選択肢は意外と多かった
高山小石
お題「トリあえず」
※※注意※※当たり前ですが、人によって宗教観はバラバラだし、地域差もあるし、「自分(の時・土地)とは違う」ってなると思います。私は迷う気持ちを書きたかっただけで、私の考えを押しつけたいわけでも、なにかをディスりたいわけでもありません。ふんわり「まぁそんな土地や考え方もあるよね」くらいでお願いしますm(_ _)m※※冒頭からお目汚し失礼しました※※
※
今まで私が参加したお葬式は数えるほどしかない。
白黒の世界でお坊さんが読経していたり、カラフルな世界で思い出の曲がかかっていたり。
共通していたのは、会場に、様々な関係の年齢バラバラな人たちが集まっていたことだ。
最近の流行りは家族葬だという。
親戚やら友達やら同僚やらが会場に集まる形式しか知らなかった私は、家族葬と言われただけではピンとこなくて、説明を聞きに行った。
家族葬とは文字通り故人の死を知っている身内のみ(この場合の身内は血のつながりはなくても近しい間柄も含まれる)でする式のようで、会場も従来通りの会館もあるけど、広めの一軒家みたいなのが、良く見れば街のあちこちに建っていた。
なんとなくお葬式には読経が必要だと思っていたら、それは仏教系らしい。
故人の宗派系列のお寺さんにお願いするもので、ツテがないなら式場が探してくれるという。
さて。
うちの場合、宗派は決まっており、博識で歴史にも明るかった故人は、どの宗派の開祖は誰でどのお寺が総本山だというのにも詳しかったのだが、懇意にしているお寺さんはなかった。
故人の地元にはあり、地元で眠る祖父祖母の供養には来てもらっていたけれども、こちらで供養する際は、当時こちらで御縁のあったお寺さんに頼んでいた。
それもけっこう前の話で、今はそのお寺さんとのつきあいが切れている。
式場の人は言う。
「本来なら、代々付き合いのあるお寺さんに来ていただくのですが、遠くて呼べない場合、そちらに一言お断りしたうえで、同じ系列の近くのお寺さんに頼みます」
そうしないと、あとあと揉めるという。わかる。
そもそもどうしてお寺さんの話になったかといったら、お葬式や初七日、四十九日といった儀式と、戒名をつけていただく場合に必要だからだ。
つまり、仏教系のお葬式をするならば緊急に決めなくてはならない。
故人は終活に精力的だった。
物は自分で整理して捨てていたし、取引先銀行も最少限に減らしていた。スマホやPC内のメールや写真も選別していた。
次はお墓をどこにするかという段階で、背骨を痛めて外を立ち歩くのが難しくなってしまった。墓地の下見に行こうとしていた矢先だった。
筋として地元のお墓に入るべきなのだろうし、故人も元々はそうするつもりだったが、足を弱めてからは、この近所で眠りたいと希望するようになっていった。
おそらく、この地に来てからの方が長くなったし、残された私達が地元に参るには、体力的にも金銭的にも大変だろうからと考慮してくれたのだろう。
(家族葬自体、遠く離れている親戚にご足労いただかないようにとの配慮からだった)
それで歩いて行ける範囲に良いお墓がないか探そうとしていた。叶わなかったが。
式場の人は言う。
「お墓は〇〇〇がいいですよ。永年供養ですし、一日三回は読経が聞こえてきます」
すごく推されたが、最初どうしてかわからなかった。
歩いては行けない距離だが車で行ける範囲だ。お盆やお彼岸には毎年行けるからオススメなのだろうか。
などと、生きてる人間目線で考えてしまって申し訳ないが、こちらとしても切実なのだ。
代々伝わるお墓が目に見えてさらに三代以上続きそうならここまで悩まない。例外がなければ私のきょうだいの代で終わるのがわかっているのだ。墓じまいをしなくてはならない。
骨を然るべき場所に移動して、お墓だった場所を更地に戻すのは無料じゃできない。
もし近所に新しく故人の墓を作ったとしたら、私や私の子たちは故人に思い入れがあるから、足繁く参るだろう。
でも、私とパートナーも同じお墓に入れてもらったとしても、そこまでしか続かないんじゃないかと思ってしまう。
私の子どもは来てくれそうだが、子どもの子ども(孫)は来るだろうか。
私の子どもにしても、この地を離れてしまえば来にくいだろう。
なるほど。式場の人が〇〇〇を勧めていた意味がやっとわかった。
お墓の行く末を心配しなくていいからだ。そういう意味で最適解なのかと合点がいった。
で。
故人のお墓をどうするかである。
最初は希望通りに近所にお墓を作ろうと思っていたのに、今の私は、とりあえずでお墓を作るのは子孫に丸投げすることのように思えてきて、ためらいがでてきた。
(それでいて名のある有名な家は途絶えても末永くお墓を守ってほしいとも思う矛盾)
自分は形骸的な墓などいらない。散骨でいいと思っていたが、散骨も調べたら色々あったので、具体的な希望と費用を用意しておかねば悩ませてしまいそうだ。
少し前の自分は、骨からダイヤにしてもらいたかった。
宝石箱がお墓で、アクセサリーに加工してもらえたら、たまに外にも連れ出してもらえるし良いのでは、と思っていたのだ。代々のダイヤが並ぶのを想像すると楽しいし、話もできそうだし。
加工費用一覧を見て諦めたのだけど、お墓の具体的な費用を知った今では、案外アリかもしれない。
希望の加工会社を決めて、お気に入りの宝石箱を探して、貯金を始めるのも悪くない。
こんなふうに私自身のことでもまだまだ迷ってしまうので、故人についても納得できるまで家族とゆっくり考えようと思う。
ある故人は何年も骨のまま家にあるという。それもアリなのか。
あぁ選択肢が多くてありがたいけど迷ってしまう。
もうしばらく小さな白い箱のままで待っていてね。
選択肢は意外と多かった 高山小石 @takayama_koishi
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