はなさないで

猫海士ゲル

床へ落ちて重々しい鈍い音がした

「だから、離さないでって言ったよねッ!」


先輩が般若のごとき形相で怒鳴る。

俺はビビりあがって数歩後ずさり。それでも言わねばと震える口を開く。


「先に手を離したのは先輩のほうじゃ……」


「はあぁぁぁッ、あんた、あたしに責任をなすりつける気!?」


パソコンショップのバックヤードで飛散する大型モニター。画面のひび割れを見れば電源を入れなくても壊れたことはわかる。

床をどんどんと踏みならすのは先輩のクセだ。俺と一緒に入ったバイト仲間は、この『地獄の音』が理由で鬱になり辞めていった。

俺も辞めかけたが「女のヒステリーに負けられるか」という意地の一念で踏み止まっている。


それだけ、毎回、この女は鈍くさい。

ミスばかりだ。

なのに「自分は悪くない。あんたのせいだ」と責任転換する。


レジに立つ姿は可愛いのに……実際、俺も欺されていた。


自作PCを組むのが趣味の俺は客だった。大好きな店だった。

趣味に走った小さな店だが『PCパーツ』が棚いっぱいに並べられた光景は壮観だ。

そして、なによりも「すげぇ可愛い店員さん」がいる。アルバイト募集の貼り紙に心躍らせた気持ちは理解して欲しい。


「どーすんのよ、ったく鈍くさい男ね」


こいつは、ほんと、絞め殺してやろうか。

湧き上がる怒りを抑え……もっとも、先輩の般若顔を見れば怒りより恐怖のほうが先に出る。


「とにかく片付けなきゃ。店長が出社したら、ふたりで謝罪しましょう」


「はぁぁぁぁぁぁッ!!!」


「な、なんですか」


「謝罪はあんたがするんでしょう。あたし、関係ないもん」


「は?」


「あんたが手を離したのが悪いんでしょうが」


決めた。

可愛いからと、店長からクビを言い渡されるのは可愛そうだからと、ずっと黙っていたけど勘弁ならん。


「先輩、どこから通っていたんでしたっけ?」


怪訝な顔で俺を睨む。だがすぐに侮蔑の眼差しで口をひらいた。

「なに、あたしの実家に押しかけようとか企んでるわけ。無駄よ、兄貴も父も警察官よ。しかも空手の有段者だからね」


「ほお、警察官のご家庭でしたか──それなら尚更都合が良い」


「なによ、」


「確か、電車を乗り継いで一時間くらいかかるんでしたよね」


「そ、そうよ。遠いんだからね。電車代かかるわよ」


「やだなぁ、押しかけたりしませんよ。先輩の実家のにはね」

俺の言葉に先輩が蒼ざめた。


「ちょ、何が言いたいわけ?」


「俺、昔は先輩のファンだったんす」


「……むかし?」


「先輩がどこから通っているか知ってますよ、調べましたから」


「ストーカー!」


「何とでもどうぞ。法に触れることはしてませんから。いま、ここで問題にしているのは先輩がどこから通っているかです」


蒼ざめていた顔が顔面蒼白になっている。口を半開きにし、目は恐怖に怯えていた。

それはストーカーに対するものじゃない。この女は、そんなものを恐れるようなタマじゃない。


「や、やめて……」


「先輩はここから徒歩10分程度のアパートに住んでますよね」


「やめて、やめて、やめてぇぇぇぇ!」


「先輩、嘘をついていますよね!」


耳を塞ぎ、背中を丸くして、しゃがみ込んでしまう先輩。

だが、容赦はせん。こいつのせいでクビになったり、人間不信で辞めていった人たちはたくさんいる。俺のバイト同期もそうだった。


「店長へ報告しますから」


「話さないで」


「はあ?」


「ローンとかいっぱいあるの。クビになったら困るの。だから店長には話さないで」

震える唇で懇願する──かつての推し。

身を震わせながら、あげた顔はいっぱいの涙で濡れていた。


「とりあえず、この壊れたモニターどうしますか」

割れた画面。破壊された筐体。先輩の虚ろな視線がしばし注視していた。


「あなたが手を離したのが悪かったのよね。お互い様よね」


……この女、ダメだ。






「いらっしゃいませー」

外面最強偽善美少女そとづらさいきょうぎぜんびしょうじょな先輩は今日も何も知らない客へ笑顔をふりまいている。


「うん、クビにするのはもったいないからね」

店長は先輩をクビにせず時給カットで済ませた。

「電子パーツの知識はかなり高い。客からの質問には使で的確に返答している。時給を落としても働いてくれるなら良いさ」


壊れたモニターはパーツ屋らしいと言うべきか「形ある者は壊れる」という自身の格言にそってお咎め無し。


詐欺紛いな電車代の不正請求についても警察に突き出すことはせず「一度だけチャンスをあげよう。これからは心を入れ替えて働いてくれ」と不問にした。


まるで神様か仏様のような方だ。


ただし今後のことも考えてバックヤードにも防犯カメラを付けてくれた。

これで先輩がても、俺に責任を擦り付けることは出来なくなった。


純真な客の心を捉えて放さないパソコンショップのアイドル。売り上げに貢献しているのは事実だ。利益があがれば時給もあがるだろう。そう考えれば悪い話じゃない。

俺の心は晴れやかだった。

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はなさないで 猫海士ゲル @debianman

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