もみぢのにしき
西川 旭
菅原道真、朱雀院の行幸に伴する
★
西暦で言えば898年、宇多天皇が譲位し、上皇となった頃の話である。
天皇位にある頃からの側近であり相談役とも言えた菅原道真は、上皇が秋の吉野へ行幸する伴として付き添っていた。
「見事な秋晴れと思わぬか、道真よ」
真っ青な空と紅葉の山々を見て、上皇は気分良さそうに歎じた。
京から吉野へと至るルートは、まず宇治方面へ南下して奈良盆地に至り、現在の奈良市東部から南下して飛鳥(明日香)を横目に進む。
道中には平城京、藤原京、飛鳥宮といった歴史に名だたる古都が連続している。
道真の視線と想像力は空や山よりも、その先に待っているそれら古い街並みに奪われがちであった。
「まったくその通りにございます」
心ここに在らずの返答だったが、上皇の気分は害されなかった。
それだけ美しい秋の景色であり、輿を担ぐ者たちさえも清涼な空気と草木の香りを、深く息を吸い込み楽しんでいた。
仏頂面をしているのは、道真ただ一人であった。
「せめて長谷雄がいてくれれば」
誰にも聞こえぬ声の大きさで、道真は一人ごちた。
今回の吉野行へ同道が叶わなかった、幼馴染にして今は文章(もんじょう)博士(はくし)の職にある、紀長谷雄の名を呼んだ。
旅の道連れを選ぶことに道真はほとんど関与していない。
だが、事前に言えば上皇は配慮して長谷雄も誘ってくれただろうとは思う。
今、心の孤独を感じるに至り、素直に「一緒に来てくれないか」と誘えばよかったのだと、後悔していた。
★★
「のう道真。いずれはそなたに大臣を務めてもらいたいのじゃが、どう思う」
行幸に出発する前、上皇は道真を呼び出して、そのように告げた。
相談ではなく、ほぼ確定事項なのであろう。
上皇は自分の発案に自信を持っており、道真が異議異論を差し挟む余地はないように、周囲で聞いていた侍従たちも思った。
しかし、そこを良くも悪くも裏切るのが、菅原道真という男である。
「畏れ多くも、わたくしには務まらぬであろうと」
NOと言える男、道真であった。
せっかく目をかけて重用しているのに、なぜ自分の言に断るのか。
宇多上皇は面食らい、尋ねた。
「なぜじゃ。政も祀りも、かの国との通交も、そなた以上に深く知るものはおらぬ。そなた以外に、これからの大臣は誰に務まると申すのじゃ」
道真は若い頃から勉強熱心な碩学で知られている。
国内のことも大陸、中華とも呼ばれる唐帝国のことも、自然科学から文学に至るまで、およそ道真以上に知り得ている人間は、日の本をいくら探しても見つかるまい。
その叡智を、国を治めるために存分に振るえと、なにを惜しむことがあるのかと、上皇は純粋に思っていた。
しかし、己を知るところ深き道真は、こう言わざるを得ない。
「わたくしは、数人の友人親族を別にして、人に嫌われます。政の表向きに立つ器ではございませぬ」
周りから信頼されていないので、他の適任者を選んでくれ、ということである。
「かような、些細なことを気にする段ではなかろう。少々の讒言など、余が抑えつけてくれるわ」
「大君(おおきみ)のご威光を疑うわけではございませぬ。しかしながら、わたくしが世人から厭われるのは、これはもう天理生得のものにございますれば」
運命だから、天皇であっても上皇であっても、どうしようもできないのだ。
道真は頭を下げつつも強い視線で、きっぱりと言い切った。
この後、道真は結局家柄血筋に相応せず右大臣に昇りつめた。
しかし、それが理由で周囲の貴族たちにやっかまれ、蹴落とされたというわけではない。
若い頃、三十代で文章博士に就いた頃、いやそれよりも前の学生であった頃から、その才気と傲岸な態度から、周囲に攻撃され続けてきたのである。
「性は狷介に過ぎ、自ら恃むところもすこぶる篤くあろう……」
そのように、同僚たちから「いけ好かないやつ」と思われて青春時代を過ごした道真だった。
もっとも、道真の才を只者ではないと見抜き、幼少の頃から日に陰に支援してくれた理解者もいた。
史上きってのプレイボーイで知られる在原業平は、偏屈潔癖な書生時代の道真を頻繁に女のいる宿に誘い遊び、それが習慣になって道真は女性への嫌悪感や敬遠する気持ちを随分と和らげられたというエピソードがある。
すでに齢五十の半ばも過ぎた道真には、二十人を数える子があり、五十人は下らない孫たちがいる。
それは余談として、大臣に指名される前から上皇や天皇が道真を贔屓していることに気を悪くした貴族たちは、病気と称して朝廷を欠席するようになっていた。
宇多天皇が譲位して上皇になった際は、さすがに朝廷も心機一転して綱紀も引き締められたものの、またいつ緩むか、知れたものではない。
事実、上皇はこの後に仏教、特に真言宗の世界に深入りするあまりに、道真の政治的な苦闘に気付かず、太宰府への左遷を助けることができない運命をもたらす。
余談が重なるが、真言宗の名僧、空海を歴史の表に引き立たせたのは宇多上皇の功績の一つである。
「なにも今すぐというわけではないのじゃ。前向きに考えてはくれぬか」
上皇は現実的な落としどころとして、数年の猶予を道真に提示した。
貴族間の軋轢が多少はあるにせよ、上皇の思い描く天下の未来設計図を現実のものとするには、道真の見識と判断力、実行力が不可欠であった。
漢籍に明るく、建築土木と言った実学、いわば国家インフラに詳しく、その上で経済も戦争にも通じている人間など、今世に二人といまい。
上皇は聖徳太子の時代や、東大寺の大仏を建立した聖武天皇の時代のような、仏を篤く敬う中でのきらびやかな国の再現を、生きているうちに実現したいと考えていたのだ。
そのために必要不可欠な人材は、道真以外に考えられなかっただろう。
「わたくしは、小野の大徳(だいとく)や吉備の大臣のような才知は持ち合わせてはおりませぬゆえ……」
古の偉人を引き合いに出し、あくまでも道真は固辞の意を表明した。
小野大徳は通称で小野妹子と知られる。
推古天皇、聖徳太子時代の遣隋使であり、数度にわたり大和と隋を往復して大陸の実情を視察した、当代きっての国際的知識人であった。
史上名高い「日出国の天子の文」を隋の皇帝に渡しておきながら、その返書を帰路途中で紛失したというウッカリものとして名が残る。
しかしその実情は、返書の中に隋皇帝から推古天皇への不遜な記述があったので、自己の責任で握りつぶし、なかったことにしたという、政治バランスと太すぎる肝っ玉を併せ持った、傑出した外交官であった。
紛失が彼のミスであったならば、そもそも冠位十二階の最高位である大徳にまで出世するわけがないのである。
「ううむ、その二人と比べては、世に人がいくら多くあろうとのう……」
上皇は唸る。
並んで名前が揚げられた吉備の大臣というのは、吉備真備のこと。
彼も遣唐使として大陸に渡り、優れた先進的知識を日の本に持ち帰った。
その見識を活かして赴任先の地方をよく開発し、外国からの防衛設備を建設し、果ては国を大いに騒がせた内乱の平定に将軍として赴くなど、まさしく文武両道の活躍を遺した超人である。
真備の更に偉大なところは、決して貴族の主流とは言えない血筋でありながらそこまで活躍、右大臣に出世して、なおかつ老境に至るまで政争で失脚することなく無事に引退し、八十歳を過ぎて大往生した点にある。
狡兎を駆逐した後も、煮られずに済んだ走狗であったのであり、その生き方の巧みなところは古代中華の范蠡、張良に比肩しうる。
道真は感情を昂らせず、諭すように上皇に言い添えた。
「なによりも、このたびは吉野の麗しき山を詣でようというのです。俗世の煩わしきは、一度、お心から離されてはいかがでありましょうや」
「う、うむ。まこと、そなたの申す通りである。吉野への道行きは、聖(ひじり)のことであるゆえな」
秋に吉野を行幸したいと上皇が言い出した動機は、多分に宗教的な意義を孕んでいる。
聖山の光明に浴し、心身を安らかに清め、以て治国平天下を願うことが第一義であり、誰が大臣になるならないといった細かいことに心を囚われるのは、良くない。
ひとまずは上皇の執拗な勧請を躱した道真だが。
「いずれは、また大臣がどうのという話を聞かねばなるまい」
鬱屈と諦めの混じった心持ちで、そう思うのだった。
★★★
「ところで道真、此度は紀(き)の博士を呼ばなんだのう」
道真は自分と長谷雄のことをぐちゃぐちゃに考えていた最中、ちょうど上皇にそのことを聞かれた。
「は、ちょうど研究していることが大詰めであるとかで、忙しそうにしておりましたので」
それは本当のことだった。
長谷雄は大学寮の文章生(もんじょうしょう)の一人が、家の倉から持って来た古伝の書に気になるところがあり、それを突き詰めて調べている最中である。
軽い気持ちで藪に分け入ったらいつの間にか深入りしてしまったらしく、古い言い伝えや書き残された文書を整理して、今の言葉に書き換え直す作業に夢中になっているようだ。
邪魔をしてはいけないと思い、長谷雄にも知らせなかったし、上皇に同行を頼むこともしなかった。
「文の魔に取りつかれると厄介よの。それしかせんようになる」
長谷雄は遅咲きの大器であり、昇殿も道真よりは随分と遅れた。
今は政治よりも文学の研究と後進の育成に熱心であり、朝廷で暗闘を繰り広げている道真とは疎遠になりつつある。
「仰せの通りにございます」
「道真がその中に取り込まれることがなく、余は嬉しく思うぞ」
軽く上皇が言ったその言葉は、道真の心に深く刺さった。
自分が文芸や学問の道ではなく、政治の道に生きることを決心した出来事を思い出したからだ。
★★★★
あれは道真が五十歳になったばかりの、夏であった。
「遣唐正使に任ずる」
そう命じられた道真は、群臣たちに囲まれている真ん中で、感激の涙を流す一歩手前であった。
唐国に渡り、大陸の、いや「世界」の中心を、自分の目で見て、自分の足で歩けるのだ。
若い頃、いや物心ついて学問のがの字をかじり始めた頃から夢想して渇望していた栄誉に、とうとう与ることができた。
「副使は太政官(だいじょうかん)左小弁(さしょうべん)、紀を以て配す」
続けて言われたその言葉に、道真は失神しそうにすらなった。
幼馴染にして兄弟分、最大の理解者である長谷雄が、遣唐使として一緒に来てくれるのだ。
生きていてこれ以上の幸せがあろうかというほどの絶頂である。
「大役をお任せいただき、ありがたきことにございまする」
人目にあるうちは努めて冷静を装った道真だったが、早く帰って酒を飲んで喜び暴れ、乱痴気騒ぎと洒落込みたかった。
夢が、叶ったのだ。
この日のために学問に身を捧げ、慣れぬ政治の世界で裏表から根回しをして過ごしてきた。
長谷雄もきっと、喜んでくれるに違いない。
浮かれて廊下を歩いていると、物陰でなにやら小声がするのが聞こえる。
特に興味もなかったが、道真はその内容を聞いてしまった。
「菅(かん)どのも、これでお仕舞でしょうや」
「おう、今の唐国へ渡って、無事に生きて帰れるわけもなく」
気付かないふりをして道真は通り過ぎた。
確かあの者たちは、藤原北家の嫡男、時平の腰ぎんちゃくどもである。
今、唐に渡れば命はない。
それがどういうことなのか、道真は恐るべき早さで調べた。
おりしもその頃、新羅(しらぎ)の国から来たらしき不貞の集団が、漂着したり意図的であったり、とにかく大挙して九州の諸島部、特に対馬を襲っていた。
道真は時平派に悟られぬように、捕虜となった新羅海賊への取り調べ資料を入手し、彼らが唐についてどのように話しているのか情報を収集した。
「大唐、内乱により疲弊す」
「各地で割拠し、暴れるものあり、久しく収まらず」
「長安の都、灰燼と化し、夫を失う女、親を失う子の叫びに満ちたり」
単なるうわさかもしれない。
しかし、火のないところに煙は立たず、うわさだとしてもこのような話が出る以上、唐の地が不穏な状況であるのは明白だった。
「俺一人の話であれば、なんとでもなろうが」
調査資料と睨めっこしながら、道真は力無く呟いた。
「長谷雄まで道連れで死なせることは、できない……」
中年を過ぎて、ようやく人生の春が来た長谷雄という最高の友の身を考えれば、結論は一つしかなかった。
「改めて、唐への通信が可なりか否なりか、よろしく皆さまのご意見を賜り、今一度詮議いたしたい」
朝議にて、道真はそう具申した。
当時の宇多天皇は道真の顔色が深刻なことを察し、唐の状況を詳しく調べさせた。
そして、安否に確証が持てるまでは遣使の派遣を停止するように百官に言い渡し、遣唐使は廃止ではなく、とりあえず保留という形になった。
事実上の渡航断念であることを、道真は真っ先に長谷雄に知らせた。
夢は、破れたのだ。
いや、それは少し違う。
安全と、政治と、夢と、いろいろなものを天秤にかけて。
道真は、自分と友の命を、自分から拾って選んだのである。
「そうか」
若き日に、二人の兄貴分だった業平の墓の前で、長谷雄は沈痛な顔の道真から報告を受けた。
「お前らはきっと偉くなるし、詩文だっていつか俺より上手くなるぞ。そうだな、唐に渡った阿倍仲麻呂や、吉備真備のようにな」
歳を取っても屈託なく笑う色男の笑顔が、道真と長谷雄の脳裏に浮かんだ。
なぜか業平に言われると、本当に自分はそうなれるのだ、必ずなるのだと思えたものだ。
女性からの人気が高かったのも、言葉の力が強かったからであろうか。
「せいぜいよく勉強するんだ。唐に行きたければ行けばいいんだ。俺みたいに不勉強なまま、軽く見られちゃあいかん。お前らはもっと立派になれるんだからな」
言われたことを、長谷雄も覚えていた。
「業平さま。唐の土産話は、まだ出来そうにありませぬ。今しばらくお待ち下され」
長谷雄は業平の墓を丁寧に洗いながら、明るくそう言った。
向学の志が折れた道真は、業平の顔と言葉を思い出し、悔恨と謝罪の涙を墓の前で流した。
★★★★★
唐には行かぬ。
そう決めてからは、政敵である藤原北家、特に時平との暗闘に道真の時間は費やされた。
自分が政界の汚れ仕事を引き受けていれば、長谷雄は文章博士として、学問に集中できるだろう。
「時平めに調子に乗らせるは、余も憂えているところである」
宇多天皇、今は上皇も、その考えでは道真と同じであり、両者は共闘する形になった。
自分が仮に大臣位まで登れば、また状況は変わり、余計な軋轢も大きくなるだろうが。
望んで得た現状であり、そこに今更後悔はない。
しかし、兄貴分だった業平の詩作の技には、もう永遠に追い付けないだろうし、弟扱いして世話を焼いていた長谷雄にも、文学の道で追い越された気がする。
長谷雄が今まさに取り組んでいる仕事、竹取の爺さんがどうの、珍しい姫がどうのという話の研究が実を結ぶかどうかは、道真にはわからない。
しかし、その分からない学問と芸術の海で必死に泳いでいる長谷雄が、まぶしく、羨ましい。
自分が学問に捧げ、大陸を夢見た半生は、一体なんだったのであろうかと道真は思う。
「おう、山の路の神か」
輿の中から半身を乗り出した上皇が、道の脇にある祠を見て、言った。
いわゆる道祖神というものであり、村の外れや山道などに守護のために設けられているものだ。
「落ち葉が積もっておりますな」
道真は手をホウキ代わりにして、ぱっぱっと祠を掃除してやった。
ポツンと建っている名前も知らぬ石柱状の神の姿に、なぜだか自分が重なるような気がした。
「あの山は、はてなんと言ったかのう。道真や、ここでひとつ、詠んでくれぬか」
青空、紅葉、山の曲線、そして小さな石の祠。
道真になにか詠ませるならこれ以上のシチュエーションはないと、上皇は思ったのだろう。
はあ、と気のない返事をして、道真は掌にへばりついている紅葉の葉を、祠に供えて、詠んだ。
このたびは
ぬさもとりあえず
たむかやま
もみぢのにしき
かみのまにまに
今回の旅路では、神をまつる幣(ぬさ・へい)も用意できず申し訳ありません。
取り急ぎのところ、山に向かうこの路の美しい紅葉をお供えいたします。
私のご無礼を許すも許さぬも、どうか神さまのご随意に。
あまりにぶっきらぼうで、投げっぱなしの歌である。
道真自身、駄作だと思った。
唐に渡り、帰ることのできなかった分、一生涯を勉学に捧げた阿倍仲麻呂や、なぜか知らないが歌詠みだけは異常な天才ぶりを誇った業平に比べると、なんとつまらない出来上がりであろうか。
今のは無し、もう一回やりなおしたい、道真はそう言いかけた。
しかしすでに陪従の書記官は、ほほお、と感心した顔で道真の詠んだ歌を書き記してしまっている。
「ふむ……」
少し、考える風な顔をして、上皇は言った。
「今ここにあるもので、足りよということか。神のまにまに、なるほどのう……」
なにやら深読みされている。
そんなつもりは全くなかったが、道真は黙っていた。
侍従たち、輿担ぎたちも、さすがは菅さまであると尊敬の顔色に満ちていた。
あの山は手向山というのかあ、と感心しているものもいた。
道真も、小さな山の名前などいちいち正確に把握してはいないので、適当に言っただけなのだが。
真の友は遠方にあり、なかなか会えぬか、故人である。
身近にいるのは敵と、自分を半分も理解していない連中と。
「しかしこれが自分の決めた道なのだ。とりあえずは手向かってやろう」
諦めにも似た境地で道真は思い、歩みを再開する。
政治の闘い。
学問への執着。
自分の孤独な心の、収まる場所。
それらが一体どうなるかは、大和一の碩学を謳われた道真にも、分からない。
まさに神のまにまにでしかないだろう。
道真はもう一度だけ神の祠に振り返り、皮肉に笑うのだった。
もみぢのにしき 西川 旭 @beerman0726
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