03. パックを買う藍染先生

 1パック四百円で、5パックだとちょうど二千円。これに《Gakidō》を加えると、三千円。紙袋のなかに入れてセロテープでめる。


「ありがとう。じゃっ、また明日ね!」

 にこやかに手を振ってくれる藍染あいぞめ先生。タイヤが残雪を踏んでいく音が聞こえる。


 それにしても、ぼくは『グローリア』について、あまりにも知っていることが少なすぎる。ショーケースにカードを並べているだけではなく、パックまで取り扱いはじめた「メゾン」で働いているのだから、もっと知識を蓄えてもいいはずだ。


 藍染先生が常連さんになってから――そして、先生のお子さんも『グローリア』に興味を持ちはじめたらしい――ようやく「同志」を見つけたマサさんは、張り切ってカードの販売に力を入れはじめた。


 マサさんの娘さんで、ぼくとは別の大学の大学院に通う美月みづきも、このカードゲームに詳しくないし、それに、最近は研究発表会の準備で忙しく、店に出ることができない。


 ぼくと美月のほかに、アルバイトは一人もいない。それでも、お客さんの出入りが激しいわけではないから、店が回らないということはない。


 トレンドの商品を入荷することはなく、並んでいる玩具おもちゃからは古めかしさが立ち上がっている。それが「メゾン」の大きな特徴で、市街地の玩具屋さんと、良い意味で(?)差別化されている。


 しかしそのなかで、「最新の商品」として『グローリア』の新シリーズが売られている。ルールが簡単ではなく、この周辺では、プレイヤーの人口が数えるほどしかいない(と、マサさんは言っていた)ので、まさかこの玩具屋おもちゃやさんに『グローリア』のカードが売られているとは、だれも思わないだろう。宣伝をしているわけでもないし。


 だがこれには、マサさんの「想い」が込められている。あくまでこの地域に密着した玩具屋さんでありたい。そして、偶然『グローリア』に出会ってくれる人たちが現れるのを待ちたい。「カードゲーマーが来る場所」ではなく、「カードゲーマーになる入口」でありたい。そういう想いだ。


 そうしたマサさんの想いを支えるためにも、ぼくもこのカードゲームに少しは詳しくなる必要があるだろう。帰ったら、対戦や解説をしている動画を見てみようか。これも、仕事のひとつだと思って。


 このあと、お客さんはひとりも来なかった。「補完用」というシールが貼られている引き出しから、強そうなカードを直感で取りだし、《Gakidō》のあったところに並べた。


 ちなみに、「メゾン」ではカードの買い取りを行なっていない。ここにあるカードはすべて、〈グローリアスト〉を引退してしまったマサさんが、いままで集めたものだ。「メゾン」はあくまで、カードショップではなく「玩具屋さん」なのだから。


 藍染先生はいまごろ、論文を書いているのだろうか。新進気鋭の哲学者として、国内外で引っ張りだこになっていると、ぼくの研究を指導してくれている胡桃ことう先生は言っていた。


 それでも、琥珀紋学院こはくもんがくいん大学という、他大学から「Fラン」とそしられる学び舎から出る気はないと、ぼくに話してくれたことがある。


「うちの文学部って、自由に研究をさせてくれるのよね。自由っていうのは、勝手になんでもさせてくれるということではなくて、いままでにないような研究に挑戦させてくれるってこと。文学部に、国際法をやっている神凪かんなぎ先生とか、紛争後の和解をテーマにしている胡桃先生がいるのって、ほんとうに珍しいことだから」


 ぼくの家族も名も知れぬ大学だと眉をひそめたし、他大学の院生に目の前でバカにされることもあった。


 だけれど、琥珀紋学院に来てほんとうに良かったと思っている。藍染先生はもちろん、たくさんの魅力的な先生たちがいて、ぼくの研究に真剣に向き合って指導してくれているから。


 来年の一月の上旬までに、修士論文を書かなくてはいけない。もうすでに、少しずつ執筆を進めていなければならない時期だ。いまも、六百ページ以上もある研究書を、根気強く読み解いている。


 だけど、楽しい。そんな気持ちが芽生えるのも、琥珀紋学院で学んでいるからだ。

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