杏野屋の響き〜トリあえず、ナマデ〜

水長テトラ

杏野屋の響き〜トリあえず、ナマデ〜




「とりあえず生で、って皆が言うから俺も真似してじゃあとりあえず生で、って言ったんですよ。でも生ビールってとりあえず、って言えるほど飲みやすくなくないですか? 苦いし。後から頼んだサワーとかの方が俺は飲みやすかったです」

「君、酒飲める歳だっけ」


 俺の名前は古里高陽ふるざとこうよう、このアンティークショップ“杏野屋あんのや”で週四のアルバイトをしている大学二年生だ。


「一昨日二十歳はたちの誕生日だったんすよ。それで飲める口実ができたから皆に飲みに連れてかれて、いやー飲んだ飲んだ」


 ついベラベラと喋る俺を眺めてスズさんは広げていた扇をぱちんと閉じて、涼し気に口角を上げて微笑んだ。


「成人か。そりゃめでたい、しかしそういうことはもっと早く言ってもらわないと困るね。祝わなかった私の沽券こけん、プライドに関わる」

「お気持ちだけで嬉しいですよ、いや十分です」


 嫌な予感がして俺は手と首を横に振るが、スズさんは聞く耳持たない。


「いーや、祝うね。少し待ってなさい」


 そう言うとスズさんは別室に向かっていく。

 ほどなくして台車をごろごろと押して、白地に青い唐草模様が描かれた陶器の壺を運んできた。


「ちょうどいいものが届いてたんだった。どれ、これで一つ面白い遊びをしてやろう」

「火鉢……? 火鉢なんか何に使うって言うんですか」


 ぱっと見は唐草模様だが、模様のバランスがどうにも悪くつたと蔦が絡まり合ったりしていて薄気味悪い。

 杏野屋にはこういう少し奇妙な雰囲気の骨董品が所狭しと並べられている。


あぶり文字、って知ってるかい?……知らないって顔だね。実際にやってみよう、最も、炙り出されるのは文字ではなく君の深層心理だが」


 そう言うとスズさんは俺の掌全体に透明な液体を塗り、台紙にべたりと張りつかせて手形を取った。

 火鉢の上の網に手形を置き、扇をあおいで火鉢に空気を送る。


「この火鉢には特殊な呪術がかかっていて、君が心に思い描いたものを具現化してくれる。何が出てくるかは本人にも選べないから実用的ではないけどね。さ~て、何が出るかな?」


 変なものが出てきたらどうしよう、と俺がそわそわするほど対照的にスズさんは楽しげになっていく。

 台紙の上に湯気のようなものが立ち込めて、それが集まって固体状の形を作っていく。




 そして、変なものが現れた。

 ただし、俺が心配していたようないかがわしい意味での変なものではなく、本当に変なものだった。


 ナマコのトゲトゲの一つ一つが星型の花を咲かせたようなような、ぶよぶよと膨らんだ黒褐色のトゲトゲボールが台紙の上に転がって、見ていて大変気持ち悪い。


「これ……何ですか、スズさん?」

「ふむ……ナマコとヒトデの融合体、ナマデとでも名付けようか」


「これが俺の深層心理だって言うんですか? 嘘でしょ?」

「自分の夢に出てくる怪物のデザインなんて、誰にも決められないだろう。君自身も知ることができない無意識が、混ざり合って生み出したのがこれだ。原因の一つぐらいは探れるかもしれんがね。心当たりは?」


「うーん……強いて言うなら、ナマコが酒のさかなになるって言うけどどんな味か全く想像つかん、って昨日思ったのと、が足りないから急遽きゅうきょ来てくれ、ってスズさんに今日言われたぐらいかなぁ……」

「それ見なさい。ナマコの部分もヒトデの部分も君自身が生み出した幻想だ。どれ、一つ酒の肴にしてみたまえ」

「……食べれるんですか? これ」



 こうして何故か俺が食べる羽目になったが、生だと全く食欲がわかないので台紙をひっくり返して火で炙ってみることにした。

 無から生まれた幻想らしく、水っぽくてスカスカで、とにかく食べた心地がしない。


「本祝いだ、ドイツ直輸入のクラフトビールを持ってきてやったぞ。乾杯!」


 丸みを帯びたビールグラスの向こうで、スズさんの藍染あいぞめの着物が海の色のように揺らぐ。


「あ……飲みやすくて美味しい」

「ビール初心者にはこれぐらいフルーティな方がいいだろう。居酒屋の生ビールの良さが分かるのはもうちょっと社会経験を積んでからだな、うん……見ていないで食べなさいよナマデ、そのためにビールも用意してやったんだから」


「いや、ビールがもったいないというか……ていうかビールだけ飲んでいたいというか……ていうか美味いもんとかいろいろ考えてたのに、なんでこんな変な物体だけが出るんですか」

「火鉢の具現化は持ち主の霊力によるからねえ、君を素材に作れるのはせいぜいそんなちんちくりんだ」


「じゃあスズさんがこの火鉢を使ったら、もっと凄いものができるんですか? 次はスズさんの無意識でやってみましょうよ、ねえ!」

「……君、もしかして絡み酒か? あっ、こら! 雇い主に触るんじゃない!」


 珍しく取り乱したスズさんのゲンコツが俺の頭に炸裂さくれつすると、水っぽいナマデの味も、せっかくのドイツビールの味も吹っ飛んで、俺は地面とキスして気絶してしまったのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

杏野屋の響き〜トリあえず、ナマデ〜 水長テトラ @tentrancee

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ