トリあえずの回想
猿川西瓜
お題「トリあえず」
KACの企画で、私は3年連続皆勤賞を目指している。
一番辛かったのは2年目だ。つまり、去年。
職場からのイジメがわりと本格化し始めたときだ。
上司からショックなことを言われ、おそらく退職を決意というか、もう辞めるしかないなとなって、落ち込んでいた時、そんな状態でもKAC企画で死ぬ気で文章を書いていた。
何が起ころうが、KACの更新は続いた。去年の最後の一編などは、ほとんど感想みたいな文章を書いた。
「とりあえず、書くしかない……トリあえずね……トリをぶん殴るか……」
カクヨムのトリは、相変わらず意味不明の難題を出し続ける。
今年は日にちの「間」が余裕があって、とても更新しやすい。スケジュールが楽だ。それだけで、かなりの仲間達の脱落がなくなった。日にちに余裕をもたせたのだけは、偉そうかもしれないが運営を褒めたいと思う。
3年連続皆勤賞なら、一度で良いからトリに会いたい。お前が欲しい。そのトリ人形をいただき、我々のサークルのブースに飾ってやりたい。
トリに会いたいんだ俺は。ってか、今年何が貰えるの? 未だに分からないで書いている。
KACは自分にとって、強制的に書かせる「何か」だった。「文学フリマ」もそう。文章を書くきっかけなのだ。人間は〆切があるから書くのである。〆切が書くのであって、人間が主体的に〆切を決めてそれに向けて書くのではない。まずどこからかやってきた〆切があり、それに向けて人間が作品を書くのだ。
KACは短編を多く書くきっかけだ。このイベントがなければ、僕はこの3年間、短編なんか一つも書かなかったし、小説を書く感覚も失っていただろう。本当に感謝している。
その代わり、KACにおいて長編イベントがないから、長編を書いていない。なんで長編KACがないんや! いや、賞があるやないか、その〆切に向かって書けやと言われればそれまでだが……ってかなんで他の賞とかには一生懸命にならずにKACだけ、命がけで続けているのだろう。本当に謎だ。
KACみたいに、この日までに長編の第一章まで書こう。この日までに第二章といった風に、長編KACもあって良いと思う。というかやって欲しい。
やるなら、長編を書きます。書いてみせます。賞品はとりあえず、トリに会いたいので、トリ人形でも用意しておけとしか言いようがない。この文章を読んでいるKADOKAWAの方、このKAC長編のアイデア、提案いただけないでしょうか。この日までに第一章、この日までに第二章、この日までは第三章。全十二章ぐらいにして、それをやれば、カクヨム全体で長編小説の割合も、ぐっと増えて、バラエティ豊かになると思う。
KACチャレンジには共に歩む親友がいる。成井露丸さんだ。芦原瑞祥さんや、千羽稲穂さんがいらっしゃる。一緒に書いている人がいるというのも、励みになる。みんな更新しているのに、自分だけ更新しないという悔しさを乗り越えて、書こうと思うから。しかし、去年のような職場の壮絶ないじめの状況だと、そういった「みんなで励まし合う」という体力すらなくなる。去年は本当にやばかった。KACとの死闘だった。でも、無理矢理書くという状況があるからこそ、短編を作ることができた。そんな無理矢理書いたら良い作品なんてできないんじゃ……と人は思うかもしれないが、無理矢理の環境が作品を生みだすのであって、作品制作に忙しくて無理矢理が生まれるのではない。まず、無理矢理があってこそ人は動くのだ。
だから、ベトナム語教室行ってたときが一番スケジュールがタイトだった。何を思ったか、私はベトナム語の習い事教室に通っていた。先生は独特の方で、日本人。大学教授もやっていると思う。わりと昭和なノリの授業で、まったくついて行けなかった。
内容も、学術的な内容で、日常会話や基礎単語などの講習はなし。ある程度、ベトナム語になれている人でないとダメな講義内容だった。ベトナム人と普段会話できる環境にある人などは良いだろう。私のように、ちょっとベトナムが好きで……という人は行かない方が良かった。
結構、その先生から「ボンボンやな」とか「覚えが悪い」といったような、嫌みっっぽいことを言われる。会社でボロボロになって、さらにベトナム語教室でも何か言われたら、それはもうきついったらきつい。
その教室の後、KACを寝るまでに書かねばならないのだ。結局、ベトナム語らしきものは何も身につかずに終わった。が、諦めきれないので、別のベトナム語教室を狙っている。その前に、英会話ぐらいできろよという話ではあるけれども。
今思うと、人間には「精神的に弱っていると、普通に人にも嫌われる」という現象があるのだろう。精神的に病んでいると、やっぱり人に嫌われたり、どこかへ追いやられたりするのだ。
病むと、言葉使いが適当になったり、仕事のミスが多くなったり、やけくそになったり、忘れるミスが多かったり……おっちょこちょいになるのだ。
そうして、ミスを認めず、人のせいばかりしてしまう。精神が限界だからだ。心に余裕があれば、「俺の責任やわ。次いこ!」と言えるが、精神が弱っていると、「俺のせいじゃない……もう俺も辛いねん」となって、人に「情けないヤツや……」と思われてしまうのだ。
解決法は、正直、そこから解放される以外ないのだ。
KACをもとに、短編集を出したいと思っている。「ベスト集」みたいなのを。トリあえずそれが、いまの小さな目標だろうか。偶然、必死こいて出来た良い作品というのもあるので、それをさらに直したものを本にしたいと思っている。
こんな感じのエッセイくらいしか、この「お題」では書けないわな。トリ君。
トリあえずの回想 猿川西瓜 @cube3d
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