02. プライベートでの藍染先生

「鍵を持ってくるので、少々お待ちくださいね」


 後ろの棚の引き出しから鍵を取り、ブロックやゲームのカセット――とはもう言わないのだろうか――の置いてあるエリアを抜けると、ぬいぐるみや人形たちが迎えてくれる。斜めになっているプラモデルの箱を手早く直して、店の一番奥のショーケースの鍵を開ける。


「この《Gakidō》のフォイルがほしいのだけれど……ほんとうに千円で大丈夫なの? いつも言っている気がするけど、一桁間違えてないわよね?」

「オーナーの息子さんが値段をつけているので、ぼくには分からないですけど、大丈夫だと思います」


 このショーケースには、日本語のものだけではなく、英語で書かれているカードも並んでいる。オーナーの息子さん――マサさんが言うには、英語版の方が高いとのことだ。氷柱つららのような鋭い岩があちこちに散らばっている、洞窟みたいな場所が描かれた、このカードのテキストも、英語で記されている。


「ところで、今日の授業は本当にありがとね。とても助かったわ。八須賀はちすかさんには、今日は鱗雲うろこぐもくんがアシスタントをしてくれたことを報告しておいたから」

「ほんとうに助かります」

「八須賀さんと、購買で偶然お会いしたのよ。そのときに伝えておいたの」


 琥珀紋学院こはくもんがくいん大学の大学院には、ぼくを含めてふたりしか院生が在籍しておらず、それゆえに担当者はひとりしかいない。昼に事務室に行っても、八須賀さんがいなかったので、明日そのことを伝えようと思っていた。


 普段から客足の少ない、市街地から遠い海沿いの道にある「メゾン」でバイトを始めたのは、半年前のこと。


 個人経営の「町の玩具屋おもちゃやさん」であるこの店は、マサさんの個人的な意向から、『グローリア』というカードゲームを扱っている。しかしカードの価値は、元〈グローリアスト〉――『グローリア』のプレイヤーのことをこう言うらしい――のマサさんにしか分からない。


 そして、この店で『グローリア』のカードを買うのは、フランス現代思想の研究者であり、西洋哲学に関連する授業を受け持っている藍染あいぞめ先生だけだ。


「この《Gakidō》というカードは強いんですか?」


 何気なくいてしまったのが、間違いだった。先生は講義のときとは違う、弾んだ声で、早口で説明をしてきた。「よくぞ訊いてくれました!」という感じだ。〈グローリアスト〉が身近にいない分、存分に語ることのできるトスが上がってきたのが、嬉しいのかもしれない。


「能力自体は渋くてね、両刃の剣という感じで、なんでこんなカードが収録されているのか、〈グローリアスト〉の間で議論になっているの。ちなみにこれは、〈ニュー・フォーマット〉という二年以内に発売されたシリーズのカードしか使えないフォーマットのカードでね――」


 目をきらきらと輝かせて、滔々とうとうと語ってくる先生。


「でもね、でもね、論文の作業の休憩中にあれこれ考えているうちに、必殺コンボを思いついたの。《Accident Judge》というカードがあるんだけどね、それの能力がね――」


 論文の作業……こうしていて、大丈夫なのだろうか。提出期限とかあるだろうし。たとえば、査読後のMinor Revision(軽微な修正が必要)の状態ならば、一刻もはやく修正しなければならないと思うのだけれど……などというのは、不必要な心配だろう。藍染先生は、研究に対してルーズなことをするような研究者ではない。


「だけど困ったことに、《Accident Judge》をまだ手に入れられていなくて……新しいシリーズのカードで、流行のデッキに使われているものだから、この前の出張でショップに寄ってみてもなくて、パック自体も売り切れで――って、鱗雲くん! そこにあるのって!」


 先生の震える指の先には、マサさんがこの町に〈グローリアスト〉を増やす目的で仕入れた、『グローリア』の新シリーズのボックスがある。購入希望者のひとがいたら、開封してパックを取り出してほしいと言われていたのだけれど、こんなにすぐに、カッターで封を切ることになるとは思わなかった。

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