森の奥

野村絽麻子

ボクと黒猫とソーダ水

 天の川を渡る白鳥レダに輝く尻尾デネブが北の空に浮かぶ夜。窓から望遠鏡を覗き込んでいたボクと黒猫オペラは、大きな大きな流れ星を目撃した。


 *


 それは火球に分類される鮮明さで、北の空から大気圏ドームを掠め、派手な火花シャワーをあげながら、街の西側にある暗い森の中へと消えていった。

 ボクと黒猫は翌朝さっそく探検に出かけた訳だけれど、普段はあまり来ない森の小道では、どうやら迷子になってしまったらしい。

「昨日の流れ星なんだけどね」

 靴底で踏んだ木の枝が、パキリ、と乾いた音を立てるのを聴きながら話しかける。すぐ隣を音もなく歩く黒猫が、ニャアと返事をした。

「あれって、夜渡りの白鳥にしては、ちょっとしていたよね」

 白鳥座の流星群にはまだ少しばかり時期も早く、元よりあまり活発な流星群ではなくて、規模も小さいはずなのに。あんなに大きな火球が飛ぶだなんて。不思議なこともあるものだ。

 小道を覆うように枝を伸ばす木々が昼間の陽射しを遮っている。ちらちらと溢れてくる木漏れ日は眩しく、風はどこか瑞々しい。ボクは両腕を伸ばしながら深呼吸をした。葉っぱが織りなすレース模様の影がボクの手のひらに落ちて、欠伸をする黒猫にも、同じ模様を順繰りに描いている。

 ボクは肩掛け鞄から小瓶を取り出すと、中に入っているキャンディ・ドロップをひとつ摘む。黒猫の瞳の色にも似た黄水晶シトリンの粒は、口に放り込むとたちまちしゅわしゅわと弾けて、甘酸っぱい、蜂蜜檸檬ハニー・レモンの味が広がった。


 しばらく歩くと、森がぽっかりと開けた広場に出くわした。地面は石畳で覆われ、椅子とテーブルが行儀良く並んでいる。

 よく見れば焼き窯まで設置されていて、煉瓦で装飾を施された窯は随分と立派だ。どうやらその周りに数人の人が集まり、何事かを話している。

 ボクと黒猫は近寄って話を聞いてみることにした。ちょうど、昨夜の火球がこの辺りに落ちたような気がしていたからだ。

「こんにちは」

 声に応じて振り返ったのは、ボクよりも幾らか歳上くらいの少年たちだった。

「見ない顔だな……うちの生徒じゃなさそうだ」

「君らは迷子かい?」

 言われてみれば、そこにいる少年たちは着こなしこそ違えど皆一様に、同じ服に身を包んでいる。海老茶色の上着は袖口に白いラインが入り、同じ色のスラックス、ジャケットの下には白いシャツ。檸檬色の揃いのボウタイを締めている。

「昨晩この辺りに、流れ星が落ちなかったかしら」

 流れ星、という単語に彼らは顔を見合わせた。

「流れ星だって?」

「アレがそう見えたのかい?」

 わずかに空気が揺らいだように感じる。流れ星でなければ、隕石か、若しくは白鳥座レダの卵。

 考え込んだボクに、彼らはしばし肘を突きあっていたものの、ようやく「アレはね」と口を開いた。

「アレは、トリだよ」

「鳥?」

「そうさ。薄茶で、なんだかふくふくと丸い」

 鳥が大気圏ドームの外から。そんなことってあるのかしら。黒猫を見れば、どこか挑発的な素振りで尻尾を立てて石畳の上をそろそろと歩いている。

「その鳥には、会えるのかしら」

「それなら窯の中さ」

 何と言うこともない無造作な一言だった。どうやら一歩遅くて、ボクたちはその鳥に会いそびれたらしい。

「ここに居合わせたのも何かの縁だ。じき焼き上がるし、食べて行くかい?」

 彼らは、何処からともなく瓶入りのソーダ水を取り出してめいめいに蓋を開け始める。それならとボクはキャンディ・ドロップを振る舞うことにした。

 瓶の中にキャンディ・ドロップを落とすと、細かな泡が弾けてシュワシュワと軽い音が広がっていく。黄金きん色、薄橙色タンジェリン翠空色ペパァミント淡紫色ヘリオトロォプ

 彼らはいたくそれを気に入って、小瓶はすっかり空になり、そのお詫びにと焼き上がった鳥のほかに果実酒を持たせてくれた。


 案内された通りに、森の小道を元来た方向へと歩く。いつの間にか陽は傾きはじめて、ボクらの影は斜めに伸びている。

「ちょうど良かった、明日は叔父さんが一時帰国するからね」

 黒猫はさっきから鼻をすんすんと鳴らしている。彼らの持たせてくれた包みから香ばしい鳥の匂いがしているからだ。

「この鳥を麺麭パンに挟んだら素敵なサンドウィッチになると思うんだけど、どうかな」

「ニャア!」

 黒猫の同意も得られたところで、とりあえず、惣菜屋デリカに寄り道して帰ることにする。


 *


 翌日。帰国した叔父さんに焼いた鳥を挟んだ香草麺麭と果実酒を振る舞いながら、森の奥にあるらしい学校の話をしてみると、叔父さんは不思議そうに首を傾げた。

「おかしいな、森の向こうは崖だろう? 学校なんて建てる敷地があったかどうか」

 その点についてはボクも同じ意見で、あれから街の地図を広げて確認したけれど、森の奥は切り立った崖しかない。学校はおろか、あの広場に該当するような場所も見つけることが出来なかったのだ。

「それにしても、この鶏はずいぶんと脂がのっている。香草との相性が最高だ」

「良かった」

 叔父さんがお土産にくれたキャンディ・ドロップを指で弾きながら、ボクはまたいつか彼らに会えるだろうかと考える。揃いの檸檬色をしたボウタイは素敵だったし、ソーダ水のお茶会も何だか楽しいものだった。

 それから、のそりと膝に座り込んできた黒猫の体温と、叔父さんの柔らかな口調が心地良くて、とろんとした眠気に包まれてしまう。

 だから、叔父さんの呟いた言葉は聞き逃してしまったのだ。


「或いは……人の子供の学校以外なら、あるのかも知れないね」

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