放鳥

夢月七海

放鳥


 あれ? その小さい箱、父さんのなんじゃあ……。

 いや、○○のことを責めているんじゃないよ。驚かせてごめんね。


 どこで見つけたんだい? ……そうか、そこに仕舞い込んでいたのか。引っ越した後に入れてから、ずっとそのままだったんだろうね。

 ……うーん。どうでもいいものっていうわけでもないけれどね。ただ、ちょっと変わったものだからね……。


 おじいちゃんとおばあちゃんが、旅行好きだったのは知っているだろ? 父さんが子供のころから、国内・海外、色んな所を連れて行ってもらったんだ。

 初めて訪ねた東南アジアの××でね、その小箱を買ったんだよ。○○と同じ歳の頃だったね。


 ある大きなお寺に父さんたちは家族で観光していた。おじいちゃんたちは仏像を興味深そうに見ていたけれど、父さんはすぐ飽きてしまってね、それ以上に気になるものがあったから、寺の庭に出たんだ。

 子供だけで外国の外を歩くのは危ないけれどね、父さんは、お寺だから大丈夫だろうと思っちゃったんだ。君はマネしちゃだめだよ。


 庭では、雀などの鳥が入った鳥籠をたくさん積んでいるワゴンがあちこちにあった。ガイドブックによると、それはペットとしてではなく、逃がしてあげるために売っているんだって。

 捕まっている鳥や魚をわざと逃がすことで、徳を積むというのが仏教の風習であるんだよ。父さんは、どんな鳥を売っているんだろうと気になって、あちこちのワゴンを覗いて回っていた。


 その中の一つに、当時の父さんとあまり歳が変わらなさそうな女の子が一人でやっているワゴンがあった。この歳でも働かないといけないのかという憐れみと、可愛い顔だなぁというちょっと下心みたいなもので、僕はその子に話しかけてみた。

 話したって言っても、僕もその女の子も、片言の英語しか話せなくてね、ジェスチャーを合わせても、何となくしか会話できない。そうやって、その子の年齢とか家のこととか、少し分かってきたところで、僕は何となくワゴンの隅に目を向けた。


 カウンターの角に接着するように、その小箱が置かれていた。ずっと鳴いている籠の中の鳥よりも気になって、僕はその子に、あの箱は何? と尋ねてみたんだ。

 すると、彼女はすごくびっくりした顔になって、その小箱を持ってきた。そして、蓋を開けずに指差して、「グッドラックバード」と言ったんだ。


 自分が履いているズボンのポケットに入りそうなほど小さな箱に、鳥が入っているなんて信じられなかった。すると女の子は、持っている小箱を、父さんの耳に近付けたんだ。

 腕時計の秒針の音くらいに小さく「チチチチ……」と鳴いているのが聞こえてきて、僕はまた驚いた。女の子は目を丸くした僕に微笑んで、この箱の値段を言った。日本円でいくらかは覚えていないけれど、ワンコインで支払える額だったよ。


 財布からワンコインを取り出して、それを掌に置くと、女の子はそれを取って、代わりに小箱を自分の掌ごと包み込むように載せた。そして、真剣な顔で、こう言ったんだ。

 「ネバー、ネバー、リリース」……日本語に直すと、「決して、決して、放さないで」という意味だろうね。


 放鳥用の鳥なのに? とは思ったけれど、それ以上に飛行機へどうやって乗せるのか、餌や糞の世話はどうするのかが気になって、僕は「エアポート? フード? レストルーム?」と立て続けに尋ねてみた。

 彼女はその質問は最もだと言いたげに頷いてから、「オーライ」と笑いかける。「グッドラックバード、ライク、ア、ゴースト」と続けて、幽霊みたいなものだったら、世話しなくても大丈夫なんだろうと僕は素直に納得したよ。


 そうして手にした小箱を、僕は日本に持ち帰った。女の子が言っていた通り、飛行機を乗る時も特に怪しまれること無く、自分の机の奥に隠していても、誰からも何も言われなかった。

 それから、僕の生活は、平穏そのものだった。本当に、何も起きずに。


 ……十年以上が立って、大学生になった僕は、夏休みにバックパッカーとしてあちこちを巡っていた。そうして××も、子供の時以来に訪れて、あのお寺にも行ってみたんだ。

 庭に、成長したあの女の子のワゴンがあった。驚いて、話しかけてみると、彼女も僕を覚えていて、「ああ!」と驚きと喜びの混じった顔をしてくれた。


 女の子は、あの時よりも格段に英語が上達していた。大学生の僕と変わらないくらい。欧米からの観光客が増えてきたので、独学で身に着けたのだと恥ずかしそうに言っていて、感心したよ。

 この話の後に、彼女から「グッドラックバードはどうしている?」と訊かれた。僕は言われたことを守って、放さずに持っているよと言った後、この鳥は一体何なのか、初めて訊いてみたんだ。


 「グッドラックバードは、持っている人に降りかかってくる怪我や病気や不運などを、全て吸い取ってくれるの」と言っていた。あなたにも心当たりがあるんじゃないか、と尋ねられて、父さんは今までの半生を思い出したんだ。

 あの時から、僕は一度も病気したことがない。インフルエンザの流行で学級閉鎖が起きても、僕は罹らなかったり、同じ牡蠣を食べた家族がみんなノロウイルスにやられても、僕だけは免れたりした。


 怪我もしたことがない。一度、横断歩道を渡っている時に、右折した車が僕に突っ込んできたことがあったけれど、怖くて動けない僕の目の前で、車がハンドルを切って無事だった。

 ラッキーだったなと思う事も何度も。電車やバスで眠っても、自分が下りる予定の場所の前で起きたり、人気の行列店で並んでいて、丁度僕の番で売り切れになったり。突然の雨でも傘を持っていたから、好きな女の子と相合傘が出来て、それがきっかけに仲良くなって、付き合って、それが実は君の母さんだったり……。


 ともかく、宝くじが当たるみたいな大きな出来事じゃないけれど、悪いことから逃げきれている、という事がちょくちょく起こっていた。ただ、それがあの時の小箱のお陰だったとは、全く気付いていなかった。

 僕が、「君の言う通りだよ」と話すと、「そうでしょ」と彼女が頷いて、急に、小箱を渡した時のような真剣な顔になって言った。


 「でも、一つだけ吸い取れないものがある。それは、死」……僕は戸惑いつつ、「どうして?」と確認すると、「それは天が定めたものだから」と言い切った。

 それは怖いな、と思いつつ、でも、死ねないのよりもそっちの方がいいかもしれないとも僕は感じた。そして、こんなすごい鳥をワンコインで買ってもいいんだろうか、なんて思えてきた。


 改めて聞いてみると、彼女は大丈夫だと笑った。「その鳥は、私たち一族しか見えないけれど、捕まえるのは結構簡単なの。それに、この箱のことが気になる人は、千人に一人くらいしかいないから、大きな影響はないのよ」と。

 ちょっとほっとしている僕に、彼女は、「これからも、その鳥を放さないでね」と言ってきたので、また気になることを尋ねてみた。


 「もしも、グッドラックバードを放してしまったら、どうなるの?」と……。彼女は苦笑しつつ、「私の身の回りには、放してしまった人がいないから、よく知らないの」と。

 「でも」と、呟いて、じっと彼女はぼくの瞳を見て、言う。「言い伝えでは、放してしまうと、これまで吸い取ってきたものが、溢れ出てくる。それは、元の持ち主に降りかかり」―——―。


 ○○? どうしたんだい? 急に泣き出して。

 何か言ってくれないと、分からないよ。○○?



















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放鳥 夢月七海 @yumetuki-773

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