テセウスの船

 落ちていく。堕ちていく。

 血の池の底へ沈んでいく。

 重さに任せて、底へ底へと。


 にわかに意識が浮上して、目が覚めると白い部屋のベッドの上だった。体中に繋がれたコードと機器、そして部屋の外からガラス窓越しに数名の博士達がこちらを覗いているのが見えた。


 現実も地獄と大して変わらない。地獄よりはずっと清潔だけれども。


「目が覚めたようだね。気分はどうだい。自分の名前は言えるかな」


 枕元に立つ山田博士が問いかける。俺はそれに口だけ動かして答える。体を起こそうとすると猛烈な目眩と耳鳴りに襲われて駄目だった。


「無理しなくていい。バイタルは正常の範囲内とはいえ、かなり負荷をかけたから」


 山田博士は直属の上司にして恩人だ。かつて中学卒業後に行き場のなかった俺は、山田博士のおかげで衣食住を確保できた。

 もちろん中卒にまともな研究機関の就職先なんかあるわけなくて、博士が探していたのは助手という名の実験体だったわけだけど。


『それにしても彼は適合率が極めて高いね、脳へのダメージがほとんどないと言っていい』


 スピーカーから声が聞こえる。部屋の外の博士達が喋っているのだろう。


『例の治験も上々の結果だったそうだ』

『しかし、彼だけ無事でも意味ないだろう。我々の方針としては万人に適用できなければ意味がないぞ』

『我々の後継者候補にはなってくれるさ』


 もう何も話さないでいてくれないかな。その雑談は今じゃなくてもいいだろうに。


『少なくとも箱については、候補者がそもそも見つからなくて困ってたから助かったよ』

『やはり思春期で成長を止めてしまったのが良かったのかなぁ』


 だから人体実験の話なんかを楽しげに話すなと言いたい。残念ながら今日はもう声がまともに出なくて抗議もできないが。


 とはいえ、仕方のないことではある。

 終末を回避するなどという大義名分を掲げていても、彼らの本性は知識欲の怪物だ。むしろ大義を持っただけその衝動は暴走傾向にあると言ってもいい。

 これまで出してきた被害を考えたらここの人々は、良くて修羅道、悪くて餓鬼道、もっと悪けりゃ地獄行きの大罪人だ。全員もれなく人の道は踏み外している。

 それはそれとしてこれまで大勢の為に頑張ってきた人達が報われないのは嫌だ。科学の発展が否定されるのも嫌だ。

 俺も同じ穴の狢だが、たぶん俺はもう死ねないだろう。比喩でなく。

 だからこそ、もう何があっても生き残った人間の味方をすると決めている。この世界を決めるのは、今を生きてる人間なんだ。


 船の部品がそっくり入れ替わったって人類はここに有りと証明し続けてやる。俺は確かに罪人だけど、怪物退治の英雄でもないんだから。


(了)

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糸を離した罪人は 葛瀬 秋奈 @4696cat

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