近代の渡世術 ⑥

常陸乃ひかる

鳥、逢えず

 いつの時代も『人間』はかわらない。とりあえず人と仲良くするフリをして、とりあえず人を扇動して、とりあえず人を殺して――

 大政奉還たいせいほうかん後に時代が大きく変っても、神族(と人間が思っている生物)を降伏させようと、軍を侵攻させているのだから。


 明治28年(1895年)、冬。

 終戦を告げたこの近代で、多くの人間にはとんと無関係の内戦が勃発していた。

「とりあえず、状況を確認しないと」

 のロス・ウースは、うまれた時から周りに敬重され、忌避されていた。時が流れると、いつしか『神』として浮世に放りこまれ、それを信じてやまない人間によって慕われ、敬われ、憎まれ、疎ましがられ――浮世の勝手な印象に振回され、とうに人間の平均寿命を超えた。

 惰性に身を任せていると、周りの者たちは死に絶え、ひとり霞を食い、酒に酔い、変哲もない日常に胡坐あぐらをかいていた。――僻地のアウト・キヤストに行着ゆきついたのは、とりあえず人との関わりを求めていたからかもしれない。


 アウト・キヤストをあとにしたロスは、山に足を踏入ふみいれると、地面から生える無数の障害物をこなれた動作で避け、一寸先も風景が変らない木立を縫い、最短距離を通って農村へと駆けた。数分ほどで村が黙視できる場所に着くと、灰色グレーの眼を細めて広場を眺望する。

「住民と……やっぱり違うのも混じってる」

 すぐに山の斜面を下り、農村の大きなケヤキの麓まで移動したロスは、その様子を覗きこんだ。膝をついている農民が数名見受られる中、平穏を壊すように広場を陣取っていたのは、軍服を着た三十ほどの兵だった。ロスは整った面持おももちと、心持こころもちとを一気に険しくし、家屋の陰に移動すると様子を窺った。

「貴様たち、神に味方するとはどういう料簡りょうけんか」

「あん方たちは大事な近隣住民でさあ。人間に迷惑はかけてねえはずです」

 中央ではふたりの男が睨み合っている。片方は村長、もう片方は分隊の中で最も偉ぶる軍人だった。アウト・キヤストを落としたいのか、場所が知りたいだけか。どちらにせよ、農民に被害が及ぶのは避けたかった。

 いざ、ロスが足を踏み出そうとすると、

「――おい待て。おめえ、なにしてやがんだ?」

 後方、斜めから男声を聞き、ロスは両肩をわずかに飛上とびあがらせてしまった。転びそうになって家屋の薄汚れた板に手をつき、その方向へ顔を向けると、

「おう。久方振りだな」

「ビックリしたあ……貴方、あの時のゴロツキじゃん」

 名も知らぬゴロツキの男が、変らぬ言葉遣いで挨拶してきたのだ。いつの日だったか、町で絡まれた時とはまるで様子が違う。ロスの心にわずかなゆとりがうまれ、口、鼻、耳――とりあえず、穴という穴から熱が抜けていった。

「随分だな。ゴロツキはめてくれねえか? とりあえずオレも、晴れて追われる身よ。で、おめえはどうして農村なんて斥候せっこうしてんだ?」

「いや、彼らを助けようと……」

農民あいつらを助ける? もしや、アウト・キヤストも陥落して、仲間を集めてんのか? だったらオレと来い」

「はい?」

「オレに人間を助ける義理はねえが、おめえは同族だ。気に入らねえ奴だが、仲間を見捨てるほど下種じゃねえんだよ。オレは少しずつ仲間も集まって――」

「ま、待って待って。大丈夫、アウト・キヤストは無事だから。ただ同族も農民も守るのが、わたしの最優先事項なの」

「気概は善いけどよ……武器が刀って、時代遅れにもほどがあんだろ。それに人間助けてどうする気だ? 今はオレらの敵だろ」

「の、農民は……ご近所さんだから味方だし。最近はアウト・キヤストも作業を手伝ってたし。だから自分が大事だと思う者を守る――なにか問題でも?」

 ゴロツキに痛いところをつかれ、ロスは裏返った声のまま目を細め、勝気を演じた。このタイプは苦手である。相手を見下したように利いた風なことを云い、それでも的を射る意見を放ってくる。

「問題だらけだろうが。てめえの身を守れねえ奴が、他人なんて守れねえだろ。確かに神族は優れてるが、相手は武器を持った人間だ。勝算あんのか?」

 しかし、この男も自らを口か。

「別に戦うだけがすべてじゃない。話し合うの」

 ロスは訂正も説明も面倒なので、そのまま話を進めてしまおうと思った。

襷掛たすきがけで、みなぎってんじゃねえか。相談員の時はしてなかったろ」

「なんでいちいち覚えてんの」

「ははは! おめえ、見ねえ間に随分と善い女になったな」

「なにをなことを……! い、今はそれより――」

 繭のごとき白い肌が、見る見る紅潮した。富岡製糸場で茹でられた繭も、こんな色なのだろうか――ロスは大層どうでも善い想像をしながら、眼を逸らす。途端、濁音混じりの乾いた単音が山を木魂し、両者の顔付を険しくした。

「おい、やべえぞ。発砲しやがった」

「信じらんない……同じ国の人間を撃つなんて」

「わかったろ、オレらだけじゃどうにもできねえ! とりあえず一緒に逃げ――」

 ロスの足が震えた。同時に、ロスの拳も震えた。ゴロツキが終始止めてくれていたが、もう辛抱ならなかったのだ。

「ちょっと、どうして同国の人間で争ってるの!」

「お、おい! 莫迦ばかめろ!」

 顔見知りが被害に遭うなんて考えたくもなかった――大地と接着していたブーツの靴底ソールが、音を立てて剥がれた。陰から制止してくるゴロツキの声を掻消かきけすほどの、心に響いたでかい音だった。

 ――ただ、彼の心遣こころづかいは純粋に嬉しかった。


 戦禍せんかがロスを奮わせる。其れ、実以じつもって憤怒の念だった。意地という原動に物をわせなくては前進も後進も叶わず、土になってしまうだけだと知っていたから。

 農村の中央――自ら悶着へ向っていったロスは、両手を上げて戦意がないのを伝えつつ、人間と人間の間に割って入った。

「貴様は?」とロスに対峙したのは、小銃を持った軍服の男だった。見たところ撃たれた人間は存在しておらず、先の銃声は威嚇だったようで、ひとまず安堵した。

 軍人は急に殴りかかってきたり、銃口を向けてきたりするわけではなく、兵たちの長としての対応を取ろうとしているように窺えた。

 ロスは唸るように唾を飲みこみ、

「わたしはロス・ウースと申します。アウト・キヤストから参りました」

 と、はっきりとした口調で名乗りを上げた。

「ほう、悉皆しっかい異人のような身形、信ずるに値する」

「あなたは? 見たところ下士かしですか?」

「いかにも。私はこの部隊を率いる、陸軍歩兵一等軍曹である」

 自らの階級を明しながら、軍曹の男はロスの身形をジロジロと撫で回してきた。

 しかし、たったこれだけの数でアウト・キヤストを攻めてくるとは随分とナメられたものだ。――あるいは端から『侵攻』が目的ではないのかもしれない。

「ご丁寧にどうも。それと、わたしは異人ではない。旭日旗きょくじつきに誓って、日本に生きる民です」

 視線から逃れるように、体を斜めにしたロスは強い口調で反論した。すると軍曹は口元を緩め、能面のような笑みを見せた。ロスの阿婆擦あばずれのような姿に憤怒せず、国力のまま暴挙に及ぼうともしない。

「そうか、其の発言は称賛に値する! して、貴様はなぜ自らここへ参った? まさか首を捧げにきたとでも云うまいな?」

「断じてそれはない。さりとて、刀剣コレを抜きにきたんでもないの」

 腰に差したそれの柄を、添えた左手で軽くトントン叩いてみせると、「ほう」と相槌が入った。

「では交渉ということか? ならば手前から云わせて貰う。こちらは無差別に神族を拘束しているのではないのだ。わかるか? が、武装蜂起した者へ容赦はしない」

 要は降伏の要求だが、相手の腹がわからない以上は安堵できなかった。緊張、切迫、強談――ロスへの重荷は変らない。

「それは先刻せんこく承知しょうちしてたこと。もはや、わたしたちは存在するべきではない。力に溺れ、人間に迷惑をかけた結果がコレなのだから……。わたしたちが生きてゆくには、人間に紛れて隠者をするのが関の山」

「人ならざる貴様らと対等になれば、延延えんえんと人間が辟易へきえきすることになるのだ」

 もらい火のごとく、火傷を負っている者は両種族に見受けられる。ただ日常を追うだけが、憧憬しょうけいの如く。

「なるほど。けれど、わたしは代表にあらず。要求をひとつかふたつ預かってきたから、聞いてくれると有難いんだけど?」

「なに、主神ではないだと? 貴様、ロスと申しただろう? いや……今はい――承知した、天界の云分いいぶんとやらを云いたまえ。そして貴様の目的は? 云い給え」

 軍曹も、ロスのことをアウト・キヤストの代表を勘違いしている。どこかで情報がになっているのだろうか。軍曹の要求と疑念のあと、ロスは生唾を飲み、交渉の第一声を躊躇ためらった。

 ――なぜかいやな未来が見えたからだ。

「……代表の要求は、わたしたち――人ならざる者の平穏な生活。わたしの要求は、とりあえず農村を解放すること。アウト・キヤストに戦う意思はない」

「善い回答だ。だが天界の平穏のためにも、農村の安息のためにも対価は必要だと思わないか? 願わくは主神とやらと話をつけたい。アウト・キヤストへ案内し給え」

「それは断る」

 ロスは大きく首を振った。即答のあと、左右に乱れる黒みがかった銀髪が彼女の意を代弁する。

智慧ちえがあれば善いわけではない。おのが置かれている立場を理解し、そこからどう行動するか。貴様だって全知全能などと云われる者だ。わかるだろう?」

「お褒めに預かり光栄――と言いたいけれど、やはりアウト・キヤストへは案内できかねます。わたしは、剣を抜く覚悟で来てるから」

 ロスの決意とは裏腹、時間が滞った。

「取って食うような真似はしない。同じ国土を踏む者としてこちらも誓おう。今は自国で争っている場合ではない。国外からの攻撃に備えなくてはいけないのだ」

「わかってる……あなたたちは国を守る立派な人。でもわたしは、アウト・キヤストを守ると約束した。どんな理由があろうと、あなた方を連れてゆくことは不義理と同義。そちらの言い分が正しくても、わたしは己が務めを果たす。ごめんなさい」

 啖呵を切って出てきた手前の煩わしさ。が、それよりも大きくなりつつあったのは、意固地にも似た誇りだった。

「……残念だ。では仕様がない、痛い目に遭うか。女とて容赦はせんぞ!」

 ロスが真っ向から決裂を示してすぐ、軍曹の一顰一笑いっぴんいっしょうが怪しくなった。ひとたび口を閉じると、無表情のまま詰寄ってきたのだ。

「え? なに、やだ! 来ないで……!」

 ロスが強い拒絶、また危うさに任せて左腰の秋水を抜こうとした時、一瞬の躊躇ちゅうちょが生れた。軍曹は小銃も構えず、間合いに入ってこようとするのだ。

 今この距離なら確実にやれる。が、本当に人間を斬っても宜いものか。この軍曹をやったら最後、後ろに控えている軍人たちが黙ってはいない。また同時に、農民にまでも被害が出るだろう。

 鯉口は切っているのに、刀剣は抜けなかった。『とりあえず』の感情で人間を斬るなど、である。これが覚悟の差なのだろうか。あるいはロスの胸奥に残る甘さか、優しさか――

 何時間とも錯覚する数秒が過ぎ去り、ロスは軍曹の平手を食らい、力任せに得物を奪い取られ、それを遠くへ放り捨てられてしまった。挙句は髪を鷲掴みにしてくる蛮行に面食らい、振回されるように何歩も後退した。

「痛っ! や、やめっ――!」

 頭皮の痛みから逃れようと、地に顔を向けてジタバタしていると、軍曹の片手がロスの首にかかった。そうして、頭部を跳上はねあげるような乱暴さで首を締め上げるのだから、もう抵抗の余地がなかった。

 冬だと云うのに汗でべたつく首元に、男の革製の手袋――五本の指が絡みつく。無理矢理に灰色の空へ向けさせられた視線が涙ぐみ、ロスは発声を失い、ただ悶えた。窮地に陥れば普通、眠っていた潜在能力が解放されるはずなのに、どういうことか一方的に人間に弄ばれ、挙句は殺されそうになっていた。

 これが血中酸素濃度の低下、二酸化炭素濃度の上昇というやつか。苦悶の表情に善く合う色は、トマトかリンゴかカラスウリか。不細工を晒しながら、ただの脇役で居たかったと今までの言動を恥じた。

「苦しい思いはしたくないだろう! さあ、案内するか!」

 口を利けなくても、小刻みに首を縦に振るだけである。

 Yesと返すだけで、苦痛からグッバイできる。

 が、ロスはぐっとこらえた。すぐそこで首を絞める軍曹に、千万無量せんまんむりょう厭悪えんおが――寂寥せきりょうが――殺意が湧いていたからだ。

 同族や農民へ脅威を振るう存在が憎憎しい!

 この男を、ただ純粋な気持で葬ってやりたい!

 死に際の体から多量の脂汗あぶらあせ噴出ふきでて、どれだけの寒風かんぷうに体を撫でられたか。とうとう辺りには、雪がちらつき始めた。一層寒寒さむざむしくなる農村の中心で、ロスは限界を抱き、薄く閉眼へいがんしかけた。そんな時、鼻をついたのは――なにかが焦げるような匂いだった。早早に火葬の準備でも始めたか。ロスが薄眼うすめで確認すると、軍曹の手から――なぜか白煙が昇り始めていた。

 何事か?

「な、何事だ? あぁっ――!」

 ロスの疑問に、軍曹の疑問が重なった。たちまち、それに被さったのは「熱い!」という、いななきのごとき絶叫だった。軍曹はロスの首から手を離し、手袋を外した右手を幾度と振ると、反復運動のように「手が焼ける!」と訴えていた。

 次第に辺りがざわついてゆき、解放されたロスはへたりながら咳きこみ、涙で滲んだ視線を軍曹に送った。どういうことか、彼の掌は火傷を負ったようにただれ、赤黒く変色していたのだ。

 震えながら膝を地につけた軍曹に対し、ロスは朦朧とした意識でブーツを地に着けると、大きな一言を物申してやろうと息を吸いこんだ。

 が、重圧のような緊張、また首を絞められた苦しみが相乗され、

「う、うっ……うぇ! うごえっ――!」

 ついに自我を決壊させてしまったのだ。堰を切ったように、胃の内容物が放出され、消化しきれていない食物のカケラが胃酸に交じって、この世に生み出され――もとい還元された。色は――とりあえず、レインボー。

 その悪臭を放つ溜飲を、軍曹の頭へ吐きかけてしまったのだから、もう常軌をいっした光景だった。あれほど憎かった相手に、情念が生れるくらい。

「うぇ、あっ……ご、ごめんなざい、わた、し……そんなつもりじゃ……」

 真正面の軍曹は、避けようのない反吐を浴びたことで、まるで当主に出くわした盗人のように目を白黒させていた。どろっとした体液が帽子のつばから軍服へ落ちる。そんな最中、すぐに変化が表れ、人人ひとびとがたちまち顔色を変えた。

 彼の体からむせ返りそうな大量の白煙が発生したかと思えば、布が裂けるような、はたまた肉が焼けるような、他人の意識をも制圧するほどの音韻が生まれ、軍曹の絶叫があちこちの擬音を遮ったからである。

「熱い! 熱い!」と虚しく絶叫し、のたうちまわる軍曹の体は、見る見るうちに焼け爛れ、次第に人形のようにぴくりとも動かなくなってしまった。

「え、怖い……なに? う、嘘でしょ? ちょ……っと、下士さん?」

 ロスは、ひとつばかり疑問を抱いた。

 もしかすると自分のせいで、この男は屍になったのではないかと。

 なりたてほやほやの物故者ぶっこしゃの顔面は、最も胃の内容物を浴びており、半分ほど溶けた帽子が転がり、手の火傷の跡など比較にならないくらいに皮が焼け、肉が抉れ、頭蓋骨が露出していた。

 どれほどの劇薬を浴びせたら、ここまでの惨状になるのだろうか。

「うぇ、キモっ……」

 自分たちは神族ではないと知らされたばかりなのに、万物とは異なる力を持っているのだと実感せざるを得なかった。

 一面が静まり、『ロス・ウース』という存在が独擅どくせん場と化し、妙な興奮を感じた。

「おえっ……。あ……アウト・キヤスト所属、ロス・ウースがお相手します! あそこには何人なんぴとたりとも通しません! た、たぶん……」

 ロスは横たわった秋水を手に取って、食道を昇ってきそうな『第二派』を我慢しながら息筋張いきすじはった。

 戦う以外の選択がなくなった瞬間だった。

 ここから先は、とりあえずなんて感情は通用しない。


「化物め! なにが神だ、そうやって人間に危害を加えてるのではないか!」

 兵の誰かが叫んだ『化物』とは、まさに浮世の声だと思った。異様な惨状に、農民までもが後退し、「ロス様……」と顔をしかめている。

 兵たちは対象に触れられない恐怖や、指揮官を失った衝撃から、ばらばらの動きで小銃を構え始めた。透かさず、「やめろ!」や「撃つな!」といった農民の悲鳴が聞こえる。

「わたしは……無暗に人を傷つけようと思ったことなんて一度もない。相談所に来てくれた町民、掛茶屋の元気な看板娘、ここの農民たち――わたしとは違う、だからこそ区別は必要だった! なるたけ痛みを伴わない方法で生きてきたけど、もう人を殺めてしまった以上、どんな言い訳もしない!」

 自己満足でしかない独白は、心に亀裂が入った結果、胸では留められずに漏れ出しただけの本音だった。

「首が欲しければ持っていけ! こちらも死に物狂いで抵抗させてもらう!」

 兵に向直むきなおったロスは、茫然ぼうぜんとした表情で続けた。一方、立射の体勢のまま動かない兵たちは、怒りで震えていた。

 ――撃たれる。ロスは矢庭に、また悠長に目を見開いた。むこうの『返答』を悟り、考えるより先に水平に走り出すと、複数の銃声が山に吸収された。十五メートルほど走り抜け、家屋の陰に飛びこみ、たまたま置かれていた天秤棒てんびんぼうにつまづいて袴を汚した。

「あっぶね……恐るべし十八年式」

 家屋からあちらさんを覗きこむと、分隊は小銃に弾を込めていた。間違いなく、接近戦は避けてくるだろう。相手の武器が単発のボルトアクション式とはいえ、それを代わる代わる撃たれれば連発と変らないし、ある程度の距離を取られながら裏に回りこまれても、お終いだ。

 ロスが所持している飛道具は、何物にも引けを取らない殺傷能力を持っているが、引金ひとつで飛んでゆくほど高性能ではないし、射程も圧倒的に短い。先刻げえげえしたばかりなので、胃に収まっている量もだ。それに、意識して出せるわけでもなければ、乙女として何度も公衆には晒したくない。

「わたしの胃って金剛石ダイヤモンドなのかな……」

 このままではジリ貧だった。

 考えうる作戦は、捨身すてみで猛進。背後を取って接近戦。名乗りを上げての侍魂。

 早急に企てたそれらは、成功へ導くだけの確実性がなかった。てる空の下、膝を突き、嘆くように地面の温度を感じた。この戦況を悪化させたのは紛れもなく自分自身であると。

「……ん?」

 が、青天の霹靂のごとく転機はやってきた。差し仰ぐロスの両膝には地響きが、また耳に届いたのは風に混じった罵声だった。

「――無茶すんな、莫迦女!」

 浮世はまだロスを見放してはいなかった。声のほうへ目をやると、暴威も猛猛たけだけしく山の斜面を駆け下りてくる同族たちの姿があった。分隊に匹敵するほどの数を揃え、誰もが薄汚れた着物をまとっており、人間とはかけ離れた威勢をもって農村へ雪崩込なだれこんできたのだ。

 先頭を走るのは先ほどのゴロツキで、「農民には手ぇ出すな!」と盤面を理解した上で、兵に襲いかかっていった。その様は、初めから結末の決まっていた芝居小屋の風景にさえ見紛うほど華麗で、奇襲を仕掛けられた兵たちはまるきり体勢を崩されていた。

 弾を放ってしまった近代の兵器は再装填の暇もなく、強引に接近戦に持込もちこまれた兵はひとり、またひとりと地に沈んでゆく。無論、サーベルで対抗する者も居たが、人と人ならざる者とでは、潜在している力ポテンシャルが違いすぎた。

「あのゴロツキ……」

 彼らの気迫に誘われるまま、ロスも戦いに加勢しようと、農村の中心へ向っていった。途中、民家の前で固まり、身動きが取れないで居る数名の農民へ近づいてゆく影があった。三名の兵士が小銃を構え、今にも発砲しようと銃口を向けているのだ。そこには農民の権利もへったくれもなかった。

 危機を察知したロスは感情を殺し、背後から「やめろ」と低い一声。居合の構えから一文字に振り抜き、ひとり目の軍服を血に染めた。異変に気づいたふたり目が振向いたが、銃口を向けられる間もなく袈裟斬りへ。そうなると、三人目の対応は惰性だった――その懐に潜り、袴の帯に差していた懐剣かいけんを抜くなり、無情に腹部へと突き刺し、わずか五秒ほどで農民の安全を確保したのだ。

「ロス様……?」

 農民は必死にお礼を伝えようと、餌を食べに水面へ顔を出した鯉のように口をパクパクさせていたが、ロスが笑顔を返すとようやく同じ表情をしてくれた。

 変に動くよりも、この場に留まっているほうが善いだろう。血糊を拭きとった刀身を鞘に収め、農民の前に仁王立ちし、ロスは趨勢を見守った。


 三十分も経たぬうちに、農村は同族たちによって制圧された。悶着が過去すぎさって、戦乱の煩さが初めてわかる。当然、ゴロツキたちが無傷だったわけではない。それでも生き残った者たちは勝鬨かちどきを上げていた。

「――おめえ、無茶すんな。けれど、兵に面と向うなんて度胸のある女だな」

 ロスが一息つくと、知った顔が剣を収めながら声をかけてきた。

 空腹のような倦怠の眼差しと、寝起きのような物憂げな視線が交わっても、再会の挨拶はしなかった。

「はぁ……しんど。もっと早く助けてよ」

 ロスはどうにもこうにも悔しくて、また恥ずかしくて仕方がなかった。過去に喧嘩を売られたゴロツキに命を拾われるなど、どんな顔をして会話に臨むべきかと。

「これは貸しにしとくぞ? とりあえず、なんとかなったな」

「もう、『とりあえず』は通用しないんだって……」

「善いじゃねえか、オレらに相応しい表現だろ。人間から疎外され、このまま死ぬまで霞を食う神族オレらにはな」

「気楽なこって……」

 いつの時代も、自分を神族だと信じてやまない連中は変らない。

 とりあえず同族を救うフリをして、とりあえず同族を扇動して、とりあえず同族たちで力を合せて――

 少しは、人間よりマシなのだろうか。

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