【KAC20245】ハナ、サ ナイデ/花、サ ナイデ/鼻、サ ナイデ
ほづみエイサク
ハナ、サ ナイデ/花、サ ナイデ/鼻、サ ナイデ
「ハナサナイデ少女って知ってる?」
社員食堂にて。
かきあげそばをすすっている青年は、テーブル向かいの女性に訊ねられた。
青年はいかにも運動部上がりの営業マンといった、長身のサラリーマンだ。
女性は青年よりは年上のようで、落ち着いた雰囲気がある。昼ご飯はコーヒーだけで済ませているようだ。
距離感からからして、二人が恋仲なのが見て取れる。
「なんだそれ?」
青年は話に興味がないようで、ビチャビチャになったかきあげを頬張った。
対照的に、少し楽しそうな口調で、女性は話を続ける。
「最近うわさになっている怪談なんだけど、これが中々面白くてね」
「ふーん」
「ある廃墟で、夜な夜な『ハナサナイデ』と少女の声が聞こえるらしいんだ」
青年の眉がピクリと反応した。
「少女の声?」
女性は意外そうに眉を上げながら答える。
「そう。少女の声。
ほら、ここの近くに心霊スポットとして有名な廃墟があるでしょ?」
「ああ、あの団地な」
青年が北東の方角を指さすと、女性は神妙な顔で首肯した。
「そうそう。もう住人はいないはずなのに、夜な夜な聞こえてくるらしいの。
『ハナサナイデ、ハナサナイデ』って。しかもカーテンも閉まっている一室から聞こえてくるらしくて、その部屋を覗くと大変なことになるらしい」
「大変なこと?」
「そこまでは知らないよ。まあ、詳細が伝わっていないってことは、最悪の展開でしょうね」
青年は考え込むように視線を上にあげながら、そば汁を飲もうとした。
だけど「こら、汁まで飲み干さないの。塩分過多!」とたしなめられて、どんぶりを置いた。
「『ハナサナイデ』か……」
「なにか気になるの?」
女性に訊かれて、青年は素直に返す。
「それって『離さないで』なのか?」
「どういう意味?」
「同じ読みの動詞が、いくつか考えられるだろ。
喋らないで、という意味の『話さないで』のパターンもある」
「可能性はあるね」
女性は楽しそうに頷いた。
「あとは『放さないで』もあるな」
「それは可能性が低そうだね。使う場面が限られているから」
女性は明らかに上機嫌だ。
まるで『ミステリー小説の推理』を楽しんでいるように見えて、青年はムカムカした表情を浮かべる。
その様子に気付いていないのか、女性は推理を膨らませていく。
「でも、相手は子供らしいし、実は『別の言葉』の可能性もあるね」
「発音を間違っていたり、舌足らずで途中の音が飛んで聞こえている、と」
「そうそう。どこで何の音が抜けているかまでは予想はつかないけどね」
「じゃあ、どこで」
女性は「お手上げ」と言わんばかりに首を横に振る。
「そこまではわからないよ」
「……そうか」
コップの水を飲みほしてから、青年は再び口を開く。
「なあ、それって夜の。ここからそこまで遠くないよな。帰りに寄れるぐらいには」
その言葉を聞いて、女性は目を丸くした。
「見に行くつもり?」
「まあな」
「珍しいね。キミが怪談に対して、こんなに興味を持つなんて」
青年は『自分のことながら呆れる』と言わんばかりの表情を向けた。
同時に肩をすくめながら、口を開く。
「ほら、俺の親は
「あー、なるほどね」
『アレ』というのはDVとか毒親、という意味だ。
青年にとっては『子供のSOS』を連想してまい、他人事に思えなかったのだろう。
「一応言っておくけど、これはあくまで怪談だからね」
「それでも、最初のきっかけがあるだろ。例えば児童虐待の声が聞こえて、それを幽霊と勘違いした、とかな」
青年の自信満々な表情を前に、女性は心配げに眉を下げた。
「ねえ、無茶はしないでよ」
「任せとけ。生き延びることについては誰にも負けねえよ」
力強く笑うと、青年はお盆と食器を返しに行くのだった。
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「ここか」
青年がスマホの地図から顔を上げると、林立するアパートが目に入った。
ここは廃墟になった団地だ。
景気のいい時代に自治体や国によって作られて、多くの若者が居住した。
だけど、入居してくる年齢層はほとんど同じだった。
そうなると必然的に廃れてしまう。
一気に入って、一気に離れるからだ。
そして、不要になった時には解体する余裕もなくなり、放置され続けている。
ここはそんな、無計画の塊みたいな場所だ。
「さて、歩いて探すか」
すでに周囲は暗く、スマホのライトで足元を照らした。
不気味なまでに静かなアパートの間を歩き続けていると、団地のちょうど中心あたりで――
『ハナ、サ サイデ』
声が聞こえた。
女性が言っていた通り、少女の声だ。
とても悲痛な声音で、聞いているだけで胸が締め付けられる。
(今、助けるからな)
青年は無意識に息を潜ませながら、声の出所を探る。
『ハナ、サ サイデ』
カーテンが閉められた一階の角部屋。
そこから声が聞こえていた。
(いくぞ)
慎重にドアを開けると、部屋の様子よりも先にタバコの臭いが気になった。
まだ玄関だというのに、かなりの悪臭だ。
最近吸われたわけではない。
部屋の壁紙や天井に染み込んでしまっている。
(かなり独特なタバコを吸ってたな)
クローブとハーブ独特の臭いも混じっており、どこか中東系や東南アジアを彷彿とさせる。
この部屋の元住人はかなりのヘビースモーカーだったのだろう。
『ハナ、サ ナイデ』
また少女の声が聞こえた。
急かされているような気持ちになって、青年は顔を引き締めなおした。
(リビングからか)
ゴミだらけの玄関を抜けて、リビングへと続く扉を開ける。
すると――
部屋いっぱいに、プランターが並んでいた。
かなりの時間放置されていたのか、植物はすべて枯れてしまっている。
(なんだ、これ……)
顔をしかめながらも、部屋中に視線を滑らせていく。
(見つけた)
部屋の隅に少女が座っていた。
(小さい……)
背格好からして8歳ぐらいだろうか。
確実に小学校高学年ではない。
「ハナ、サ ナイデ」
近づいてようやく、ハッキリと聞こえた。
『サ』と『ナイデ』の間に掠れた音が挟まっている。
よくよく耳を澄ませると、何の音が挟まっているのかが聞き取れる。
「ハナ、サ カ ナイデ」
『カ』だ。
『サ』と『ナイデ』の間に『カ』が小さく入っている。
(この大量のプランターと関係があるのか?)
そう仮定すると『ハナ、サカナイデ』は『花、咲かないで』と想像できる。
だけど「今少女を助けるのには関係ないことだ」と青年は思考を切り替える。
「おい、大丈夫か?」
青年が少女の肩に触れると、少女が振り向いた。
「ひっ!」
青年の顔が一気に青くなり、後ずさってしまう。
それほどまでに、少女の顔は異常だった。
(なんなんだよ、こいつ……!)
鼻が、真っ二つに裂けていたのだ。
まるでホットドックのパンみたいに、パックリと。
『ハナ、サカナイデ』
少女は無表情に言った。
『話さないで』や『話さないで』や『花、咲かないで』
――ではない。
『鼻、裂かないで』
――だ。
(ヤバイ!)
青年は一歩だけ退いた。
脳内では大音量で警報が鳴り響き、額にはじっとりした汗がにじみ出ている。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイ!)
だけど、次の一歩が進められない。
(ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!)
自分の鼻に違和感を覚えた。
特別、何かが起きているのではない。
鼻血が出る前の兆候のようなものを感じていた。
鉄臭さと同時に、何かがせりあがってくる。
そんな、ありふれた感覚。
めり めりりりりりりりりりりりりりりリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ
だけど、突然変化が起きた。
青年の鼻が裂けていく。
鼻先からゆっくりと、まるで食パンをちぎるみたいに。
誰にも触れられていないのに。
不思議と血は出ていない。
青年の顔にも苦痛で歪んではいない。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
鼻の奥底から芽が生えてきた。
最初は青々しい新芽だった。
だけど、成長していき、色も変化していく。
古いカサブタみたいに赤黒い色へ。
さらに成長していき、青年の顔よりも大きな葉を生やす。
そして、つぼみが生まれた。
『ハナ、サカナイデ』
つぼみが開くと、花びらの中央――おしべとめしべがあるはずの場所に、赤ちゃんの顔が生えていた。
鼻は裂けていなくて、サルのようにシワシワの顔をしている。
だけど、少女の面影がある。
おぎゃああああああああああああああああああああアアア
おぎゃああああああああああアアアアアアアアアアアアア
おぎゃあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
突然、産声を上げた。
まるで初めて生を受けたみたいに。
その声を聞いた瞬間、青年の意識が混濁としていく。
まるで母親の子宮に回帰するような、穏やかな
「ああ、ごめんなさい」
青年の口から、無意識に声が発せられていた。
意識が沈んでいくほどに、胸の中が『胸が締め付けられるような後悔』に染まっていく。
助けられなくてごめんなさい……
約束を守れなくてごめなんさない……
俺はアホだった。
それなのに、心配してくれてありがとう。
愛してくれてありがとう。
ごめんなさい。
だから――
そんなに殴らないで。
次はもっとうまくやるから。
ボクがバカなのは悪いんだ。
ドンクサイのが悪いんだ。
水を上げるのを忘れないから。
つぎはもっとガンバルから。
だから、そんなに怒らないで。
だから、そんな目をしないで。
だから、どこかに行かないで。
だから、一人にしないで。
だから…………………………………
ボクのことを突き
ママのことを手
施設のことなんて
ごめんなさい。ごめんなさい……
もう泣かないから。
もう死なないから。
もう腐らないから。
もう骨にならないから。
もうタバコ臭いナんて言わなイかラ。
ごめんなさい だから モウ
ごめんなさい ダカラ モウ
ゴメンナサイ ダカラ モウ
ハナ サ ナイデ―――――――――
【KAC20245】ハナ、サ ナイデ/花、サ ナイデ/鼻、サ ナイデ ほづみエイサク @urusod
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