を目にした。
彼女の表情を見れば、明らかに迷惑に感じているにも関わらず、男性たちは笑みを浮かべながら声をかけ続けている。
やがて、彼女は腕を掴まれたのだが、それを払おうとしたところで、彼女の手が一人の男性の顔面に直撃してしまった。
その行為によって、男性たちはそれまで浮かべていた笑みを消すと、怒りを露わにしながら彼女に向かって罵声を浴びせ始めた。
このままでは、実力によって何処かへと連行されてしまうかもしれない。
思わず、私は彼女と男性たちに割って入った。
当然ながら、男性たちは私に向かって怒鳴り始めたが、私が動ずることはない。
男性たちのような人間を追い払うために効果的な言葉を、私は知っているからだ。
男性たちに向かって、私は、自分がとある組織の一員であることを告げた。
それなりの立場であるゆえに、手を出せばどのような結果を迎えることになるだろうかという言葉を聞くと、男性たちは目を見開いた。
その反応は、想像通りだった。
男性たちのような性質の悪い人間ならば、先日まで私が所属していた組織がどれほど恐ろしいものであるのかを知っているだろうと考えていたのだが、その通りだったらしい。
その場から離れていく男性たちの背中を眺めていると、不意に背後から声をかけられた。
感謝されるのだろうかと思い、振り返ると、其処には何の表情も浮かべていない彼女の姿があった。
その表情に既視感を覚えていたところで、彼女が口を開いた。
「組織については口外することはないと、兄と約束したはずではないのですか」
その言葉で、首領の男性が目的のためならば手段を選ぶことはないということを思い出した。
言葉を失った私の近くに停車した自動車から出てきた男性たちに捕らえられる私を、彼女は何の感情も籠もっていない目で見続けていた。
抜けるための条件 三鹿ショート @mijikashort
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