妖精たちを離さないで

天西 照実

妖精たちを離さないで


「ヒッヒッヒ……良いものを仕入れたもんだね」

 水晶玉を覗き込んでいた老魔女は、上機嫌に呟いた。

 黒いローブ姿、ジャキジャキに逆立った紫色の髪の毛。

 老魔女は皺だらけの手で、魔法具だらけの机の上から布袋を摘まみ上げた。

「ベル、ちょいと使いに行って来とくれ」

 暖炉の前で本を読んでいた少年、ベルに声をかけた。

「はい、師匠」

 と、答えてベルは本を閉じた。

 古いレンガ小屋を、くり抜いた大木の根元に組み合わせている魔女の家だ。

 壁にぶら下がる薬草やまじない道具に混ざって、少年のローブと布鞄も引っ掛けてある。

 棚に本を片付けたベルは、茶色いローブを羽織りながら、

「どこに行けば良いんですか」

 と、聞いた。

 腰の曲がった老魔女と、同じ高さにベルの顔がある。

 老魔女は、ベルの首にマフラーを巻いてやりながら、

「いつもの材料屋だよ。妖精を仕入れたようだから、1匹買っておいで」

 と、言った。

「妖精を1匹ですね。どんな妖精ですか」

「何種類も居やしないよ。これで足りるだろう。釣りは取っときな」

 そう言って老魔女は、小さな布袋から金貨を3枚取り出した。

「じゃあ、行って来ます」

「寄り道するんじゃないよ」

「はい」

 建て付けの悪い木戸を引っ張り、ベルは森の中へ駆け出した。



 暗い森を抜けると、荒野の向こうに街並みが見える。

 その手前にやぶがあり、ボロ屋の屋根が出っ張っている。

 ベルは軽快に歩きながら、材料屋を営むボロ屋に向かった。

 土の道に、ところどころ水たまりが出来ている。

 重い雲に覆われた空からは、また雨が降り出しそうだ。

 歩きながらベルは、痩せた肩に斜め掛けした布鞄を開けた。

 渡された金貨3枚を包んだ布切れの他に、継ぎはぎだらけの革袋が入っている。ベルの財布だ。

 ――やっと銀貨10枚溜まった。妖精が金貨2枚で買えたら、お釣りの金貨1枚を足して魔導書が買えるんだけどなぁ。

 銀貨10枚で金貨1枚分になる。

 魔導書と妖精が同じ値段って事はないかぁ。

 考えながら歩いている内に、ベルは藪に紛れるようなボロボロの小屋に着いた。

 穴らだけの暖簾には『魔法道具』と書かれている。

 少年は一応、ボロ屋がまだ崩れないか、壁に目を向けながら暖簾をくぐった。

 ボロ屋の中は意外に広い。

 棚に乗っているのか、天井から吊るされた籠から垂れているのか。

 なんだかわからない素材が大量に売られているが、入り口から店の全体が見える。商品の並べ方は見習いたいものだと、ベルはいつも感心していた。

「いらっしゃい。魔女の家のお弟子さん」

 老人の声が迎えた。

 店の中央で、店主の老人が人形のように座っている。

 服と同じような色の魔神の像を背もたれにしていて、動いてくれなければ蝋人形か何かと間違える人も居るだろう。

 しかし、常連のベルは慣れた足取りで商品棚の間を進み、

「妖精を1匹、買って来るように言われて来ました」

 と、言った。

 小さな丸眼鏡を押し上げながら、店主は、

「はいはい。目が早いね。仕入れたての妖精はその鉄籠てつかごの中に居るよ」

 と、答え、店の奥を指差した。

 壁掛けランプに照らされた棚に、上部の丸い円錐状の鳥籠が置かれている。

 ベルが覗き込むと、鉄の籠の中では2匹の妖精が、かたく抱き合っていた。

 姿かたちは人間と似ているが、薄緑色の肌に桃色の髪をした、手乗りサイズの妖精たちだ。

 蝶のようなはねがあるはずだが、今は力なく背中に垂れて翅色は見えにくい。

「1匹でいいなら、好きな方を選びな。1匹、金貨2枚だよ」

 と、店主が言う。

 金貨2枚なら、あまった金貨1枚をもらって、魔導書が買える。

 内心は喜んでも、ベルの表情は戸惑いに変わった。

 よく見れば、2匹の妖精たちはオスとメスだ。抱き合ったまま、怯えた顔をベルに向けている。

「くっついちゃってますけど」

「翅は引っ張ると抜けてしまうからね。軽く引っぱたけば、すぐに脳震盪のうしんとうを起こすから離せるよ」

 などと言いながら、店主は片手でデコピンの仕草をして見せた。

「えぇ……?」

 ベルがもう一度覗き込むと、妖精たちは震えあがって余計にきつく抱きしめ合っていた。

 言葉を理解するタイプの妖精らしい。

『わたしたちを、はなさないで』

 メスの妖精が、必死に言っている。

 小さくても、目に涙をいっぱいに溜めているのがわかった。

「2匹買うんで、金貨3枚になりませんか」

 聞いてみると、店主が含み笑いを漏らす。断られそうな含み笑いだ。

「どうせ、煮込んじまうんだろう?」

「師匠は、殺生の必要な魔法なんて使いませんよ」

「ふふ。切り刻まれ、煮込まれるなら自分だけでいいと、片方が言うかも知れないのに」

「あ……いや。そんな脅し方は可哀そうです」

 ベルがむくれた顔を向けると、店主は満足そうな笑みを返した。

「ふむ。よい子だ。人間の客にはでいいが、材料には愛情を持つほどいい魔法になる」

 そう言うと、店主は頷きながら、

「2匹で金貨3.5だ。鉄籠もつけてあげるよ」

「あ。籠を持って来るの忘れてました……」

 泣き出してしまったメスの妖精を、オスの妖精がなだめるように頬を寄せている。

 ベルは少々考えてから、

「わかりました。金貨3枚と銀貨5枚ですね」

 と、肩を落として答えた。

「まいどあり。もうすぐ雨が降ってくる。気を付けてお帰り」

「はい……ありがとうございます」

 店主に、金貨3枚と自分の財布から銀貨5枚を取り出して渡した。

 ベルは2匹の妖精が入れられた鉄の鳥籠を抱えると、トボトボと店を後にした。



 途中で雨が降り出してしまい、ベルは急ぎ足で魔女の家へ帰って来た。

 濡れたフードを背に下し、木戸の前でローブを脱いだ。

 妖精の籠もローブの中で抱えて来たので、濡れていないようだ。

 それでも、駆けて来たので目を回しているかも知れない。

 妖精たちは抱き合ったまま、困惑の目で辺りをキョロキョロ見回している。

 仲の良さげな妖精たちを引き離すことにならず良かったが、おかげで魔導書を買う機会が先延ばしになってしまった。

 露払いしたベルは、小さく溜め息をつきながら木戸を開けた。

「ただいま……」

「おかえり。妖精を2匹買って来たんだね」

 ヒッヒッと笑いながら、老魔女が出迎えた。

 ベルは、ピカピカに磨かれた水晶玉に目を向け、

「見てたんですか?」

 と、聞いた。

「見る前からわかってたよ。ほら。お前が欲しがっていた魔導書だ」

「えっ」

 ベルは驚いて、妖精の籠を落としそうになった。

 抱え直して籠を老魔女の机に置くと、ベルは魔導書を受け取った。

「いやしさは失敗作に繋がる。貯めていた小遣いを削ってでも、ふたりを離さずに買ってやったんだろう。脅しや暴力で引きはがすこともなく。これは、その行いへの褒美だよ」

 老魔女は、満足げな笑みで言った。

「ありがとうございます……材料屋さんにも言われました。材料に愛情を持つほどいい魔法になるって」

「その通りだよ」

 大きな魔導書を両腕で抱きしめ、ベルは籠の中の妖精たちに目を向けた。

「この妖精たち、どうするんですか」

「抱き合う妖精の男女は抱卵ほうらんしているんだよ」

「へっ?」

「ぴったりと合わせた腹の間に、数個の卵が隠れている。孵化するまでの間、空気に触れてしまうと死んでしまうのさ」

 ベルは目を丸くした。

「先に言って下さいよ。離れるか試そうかな、くらいは思ってましたよ」

「妖精が言っていただろう。はなさないで、と」

「言ってましたけど……駆けて来たから、籠の中で引っ繰り返ったりしなかったかな」

「あぁ、大丈夫そうだよ」

 安堵の溜め息を吐き出し、

「卵の殻、ですか?」

 と、ベルは聞いた。

「そう。孵化すると数時間で、殻は砕けて消えちまう。だから孵化したらすぐに採取する必要があるんだよ。後は、妖精の子の落とす鱗粉と、子育て中の親妖精の鱗粉をそれぞれ少しずつ採取したら、森の奥にでも放して来るかね」

「よかった。はなされないってさ」

 ベルは小声で、妖精たちに声をかけた。

 不安そうだった妖精たちが、小さな笑みを見せる。

「この森の妖精は密猟者に取り尽くされちゃいましたもんね。師匠の結界が切れてて」

「あぁ、まったく。次に密猟者を見付けたら、ただじゃおかないよ」

 広くはない魔女の家。

 外は冷たく暗い雨空だが、暖炉の炎が温かく部屋を照らしている。

 ベルは布鞄を壁に掛けながら、財布の中身に気が付いた。

「銀貨5枚分、得をしました」

 と、ベルが言うと、

「その行いを、よく覚えておくんだよ」

 と、言って、老魔女はヒッヒッと笑った。

「はい! 魔導書を読んで、もっと勉強も頑張ります」

「いい子だ」

 頷きながら、老魔女は硬い鉄籠の中に柔らかそうなボロ布を敷いていた。



 抱き合う妖精たちを引き離してはいけない。

 材料として扱う対象にも、優しく接することが大切なのだとベルは実感する。

 そして、優しく導いてくれる老魔女が、いつが自分を材料にするのではないかと、ひそかに勘ぐっていたりもするのだ。


                                 了

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