今度は放さないで

秋色

はなさないで

「何処かを探しているの?」


 真夏の舗道。

突然、女性から声をかけられて穂乃果は振り返った。 


 そこにいたのは、緩くウェーブのかかった栗毛色の髪の綺麗な女の人。厚いファンデーションであまり若くない事が分かる。栗毛色の髪にほんの少し見える荒れた感じからも。


「さっきからこの辺りを行ったり来たりしているから……」


「お店を探してるんです。占いとおまじないのお店を。スノームーンっていうんです」


「それなら私の働いているお店だわ」


「そうなんですか? じゃあ占い師の先生なんですか?」


「まぁ……ね。ギターの弾き語りが本業で、占いもやっているの。あなた、占ってもらいたいの? それともおまじない?」


「両方です! 占いのお店を検索していた時に偶然見つけて、バイト休みに絶対来ようって決めてたんです」


「そう。でも残念ね。スノームーンは昼間はやってないし、不定期なお店なの」


「え……。いつ、どこへ行けばいいんですか?」


「残念ながら、あなたには無理みたい。スノームーンはね、路地にあるバーの奥でやっているのよ。バーの営業時間内にね」


 そう言って、向こうに見える「BARル・ブラン」と書かれた看板を指した。「お酒を飲める年齢じゃないよね。未成年は入店を断られるわ」


 穂乃果は今にも泣き出しそうな顔になった。


「そんなに行きたかったの? 何か、願い事があるのかしら」


「あります。だからここまで探して来たんです。それにスノームーンでは、ミサンガの作り方も教えますってサイトに書いてたでしょ? 画像にあった、ビーズを散りばめたミサンガの作り方を教えてほしくて」


「まあ。確かに書いてあるけど、バーで営業している時にミサンガの作り方を聞いてきたお客さんはいないわね」

 女の人は、面白そうに笑っていた。


「でもそれならここのパーラーに入らないこと?」


 二人の眼の前には、一軒のフルーツパーラーがある。絵の具をひっくり返したようなカラフルなウィンドウの中のパフェやケーキに穂乃果の眼はくぎ付けになった。


「何だったらミサンガなんかよりもっと幸運を呼び寄せる物を紹介するわ」と小声で言った。でも華やかなフルーツパーラーの室内に気持ちを奪われている穂乃果には、その声は聞こえていなかった。



 少女と向かい合ってテーブル席についた女性は穂乃果の顔をあらためて見て、思案にくれた表情をした。穂乃果はそれを見逃さずに言う。 


「ウチの顔に何かついてますか? そんなにブサイクかなぁ?」


「いえ、そんな事ないわ。ただ知り合いの誰かに似ている気がして。でもその誰かを思い出せないの。あ、そうそう」


 女の人は思い出したように、少女の前に一枚の名刺を差し出した。


 そこには、『シンガー&パワーストーン占い エリー』と書かれてあった。


「エリー先生って言うんですね。私は山下穂乃果といいます」


「穂乃果さんって言うの? 可愛い名前ね」


「可愛いのは名前だけ。最近、夏の暑さに負けまいとよく食べてたら、こんなに太りました。夏ヤセに期待してたのに」


 エリーは少し笑った。


「あら……そんな事ないわよ。可愛いわ。そんなに太ったの?」


 そう言う口ぶりには実感がこもっていない。この人は生まれてこの方、太る心配のない体質だと穂乃果は思った。


「先生はいいけど、ウチはここでパフェなんて食べたらもっと太るね。ダイエット中なのに」


「気にし過ぎよ」


「そうかな。じゃ、バナナチョコレートパフェにしよっと」


「じゃあ私はマスクメロンのパフェにしようかな」


「体型を気にするなんて、好きな人がいるの? 占いやおまじないに興味があるみたいだし。告白する予定があるとか?」


「好きな人はいるんだけど、自信なくって」


「少々太ろうがやせようが、そんなの恋愛には関係ないわよ」エリーは言った。


 穂乃果は頬をふくらませて抗議の表情をした。

「エリー先生はやせてるからそう言えるのよ」


「違うわ、本当にそうなのよ」


 ――少々太ろうがやせようがそんなの関係ない。本当に恋愛でつまずくのって――


「恋愛に関係するのはね、運命なのよ」


「え! やっぱりそうなの? 何でも運命が関係するんだ。それで、ミサンガで運命を変えられるんですか?」


「ミサンガだけじゃ無理ね。大体、ミサンガは意外と作るの難しいから、初心者にはハードルが高いかもよ」


 そう言ってエリーはバッグの中から天然石で作られたブレスレットをいくつか取り出した。


「運命を導くためのブレスレットというのがあるの。そうね、好きな人を振り向かせて愛情を手に入れたいなら、このローズクォーツが一般的ね。ピンクが似合いそうだし。どう? 綺麗でしょ?」

 淡い桃色の玉が連なったブレスレットをエリーは見せた。その次に少し濃い珊瑚色にきらめくブレスレットを取り出した。「このインカローズも素敵でしょ? これも恋愛に効果てきめんなの」


「色が濃い方が可愛いな」


「でしょ? それならこっちはどう?」


 今度は少しまだらな濃いピンク色の玉のブレスレットを取り出す。

「ストロベリークォーツ。あなたはせっかく可愛いのに、自信に欠けているようだから、これを身に付けると、自信が持てるようになるわ」


「自信で何か変わるのかな? 好きな人は、元同級生なんだけど、同じ秀才タイプの真面目な子と仲良くて、たぶんその子の事が好きみたい。やっぱ頭の良い人は頭の良い人が好きなのかな」


「そうとは限らないと思うけど」


 エリーの中で一つの場面が、まるで昔の映画のように流れていく。古くて忘れかけていた場面。

 小雨の放課後。同級生の男の子が校門の所で待っている。



 ――若葉君――


 ――傘、させばいいのに――


 ――新しい傘の色が派手だから恥ずかしいの――


 ――え? 確かに、枝梨やんがピンクなんて珍しいかも。でもいいよ。学校一の才女のイメージを覆して――


 ――そんなに私って固いイメージかな? とっつきにくいヤツって思われてるんだろな――


 ――ホントは違うって枝梨やんファンだけが知ってればいい事実――


 ――そっかな――


 ふうっと照れ隠しに息を吐いた。それは遠い昔の話。



「先生、どうしたんですか?」穂乃果が尋ねる。


「いえ、なんでも。勉強に苦手意識があるのなら、集中力を上げるパワーストーンというのもあるわ。このソーダライトは学習意欲を高めるのよ」

 そう言ってブルーの石を取り出した。


「そんな石もあるんですね」


「そうよ。それに加えて手作りのミサンガをいつも身に付けていいたら最強なんだけど、そっちはゆくゆく習得すればいいわ」


 エリーは立派な表紙のついたパンフレットを取り出して、ページをめくりながら話す。

 同じページを覗き込んでいた穂乃果が言う。

「え? 一本でそんなに高いんですか? それなら無理です。ウチ、今年、高校卒業したばかりなんだけど、理由わけあって進学せずにバイト生活してるんです。来年は調理の専門学校を受けたいから、その準備もしてるけど。パパやママに言ったら、そんな事にお金使うなんてと叱られちゃいそうだし」


「パパママには、正直に言わずに、参考書を買うとか、適当に言ったらいいんじゃない?」

 エリーが無責任に言う。こんなのが才女の成れの果てだと知ったら、昔のクラスメート達はがっかりするだろうと思いながら。



「さっきの片思いの彼の話、過去の事だったのね」


「はい。でも彼は地元の大学に通っているから、今も同じ町に住んではいるんです。だから夏祭りに誘いたくて、でも勇気がなくて」


 夏祭り。また、一つの映像が心の中を流れた。待ち合わせて二人で行った初めての夏祭り。頑張って浴衣も着た。


 ――若葉君、何、買ってきたの?――


 ――おそろいのキーホルダー――


 ――かわいー。でもここで一人で待ってるの、不安だったんだから。みんなが待ちぼうけの可哀想な子を見るみたいな同情の眼つきで通り過ぎていくし。場所が分からなくなったのかと思った――


 ――枝梨やん、ゴメン――


 ――うん、もういい。キーホルダー、ありがとう。でも、もうはぐれたくない――


 ――じゃ、こうしよう――


 そう言って繋いだ手は温かかった。


 心の中で呟いていた。その手をずっと放さないで、と。




「夏祭り、良いきっかけになるんじゃない? 誘ってみれば?」


「でも、さっき言った秀才の女の子と行くかもしれないし。その子は東京の大学に行ってるけど、この一週間、帰省してるみたいなんだ。ああいう頭の良い女子に限って、カレシの前では可愛くなるんだよ。不公平だよね。頭良くて可愛いなんて」


「ああ、そういうものかもしれないわね」


「やっぱり?」穂乃果が眼を見開いた。


「あ、いえ、その……。あ、そうだ! 勇気の出るパワーストーンというのもあるのよ。ほら、ペリドットと言ってね……」

 そう言って明緑色の石を窓から射す陽の光にかざした。


「今度、勇気出して誘ってみようかな」


「そうよ。ここまで来た勇気を考えれば出来るわ。ところでビーズのミサンガにどうして興味を持ったの?」


「サイトに載ってたビーズを編み込んだミサンガの画像が、パパの引き出しに仕舞ってあるミサンガにそっくりだったの。あの淡いグリーンと濃いグリーンを組み合わせたのが」


「え? あれは私のオリジナルの編み方なんだけど」


 エリーは、はっとして小声で訊いた。「あなたのパパとママの名前って?」


「え? もう占いに入ったんですか? パパは若葉で、ママは春花です。山下若葉と山下春花。若葉に春の花なんて、出来過ぎでしょ? どうしたんですか? 気分が悪いんですか?」

 

 ***


 エリーは、今すぐ少女の座っている、そのテーブルから去りたかった。なのに、椅子から立ち上がれない。


 心臓の鼓動が激しく打ち付ける。

 ここにいる少女は、もしエリーが無言で立ち去ったら、きっと傷つくだろう。自分が何か変な事を言ったのではないかときっと心を痛める。


 何もしていないのに。

 ただ、偶然会ってフルーツパーラーに一緒に入った大人の女の人の初恋の相手が自分の父親だったというだけ。


 いや、偶然だけど偶然でもない。

 田舎に住む高校生だった頃、よく若葉と二人で話していた。この街にいつか住みたい、と。

 地方の中でちょっとだけ自慢できるくらい発展していて、お洒落と呼べる街に。

 それが忘れられなくて、この街に部屋を借りようと思った。卒業して二十三年が経つのに。何もかも過去に繋がる事とは縁を切ったつもりなのに。


 そして、見覚えのある少女に声をかけたのも自分だった。遠い昔に知っていたような気のする顔立ちの少女がキョロキョロしながら舗道を行ったり来たりしていたから。

「何処かを探しているの?」と。


 改めて見てみる。そうだ。目元がよく似ている。すぐに人に感謝する所とか。





 ――あ、これ、ミサンガって言うんだろ? ほんっと器用だな。サンキュ。この間、夏祭りで買ったキーホルダーにつけるよ――


 ――そうだね。手首に付けてると、みんなにバレるもんね。ほんとは手首につけてほしいけど――


 ――じゃあ学校以外では手首につけとこうかな。時間なんていっぱいあるんだし――



「時間なんていっぱいあるんだし」は口癖のようによく言っていた。



 本当に好きだったのに、卒業して故郷を離れ、別れてしまった。

 都会の街でスカウトされたのをきっかけに、音楽の道に進もうとした自分の決断が原因ではあるけど。




 ――なんで普通に、みんなと同じように大学を卒業しないの? 歌なんて趣味でも出来るのに――


 そんな彼の言葉に傷付いていた。応援してくれない事に失望して、喧嘩の末、自分から別れを切り出した。

 昔のクラスメートと一緒になったと知ったのはそれから三年後。春の花と書いて、その通りの明るい女の子。昔は苦手だと言ってた子。


 夏の陽は傾き始め、少し山吹色に変わりつつあった。



 エリーは言った。

「やっぱり片思いの相手は、諦めた方が良いわ。だって相手にもし両思いの人がいたなら、近付くのは失礼でしょ?」

 その口調は、どこか冷たく、よそよそしかった。


「そうですね。自分に自信がないから、そういう展開を想像できませんでした。でもいいんです。ウチが本当にかけたかったおまじないは、恋愛のおまじないなんかじゃないんです」


「え? じゃあ何のおまじない? 勉強の方?」


「勉強でもないんです。そっちは自分が一生懸命やるしかないから」

 穂乃果は溜息を一つついて言った。

「家族がバラバラにならないためのおまじないです」


「家族が?」


「はい。一つ上の兄がいるんですが、去年大学に落ちて浪人する事になったんです。それで予備校の寮に入ってたんだけど、去年の秋に倒れて病院に運ばれて……」


「何か病気だったの?」


「心の……病気かな。兄は繊細で、予備校の厳しい寮生活についていけなかったんです。それに、フェミニンってパパが言ってたかな。ウチより女の子っぽいところがあって、みんなと違ってて、そういうのも寮がダメだった原因かもしれない」


「そうなの? じゃ、家で受験勉強する事にしたの?」


「いいえ。もう大学へは行かずにデザイナーを志すと言い出したんです。

 それまで部屋に閉じ籠もりきりで夜中も独りでずっと起きてて。それでデザイナーになるって言い出したら、今度はママがショックでしばらく寝込んでしまって。それでウチ、去年は専門学校への受験も出来なかったんです」


「色々あったんだ……」


「色々あったんです。それでミサンガの事を思い出したんです。パパはたまに、簞笥の引き出しの中に仕舞ってある、ビーズを散りばめたミサンガを手にとって見てたんです。喧嘩した昔の親友の歌手が作ってくれた物って言って。それは最強のおまじないなんだって」


「そうなの? 親友の歌手……なんだね。いえ、同じようなミサンガ持ってたのね。それでお兄さんの夢はどうなったの?」


「今も変わらずです。今ではパパも認めてます。パパは、それで仕事をしばらく休んでました。兄の入院中も、ずっと付き添って兄の手を握ってたんです」


「手を?」

 エリーは自分の手を見つめた。


「はい。だから家族がバラバラにならないためのおまじないか知りたいんです。それに効く石ってありますか?」


「もうバラバラじゃないと思うけど。

 そうね。オレンジムーンストーンかな。家族を結びつけるのよ。ひと粒だけど、これをあげる。悲しい時にこれを陽にかざして見ると、きっと元気が出るから」



「これ、いくらするんですか?」


「いいのよ。あげるから」


「でもさっきはパパ、ママに何とか言ったらいいって」


「パパとママには何も言わなくていいわ」そして心の中で呟いた。

 ――パパに言っておいて。『今度はその子の手を放さないでね』って――




〈Fin〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

今度は放さないで 秋色 @autumn-hue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ