【掌編】トリアエズナマ【1,000字以内】

石矢天

トリアエズナマ


 いやあ、今日は暑いですね。

 え? まだ寒いって?


 こういうときは「そうですね」って話を合わせてくださいよ。


 そういうわけで、今日は暑い。誰がなんと言おうと暑い。

 こんな日に欲しくなるものと言えば、やっぱり生ビール。


 仕事なんかさっさと終わらせて、居酒屋に入ってね。

 出されたおしぼりで汗いっぱいの顔を拭きながら注文します。


「とりあえず生ちょうだい!」


 そしたらさ、「はいよ、生いっちょー!!」なんて威勢のいい声が聞こえて………………こない。はあ!?


 どうしたんだ、と店員の方を見る。

 あっちはあっちで、なんか変な顔をして、


「……生でいいんすか?」なんて聞いてきやがるわけです。


 いったい、この店員は居酒屋何年目なんでしょうね。


 お客が「とりあえず」って言ったら、だいたい「生」でしょ?

 百歩ゆずってもビールですよ。出てくるものは一緒ですけど。


 え? 平成の亡霊ですって。

 そりゃ仕方ない。私は昭和生まれ、平成育ちのオッサンですから。

 でも、そういうオッサンを相手にするのが居酒屋というお仕事です。


 まあ、ともかく。

 私は「生で」ともう一度言うわけですが、店員はまだ納得しないんです。


「どうしても?」

「どうしても」

「本当にいいんすね? 責任取れないっすよ?」

「いいって言ってんだろ!」


 最後はケンカみたいになっちゃいましたけど、店員はしぶしぶキッチンに伝えにいきます。


 そこは「はいよ、生いっちょー!!」って叫べよ、と思いつつも私も大人ですからいちいち口に出したりはしません。



 しかしこれが、3分経っても5分経っても生ビールが出てこない。

 そんなに忙しいのかと店を見渡しても、別に混雑してるって程じゃない。


 もう帰ろうかって思ったところに、さっきの店員がやってきましてね。


「トリアエズ生、お待たせっす」と、皿を出してきます。


 なんで皿なんだよ。

 生はジョッキだろうよ。せめてグラスでしょ。


 乗ってるのもビールじゃなくて、どうみても。それは肝心のビールがあって価値が出るもの。


「あのさ、俺が頼んだのは――」

「これっす」


 店員が指さした先。

 壁に貼られたポスターにはオススメ料理がデカデカと映ってました。


 そこには書かれていたのは『鳥和とりあ』の文字。


「鳥和え酢の生っすよね」

「…………鳥肉の生はダメだろ」


 ほら。カンピロバクターとか、サルモネラとか。

 店員は「ほら見たことか」って表情でこう言ったんです。


「自分はトリアエズユデ派っす」




     【了】

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【掌編】トリアエズナマ【1,000字以内】 石矢天 @Ten_Ishiya

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